幕末の志士・維新の志士・攘夷の志士

幕末・維新

幕末維新に登場する“志士”は憂国の士なのか それとも危険なテロリストか

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志士
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志士は酒を飲み女と遊ぶ

『青天を衝け』では、渋沢栄一と渋沢喜作(渋沢成一郎)のコンビが、京都であっという間に金を使い果たしてしまいました。

綺麗な芸妓と酒を飲み散財する場面を見て、「志士あるあるだよなぁ」と微笑ましく見守った方も多いようですが、ここで疑問。

なぜ、志士は酒と女に金を使うのか?

遊び盛りの若い男だからか?

否。

志士は“天誅”というテロ行為を行いました。

その計画ともなれば隠密行動が必須。若いお兄ちゃんたちが酒楼でどんちゃん騒ぎをしていても、京都の人々は見守るしかありません。あくまで上客ですからね。

そうして盛り上がったあと、女たちを下がらせ、テロ計画の密談に及んだのです。それゆえの酒と女でした。

志士は国を思うがゆえに、明日をも知れない身だと覚悟を決めておりました。そうなれば今日が最後だと楽しみたいという思いもある。

そうした話は多くありますし、幕末フィクションのお約束ではあります。

しかし、それを綺麗な話と片付けてよいものかどうか。

◆志士を愛する妻は?

志士の典型として、正妻に冷たいというお約束があります。

彼らにとっては、妻子に対する愛よりも「志」のほうが重い。

西行が妻子を蹴り飛ばしてでも出家して志を遂げたように、家を守る妻を顧みないことこそが、むしろ志士らしいとされていました。

『花燃ゆ』では相当ぼかされて映像化されていましたが、久坂玄瑞の妻・文は、夫から冷たい対応を取られています。

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それが志士の価値観です。

『青天を衝け』では栄一と千代が仲良くしておりましたが、史実の栄一は千代を家に置き去りにし、我が子を長年抱くことすらないような対応でした。

◆志士を愛した未亡人は?

そんな志士が命を落としたら?

典型例が坂本龍馬おりょうでしょう。

あれほど龍馬を愛し、尽くしたにもかかわらず、おりょうは省みられることもなく落魄(らくはく・落ちぶれること)の日々を過ごしました。

誰も彼女たちをさして気に留めなかったのです。

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◆志士を愛し、玉の輿に乗った妻は?

では、夫が成功したら?

明治時代の権力者やお金持ちになったら勝ち組……とも言い切れません。

志士の時代の癖が抜けないせいか。明治時代の大物は下半身がゆるい人が非常に多い。

代表例が伊藤博文と渋沢栄一です。

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江戸時代のお殿様にしたって側室はいるものの、明治元勲ほどの遊び方でもない。

恥ずかしがって隠すどころか、堂々と妾自慢をするような空気がありました。男の甲斐性と見なされていたのですね。

しかし、真っ向から反論する者もいて、かの福沢諭吉はこう激怒しております。

「ゲスでもいいけど隠すことぐらい覚えろよな!」

明治時代、そうした性的な乱れを憂い、遊女たちの境遇改善を訴える中心にいたのは、プロテスタントの教えを受けた人々でした。

そうした世を横目に見ながら、栄一の後妻となった兼子は『論語』を説く夫をこう皮肉りました。

「論語とはうまいものを見つけなさったよ。あれが聖書だったら、てんで守れっこないものね」

維新志士と恋をする乙女ゲーがありますが、私はどうしても疑問を感じてしまいます。

 

維新志士の女になるなんて、バンドマンの彼女になるどころではない悲惨な末路しか想像できないもので……。

なお、幕末京都にいた層でも、会津藩士は例外的に女性とのロマンスが少ない。藩の教えで、婚外交渉が禁止されていたのです。

それでも破った山本八重の兄・覚馬は離婚となりました。

 


志士は金を集め散財する

京都まで来る。武器を買う。酒を飲む。女と遊ぶ。そうなればどんどん金は消えてゆきます。

では活動資金をどうするか?

薩摩藩や会津藩の場合、藩主の許可を得た行動ならば藩が金を出します。

一方、そうでないフリーランス志士はどうしていたのか?

