近代警察と川路利良

川路利良/wikipediaより引用

幕末・維新

薩摩の川路利良が導入した近代警察制度~仏英の歴史と共に振り返る

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
近代警察制度
をクリックお願いします。

 


フランス革命と警察改革

フランスの警察組織は、革命前夜から改革が進みつつありました。

が、この取組は失敗します。

皮肉なことに、その証がフランス革命です。

思想をバシバシ取り締まる警察組織があれば、革命の芽なんて事前に摘み取れたはずですが、現実として勃発。

ルイ16世マリー・アントワネットなど王族の首すら飛ばされました。

ギロチンで処刑されるルイ16世/wikipediaより引用

ルイ16世
無実の罪で処刑されたルイ16世なぜ平和を願った慈悲王は誤解された?

続きを見る

マリー・アントワネット
なぜマリー・アントワネットは処刑されたのか「パンがなければ」発言は完全に誤解

続きを見る

そして革命勃発後に成立した新政府は、民兵による市民強化を始めます。

これがまさに【矛盾】です。

革命は、個々人の思想を自由にするものだったはず。

ところが民兵は、反革命主義者をバシバシ取り締まります。まさしく恐怖政治――。

暗い世相は、そんな皮肉な呼び方すらされ、革命政府は警察改革にも着手しました。

それが以下のような内容です。

・世襲制度の廃止

・警察行政地区を変更する

・警察委員の任期は2年、選挙で再選されなければ失職等

そもそも権力者ポジションにいる警察組織は、腐敗しやすいものです。

たとえば、「あんた、赤信号無視しましたね。ま、本来警察署までいらして頂きたいんですけど、5千円くらいいただけたら、見逃しますよぉ」なんて警察官いたらどないでっか?

ダメですよね。

しかし、近代以前はこういう警察官がはびこっており、しかも世襲制度だったため腐敗の温床とすら言えました。

フランス革命政府は、こうした弊害を打破したわけです。

警察組織は、絶対的権力者となったナポレオンやブルボン王家、ナポレオン3世の下でも、頑として存在し続けました。

近代国家につきものの、武装し、民衆の安全に目を光らせる警察官は、こうして生まれたのです。

その組織の精度を高めた政治家が、ナポレオンの謀臣であり懐刀であったジョゼフ・フーシェでした。

ジョゼフ・フーシェ/wikipediaより引用

フーシェは非常に優秀な人物です。

しかし、彼の采配により、思想監視の度合いや密告奨励が高くなった負の部分もあります。

そうした弊害について、周辺諸国からは批判の目で見られたものの、やはり同国の優れた警察組織は認めざるを得ません。

イギリスも含めた諸国は痛感しました。

「近代警察なしでは、正義もあったものじゃないんだ……」

だからこそ「ラトクリフ街道殺人事件」に怒ったロンドン市民も、フランス警察を模倣せよと声をあげたんですね。

 


ジョセフ・フーシェこそが「近代警察の父」

近代警察の父は、フランスの政治家ジョゼフ・フーシェです。

正義を求める声に応えて近代警察を生んだ英傑。そうなれば「正義の味方!」と好かれても良さそうです。

しかし皮肉にも、我が国の川路利良と同様、フーシェの場合、むしろ嫌われ者なんですね。

ナゼでしょう?

それにはいろいろ理由がありました。

※『キング・オブ・キングス』予告。一分前後に出てくるジェラード・ドパルデューがフーシェです

かのナポレオンには“頭脳”と呼べる家臣がおりました。

一人目は、美貌の貴族出身シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール。

足が不自由で、精神は自由闊達、かつ享楽的な人物でした。

シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール/wikipediaより引用

もう一人が、平民出身で生真面目な革命家気質なれど、「食事のように陰謀を必要とした」という評価のジョゼフ・フーシェだったのです。

ジョゼフ・フーシェ/wikipediaより引用

ナポレオンの政敵がいかなる思考を持つか?

フーシェはそれを探るため、警察組織を作り上げたのです。

台頭目覚ましいナポレオンには敵も多く、フーシェは、その恋女房であるジョゼフィーヌからすら情報を得ていたのですから、たいしたものでした。

ジョゼフィーヌとは? ナポレオンが惚れて愛して別れてやっぱり愛した女

続きを見る

にしても……陰謀なしでは生きていけないって、見るからに陰気そうな根暗男ですよね。

こういう人物が警察を作ったのですから、そりゃアンチが増えるのも仕方ねー!と思われるかもしれませんが、理由はそう単純じゃない。

犯罪捜査よりも「思想の取りしまり」がメインとなった部分もあるのです。

結果、独裁者ナポレオンがヨーロッパで猛威を振るったわけで、フランスの宿敵であるイギリスあたりは、

「フランスの警察制度を真似るのはなあ」

と苦り切ってしまいました。

現代のフランス警察/photo by David Monniaux wikipediaより引用

1812年、ホイッグ党の外務大臣カニングは、こんなことまで放言します。

「フランスは警察改革のために、莫大な税金をかけています。家宅捜索やスパイ捜査をする、フーシェみたいな男の組織に縛られるなんて。そんなことになるくらいなら、誰かが3,4年に一度、ラトクリフ街道で喉を切られるほうがマシです」

イギリスの政治家がとにかく決断に迷うほど、フランス警察は賛否両論でした。

普通、こんなことを言ったら炎上しそうですが、世論は「そうだ、そうだー!」と賛同多数であるのです。イギリスは、よほどフランス警察が嫌いだったのでしょう。

しかし、イギリスの帝都・ロンドンは、工業化により労働者が増加、治安の悪化も明らかでした。

結果、ヘンリーとジョンのフィールディング兄弟、パトリック・カフーン、ロバート・ピール、ジョージ・ベンサムといった改革者の試みがあり、英国にも近代警察が誕生。

「切り裂きジャック事件」の犯人を逃すという痛恨事もあって、そうした不満が【シャーロック・ホームズ ブーム】につながったものの、道を聞けば素直に教えてくれる巡査たちは「ボビー」や「カッパー」と気安く呼ばれ、ロンドンっ子から親しみを持たれるようになりました。

さて、いよいよ明治維新を迎えた日本です。

「国際的に認められるためには、奉行所ではなく警察が必要だ!」

そう痛感した政府は、本場・ヨーロッパへ人を派遣しようと考えます。

そこで立ち上がったのは、薩摩隼人の川路利良でした。

※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >



-幕末・維新
-,

×