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【瓦版から見る幕末維新】
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「安政の大地震」を報じる
大災害が起こったとき、人が気にするのは愛する人の安否でしょう。
被災地の様子を知って胸を痛めるのは、幕末も現代も同じ。
【安政の大地震】の際にも、こうした人々のために瓦版が発行されました。
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第一報は、被災地支援情報や被害情報です。
当時も被災者を救うためのボランティアが存在しており、「お救い小屋」という当座の衣食住をまかなうシェルターが作られました。
公的支出もありますが、ボランティア精神で金や物資を提供する人もいたのです。
こうしたボランティアをした人の「施し名前番付=ランキング」も作られていました。
江戸時代の人だって「こんなに偉いことをした人は誰だろう、知りたい!」と考えたわけですね。
もうひとつ、復興支援というか、「地震を笑い飛ばそう」という瓦版もありました。
「鯰絵」です。
当時、地震は鯰が暴れるためであるとされていました。
その原因となった鯰が被災者救助をしている絵です。
こうした鯰絵は、地震を封じる願いをこめたものでもありました。
幕末はスクープの宝庫
幕末は、実はニュースとスクープの時代です。
ネタになる事件は枚挙に暇がなく、黒船来航や外国人来航にとどまらず……。
どれもこれも、庶民の好奇心を刺激し、瓦版にとっては絶好のネタでした。
以前からあった「火消しの活躍」「心中事件」「仇討ち」などの定番ネタの中に、歴史上の大事件がバンバン報道されました。
ただ、その数々のスクープが、自分たちの日常をひっくり返すとは、誰が考えていたことでしょう。
【鳥羽・伏見の戦い】後に発行された瓦版は、徳川慶喜や松平容保を諷刺するものです。
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かといって新政府軍を歓迎するものでもなく、上方に住む人々にとって戦は迷惑なものであって、笑い飛ばすほかない災難そのものでした。
地震を「鯰絵」で笑い飛ばそうとしたように、戦争をやたらと引き起こす武士たちを笑いものにするほかなかったのです。
もちろん平時では許されません。
それでも諷刺できたのは、幕府権力が弱まっていたからにほかなりません。
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