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【長崎海軍伝習所】
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後継者争いから大きな政争に発展してしまった
そもそも西日本にばかり学校を作っていたら、西の大名ばかりが西洋の学問や技術を吸収してしまうでしょう。
なぜ幕閣の中でそのことに気付いた人がいなかったのか。
反対に、佐賀藩は独自で三重津海軍所という造船所兼海軍学校を作っていたりします。
「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産に登録されていますね。
まぁ、この頃の将軍は十三代・徳川家定で後継者問題が勃発していたので、幕府中枢では政争に追われていたという事情もあります。
島津斉彬と西郷隆盛が一橋慶喜を将軍にしようとして、結果的に井伊直弼に負け、【安政の大獄】やら【桜田門外の変】やら、何かと混乱が始まる時期です。
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幕府は、全国の諸藩に先駆けて外国船の圧力も認識しておりながら、結局、水戸藩に振り回され過ぎて、壮大な混乱が生じてしまったのが失敗でしたね。
まぁ、御三家に暴走されてしまうと、最早どうしようもないですが、勝海舟や、幕臣・中島三郎助は如何ほど悔しかったか。
以下の記事に詳細がございますので、よろしければ併せてご覧ください。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史群像編集部『全国版 幕末維新人物事典』(→amazon)
安岡昭男『幕末維新大人名事典(新人物往来社)』(→amazon)
長崎海軍伝習所/Wikipedia