近代警察と川路利良

川路利良/wikipediaより引用

幕末・維新

薩摩の川路利良が導入した近代警察制度~仏英の歴史と共に振り返る

あなたは過去へタイムスリップしたいですか?

歴史好きなのに、いや、歴史好きだからこそかもしれませんが、私はお断りしたいです。

というのも、少しでも時代を遡ると「近代的正義」や、薩摩藩の川路利良が導入した【近代警察制度】が存在せず、なんとも理不尽な慣習が横行しているからです。

その昔、近代警察が誕生する以前の犯罪捜査はデタラメ尽くしでした。

なにせ当時は身分制度の全盛期であります。

運悪く領主様が殺人鬼だと、殺されっぱなしが普通という狂気の世界。

超代表的な人物を2名上げるとすれば

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あたりでしょうか。

二人とも外国人の殺人鬼ですから「西洋は嫌だなぁ」という程度の印象かもしれませんが、事はさほどに単純ではありません。

幕末の日本だって、どんだけ地獄よ!

という話で「西洋人や西洋かぶれをぶっ殺すとイケイケになれる!」という思想結社が人を殺しまくりでした。

危なくて、うかうか町も歩けません、マジで。

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そんな日本に、作法も知らない外国人がどっと雪崩れてきたのですから、幕末はいよいよ危ない。

実際、トラブルも頻発し、その最たる例が生麦事件でした。

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この事件では、注目すべきポイントがあります。

イギリスは当初、一行を殺した【実行犯】を引き渡すよう薩摩に通告しました。

これに対し、薩摩では、

「殿とそん父上ん首が欲しかじゃと!?」

と勘違いして、それは絶対にできない!ということで薩英戦争にまで発展してしまいます。

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犯人を寄越せというイギリスに対し、そんなことは一切頭になく、藩主の命で責任をとらされると勘違いしてしまう薩摩。

この認識の違いこそが【近代的正義の有無】の差であり、警察制度の差なんですね。

当時の英国には、すでに近代警察が誕生しており、犯人の引き渡しという発想が自然でした。

逆を言えば日本に、そんな思想は皆無だったのでした。

一体この警察制度、日本ではいつ誕生したかご存知でしょうか?

ご想像のとおり明治維新によってもたらされますが、諸外国を勉強して導入したのが他ならぬ薩摩藩の川路利良(かわじとしよし)となります。

川路利良/wikipediaより引用

 


我々の生活基盤となっている近代的正義

川路利良は、一部では不名誉な出来事で知られております。

他ならぬ警察制度の勉強のため渡欧していたとき、フランスの列車の中で便意を催し、新聞の上にひねり出したブツを窓から放り投げ、それが鉄道の作業員にブツかって一騒動起きてしまったのです。

