坂本龍馬

坂本龍馬/wikipediaより引用

幕末・維新

史実の坂本龍馬は当時から英雄だった?駆け抜けた33年激動の生涯

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亀山社中から海援隊へ

話が前後します。

「神戸海軍操練所」も、「土佐勤王党」もなくなった中、龍馬は念願の海運組織を作ることとなりました。

長崎の亀山で発足した組織・「亀山社中」です。

貿易と、物資の運搬で利益を得て、そのために必要な航海術を学ぶという、画期的な取り組み。

この「亀山社中」を通じて、薩摩藩・長州藩に軍艦購入を斡旋しており、そうした実績が薩長同盟の仲介者として選ばれる要因となっています。

取引を通じて、両者から信用を獲得していたのですね。

慶応3年(1867年)には、「海援隊」としてリニューアル。

これを契機に、龍馬は脱藩の罪を許されました。

構想としては「陸援隊」もセットでありましたが、こちらは設立が遅れています。

身分を問わず加盟することができ、航海術から語学まで、実利的な学問も修得できる、これまた画期的な組織でした。

その斬新な組織にあやかろうと、「海援隊」と「陸援隊」は、その名にならった組織がいくつかあります。

「陸援隊」という会社に関しては、劣悪な労働条件が引き金となった事故を起こすことで注目を浴びるという事態に陥っています。

龍馬の名誉のためにも、今後はこのようなことはないよう願います。

海援隊集合写真。左から長岡謙吉、溝渕広之丞、坂本龍馬、山本洪堂、千屋寅之助、白峰駿馬/wikipediaより引用

 

暗殺

慶長3年(1867年)にかけて、龍馬は大政奉還でも大きな役割を果たしております。

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新しく訪れるであろう世の中に、さぞかしワクワクな心持ちであったでしょう。

しかし……。
運命は非情でした。

11月15日、凶刃にかかり、落命してしまうのです。

享年33(満31歳没)。

その知名度ゆえに、龍馬の暗殺は黒幕が誰なのかと、詮索されがちです。

これについては、そもそもミステリでも何でもないものを、無理矢理そうしている、そんな要素があります。

この件に関しては、動機から犯人まで、すべて判明しています。

坂本龍馬暗殺の真相

【黒幕】会津藩主・松平容保

【実行犯】京都見廻組・今井信郎

動機は、大政奉還に納得できない会津藩による、形成巻き返しを狙ったもの。これでおおよその説明がつきます。

今井には、松平容保から「褒状」が送られたとの証言があります。

これでもう、ミステリは解決されてしまいます。

紀州藩や薩摩藩黒幕説といったことがささやかれますが、信憑性は低い。ちょっと意外性を狙い過ぎているのではないでしょうか。

当時から、龍馬暗殺に関しては混乱しました。

恨みをかっていた新選組説が信じられており、彼らに激しい憎悪がぶつけられることも。

それでも、真犯人の今井信郎の告白で、本来本件は決着がついたはずなのです。

なのになぜ、荒唐無稽な説が出てくるのか?

それは坂本龍馬というカリスマに依るものかもしれません。

幕末第一の人気者を殺した罪を背負いたくない。別の勢力に責任転嫁したくなるのでしょう。

当時の会津藩は追い詰められていました。そのあまり、乱暴な手段に頼ってもおかしくはないでしょう。

 

龍馬という夢

もしも、坂本龍馬が凶刃に斃れなければ――。

幕末における様々な「歴史if」の中でも、これほど甘美で、夢があふれる問いかけもありません。

ただし……坂本龍馬が総理大臣なり、明治政府の中枢で活躍できたかどうかは、なかなか難しいものがあります。

明治時代初期は「薩長土肥」と呼ばれ、土佐藩出身者は三番目に重要であるとされました。

しかし、時代がくだるにつれ「土肥」は排除されてしまうのです。

結果、土佐藩出身で戊辰戦争を戦い抜いた板垣退助自由民権運動に身を投じました。

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龍馬も土佐藩出身である以上、政府の中枢に食い込めたか、かなり難しいところでないでしょうか。

政界進出に興味を持っていたのか、という問題もあります。

むしろ彼は、経済界に進出しそうな気がするのです。

海運に可能性を見いだしていた龍馬が、もしも明治の世でも生きていたら。

もっとも近い生き方をしたのは、彼と同じく開明的で商売っけが満ちあふれ、政府中枢からは外れていた、五代友厚ではないか?と個人的には思います。

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五代もその人脈を生かして、「大阪会議」を開催した実績があります。

政府は狭すぎて、世界相手にビジネスを手がける。

そんな姿が似合う気がするのです。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
松岡司『定本坂本龍馬伝―青い航跡』(→amazon
磯田道史『龍馬史 (文春文庫)』(→amazon
桐野作人『龍馬暗殺 (歴史文化ライブラリー)』(→amazon
桐野作人『さつま人国誌 幕末・明治編』(→amazon
桐野作人『さつま人国誌 幕末・明治編2』(→amazon

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