三条実美

三条実美/wikipediaより引用

幕末・維新

三条実美と七卿落ち! 岩倉に並ぶ幕末維新の代表的公家55年の生涯まとめ

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
三条実美と七卿落ち
をクリックお願いします。

 

華麗なる明治以降の経歴

翌明治元年(1868年)は、実美にとって輝かしい年の始まりでした。

正月9日、岩倉具視と並んで、新政府副総裁に任じられたのです。

幕末の動乱最初期から、尊王攘夷派公家として活動していた「お疲れ様でした」という人事ですね。この功績により、5千石も得ています。

実美の出世ルートは華やかです。

明治2年(1869年)には右大臣、明治4年(1871年)には太政大臣となります。

ただし、実美は岩倉具視と比較すると、政治力が不足していた感は否めません。

高い地位に就いていたものの、あまり活躍したようには思えないのです。

岩倉具視
岩倉具視はキャラ奇抜でバランス感覚に優れた政治家か 幕末貴族59年の生涯

続きを見る

 

征韓論で錯乱してしまい……

そんな実美は、意外な形で政局に影響を与えます。

明治6年(1873年)、征韓論の政治闘争において、実美は両派に挟まれ、極度のストレスのためか倒れてしまいます。

アルコール中毒であったという話まであります。

ただ、普通に倒れたというよりも、大久保利通によれば「精神が錯乱した」とまで述べておりまして。

大久保利通(大久保一蔵)
大久保利通49年の生涯まとめ【年表付】紀尾井坂に斃れた西郷の親友

続きを見る

政務も行うことができず、実美は辞表を提出。岩倉具視が後任となりました。

この岩倉が、西郷隆盛の朝鮮派遣案を一掃するのです。

結果、西郷一派は下野し、後の西南戦争へと繋がるのですから、歴史的意義は大きいものでした。

西郷隆盛
西郷隆盛 史実の人物像に迫る! 誕生から西南戦争まで49年の生涯とは

続きを見る

しかし実美はその後も明治政府に残ります。

明治18年(1885年)の太政官制廃止まで、政府最高の地位におりました。

のみならず、太政官廃止で内大臣となり、明治22年(1889年)、黒田内閣のあとに2ヶ月間だけ首相、つまり総理大臣まで兼任しています。

ただし、このときの内閣は、あくまで黒田内閣の延長であり、歴代の総理大臣には含められておりません。暫定扱いなのです。

明治24年(1891年)に病死。

享年55。

公家出身者の大半が名誉職に就きましたが、彼と岩倉具視は高い地位を保ちました。

ただし、温和な性格であるためかストレスが溜まりやすく、それが征韓論の際にも出てしまったようです。

岩倉と比較するとちょっと目立たないのですが、それでも公家出身者の政治家としては屈指の人物と言えましょう。

みんなが読んでる関連記事

堀田正睦は優秀な開明派!しかし幕府と朝廷の板挟みで苦しんだ 55年の生涯

続きを見る

徳川斉昭
徳川斉昭(青天を衝け・竹中直人)の史実は幕府を揺るがす問題児?【慶喜の父】

続きを見る

井伊直弼
幕末で最も過小評価される男・井伊直弼~真の実力と生涯46年を振り返る

続きを見る

安政の大獄
井伊が【安政の大獄】を実行した理由!ドロ沼の政権抗争を終わらせるため

続きを見る

徳川家茂
徳川家茂(徳川14代将軍)勝海舟にも認められた文武の才 その実力とは

続きを見る

孝明天皇
孝明天皇の生涯を知れば幕末のゴタゴタが超わかる! 謎に包まれた御意志

続きを見る

平野国臣
溺死寸前の西郷を救った平野国臣~福岡藩のコスプレ志士は幕末の傾奇者

続きを見る

長州征伐(長州征討)
長州征伐(征討)がスッキリわかる!天皇 幕府 外国人の視点も大切です

続きを見る

大久保利通(大久保一蔵)
大久保利通49年の生涯まとめ【年表付】紀尾井坂に斃れた西郷の親友

続きを見る

西郷隆盛
西郷隆盛 史実の人物像に迫る! 誕生から西南戦争まで49年の生涯とは

続きを見る

文:小檜山青

【参考文献】
国史大辞典
『幕末維新人物事典』泉秀樹(→amazon
『別冊歴史読本天璋院篤姫の生涯』(→amazon

TOPページへ

 



-幕末・維新
-,