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むろん、これは緊急事態だったからこそ。

他の薩摩隼人のエピソードもぶっ飛んでいて驚きも多々ありますが、まぁ、大便投擲事件はあくまで一度だけのものでしょう(と思いたい)。

ともかく、彼によって近代警察制度と共に近代的正義の思想が導入され、後の日本に多大なる影響を与えました。

警察制度をもとに犯人を特定して罪を償わせる――。

この近代的正義は、現代の我々の生活でも基盤となってますが、川路利良のお陰だったんですね。

もっと広く知られてもいいと思うのです。

歴史的にわかりやすい一例が1811年の英国ロンドン。

【ラトクリフ街道殺人事件】です。

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英国ではラトクリフ街道殺人事件がキッカケ

ラトクリフ街道殺人事件とは……二家族7名、しかも赤ん坊まで殺されてしまった惨殺事件。

犯人とされたのはスコットランド人の水夫ジョン・ウィリアムズで、彼は勾留後に自殺し、その遺体は心臓に杭が打ち込まれて市民に公開されました。

ロンドン当局もこれで終わりにしたかったのでしょう。

しかし市民からは思わぬ反発が起きました。

「あの船員は犯人じゃないだろ!」

「よそ者を殺して誤魔化す気か? 騙されねーからな!」

市民から嫌われがちなヨソ者(スコットランド人船員)をスケープゴートにしてごまかす――イギリスでも、19世紀当初はそんなもんだったんですね。

逆に、それまでは乱暴な手法が通じていたわけで、今度ばかりはロンドン市民たちも怒り狂ったのです。

さっさと真犯人を探せ!と。

事件の真相を求める「近代的正義」はこうして意識されるようになり、そこで注目されたのがフランスでした。

「フランスには、なんでも“警察組織”ってのがあるらしいぜ!」

かくして生まれたのが「スコットランドヤード」=警察組織。事件から18年後、1829年のことでした。

スコットランドヤード/photo by Anthony O'Neil wikipediaより引用

実際、近代警察制度が導入された英国では、激変しました。

労働者階級の生まれだろうと、貴族邸に押し入り、犯罪捜査でに挑む。

「刑事」も誕生したのです。

『シャーロック・ホームズ』の代表的刑事レストレードの挿絵

※BBC『SHERLOCK』ではルパート・グレイブスが刑事レストレードを演じております

1887年には、アーサー・コナン・ドイルが発表した推理小説『緋色の研究』がヒット。

主人公の私立探偵シャーロック・ホームズは、今日に至るまで大人気となっています。

では、いったいナゼ、この作品がウケたのか?

血みどろの探偵劇が面白いから?

それもあるかもしれませんが、実際は、19世紀になってようやく人々が目覚めたのではないでしょうか。

自分の嫌いな属性の、無実の人間を殺しても、そんなものは野蛮なリンチであり正義とは無関係。何の益もないどころか、真犯人が放置されている危険性を考えれば有害でしかない。

「科学的根拠や推理をもとに実行犯を捉えてこそ“近代的正義”ではないのか?」

と、こうした【近代的正義】を求める人類の声こそ、近代的警察組織が産声をあげた背景にりました。

では、組織としての近代警察はいかなる経緯でもって成立したのか?

フランスに目をやってみましょう。

 

フランス革命と警察改革

フランスの警察組織は、革命前夜から改革が進みつつありました。

が、この取組は失敗します。

皮肉なことに、その証がフランス革命です。

思想をバシバシ取り締まる警察組織があれば、革命の芽なんて事前に摘み取れたはずですが、現実として勃発。

ルイ16世マリー・アントワネットなど王族の首すら飛ばされました。

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そして革命勃発後に成立した新政府は、民兵による市民強化を始めます。

これがまさに【矛盾】です。

革命は、個々人の思想を自由にするものだったはず。

ところが民兵は、反革命主義者をバシバシ取り締まります。まさしく恐怖政治――。

暗い世相は、そんな皮肉な呼び方すらされ、革命政府は警察改革にも着手しました。

それが以下のような内容です。

・世襲制度の廃止

・警察行政地区を変更する

・警察委員の任期は2年、選挙で再選されなければ失職等

そもそも権力者ポジションにいる警察組織は、腐敗しやすいものです。

たとえば、「あんた、赤信号無視しましたね。ま、本来警察署までいらして頂きたいんですけど、5千円くらいいただけたら、見逃しますよぉ」なんて警察官いたらどないでっか?

ダメですよね。

しかし、近代以前はこういう警察官がはびこっており、しかも世襲制度だったため腐敗の温床とすら言えました。

フランス革命政府は、こうした弊害を打破したわけです。

警察組織は、絶対的権力者となったナポレオンやブルボン王家、ナポレオン3世の下でも、頑として存在し続けました。

近代国家につきものの、武装し、民衆の安全に目を光らせる警察官は、こうして生まれたのです。

その組織の精度を高めた政治家が、ナポレオンの謀臣であり懐刀であったジョゼフ・フーシェでした。

ジョゼフ・フーシェ/wikipediaより引用

フーシェは非常に優秀な人物です。

しかし、彼の采配により、思想監視の度合いや密告奨励が高くなった負の部分もあります。

そうした弊害について、周辺諸国からは批判の目で見られたものの、やはり同国の優れた警察組織は認めざるを得ません。

イギリスも含めた諸国は痛感しました。

「近代警察なしでは、正義もあったものじゃないんだ……」

だからこそ「ラトクリフ街道殺人事件」に怒ったロンドン市民も、フランス警察を模倣せよと声をあげたんですね。

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