◆スポンサーを探す

幕末までには身分階層を問わず、思想が広まっています。

尊王攘夷に理解を示す白石正一郎のようなスポンサーを見つければ話は早いものでした。

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こうした豪商と志士の関係は、まさに「金の切れ目が縁の切れ目」となっていることも多く、その点に憐れみを感じてしまいます。

ちなみに【天狗党の乱】の際には、長州から水戸への資金援助もあったとのこと。

金の流れが何かとややこしいのも幕末の特徴ですね。

◆強奪する

「尊王攘夷である! 国のために金をだせ!」

理屈をかざして強奪するケースもありました。

志士の活動は綺麗ごとだけでもありません。これを最大限にした結果、悪名を極めた集団が天狗党になります。天狗党の乱では、あちこちで強奪放火を行いました。

京都の新選組ばかりがこうした強奪をしていた印象がありますが、そうではないのです。

◆外国商人と通じる

イギリス人商人・グラバーは自ら「私こそが最大のアンチ徳川幕府」と称したとされます。

幕末には幕府側にフランス、倒幕側にイギリスがついていました。

外国人商人からすれば、武器を売りつけることはビジネスチャンスに他なりません。南北戦争終結後に余っていた武器の買い手として、日本人はうってつけの相手でした。

五代友厚は、こうした「死の商人」グラバーと早くから通じた人物の典型例です。

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そして、志士とカネに翻弄された悲劇の代表例が【赤報隊】の相楽総三でしょう。

幕府にかわり世を糺す! そんな看板を掲げた新政府軍。

赤報隊も「年貢半減令」を喧伝しながら進軍したのですが、三井はじめ京都の豪商と手を組んだ新政府軍は、スポンサーである商人たちからこう言われてしまいます。

「年貢半減令、やめとくれやす」

かくして赤報隊は嘘をついて進軍していた偽官軍とみなされ、斬罪とされました。

明治政府における政財官の密着は、赤報隊の流した血と共に始まっていたのでした。

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志士はポリコレの影響を受ける

志士の影響は現在にも至っています。

わかりやすいのが司馬遼太郎でしょう。

司馬の描く「志士の世界」を愛読書に挙げる。尊敬する人物に志士の名を挙げる。今なお、そんな方はたくさんいます。

志士の世界を描いたといえる『るろうに剣心』も漫画に映画に大ヒット。

乙女ゲーでは幕末ものが定番ですし、『青天を衝け』を見て、志士に憧れる人も当然いる。

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だからなんだ? 単なる趣味の問題だろう……とも言い切れません。

コロナ禍に苦しめられている日本で、こんな疑念を感じた方は少なくないでしょう。

「なぜ政治家はやたらと会食やパーティをしたがるんだ! 医師会だけじゃなく、かつてはメディアとも豪華な食事をしていたような……」

こうした疑問に対し、取材する側は「食事の席でこそ本音を引き出せる」云々弁明をします。

しかしそうでしょうか?

アメリカでは、メディアが政治家にコーヒー1杯を奢られても癒着となるとされるのに、なぜ日本は特殊なのか?

このヒントが幕末志士の世界にあると言われたところで、陰謀論の類と思われるかもしれませんが、そういうことでもありません。

幕末の京都において、前述の通り、志士はテロリズムを繰り返しました。

往来には人間の切断された指が落ち、血の痕と刀疵が橋の欄干に残るような時代です。生き晒しにされるたり、晒し首にされたり……大変な日々でした。

究極の災難は元治元年7月19日(1864年8月20日)に発生した【どんどん焼け】でしょう。

禁門の変】で京都を戦場にしたため、火災が発生したのです。

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会津目線の『八重の桜』では会津藩士・山本覚馬が京都の人々から憎まれる描写がありました。

むしろ治安維持をしている京都守護職の会津藩なのに、どうしてこうも反発されるのか?

覚馬がそう戸惑う姿が印象的である一方、長州藩目線の『花燃ゆ』では「京都の人々は長州贔屓だ!」と誇らしげに描かれていたのです。

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なぜそんなことになったのか?

答えは簡単、長州藩士は京都の街に金を落としました。常連の太客ですから、悪口を言わないのは当然です。

このことから明治政府元勲は学びました。

世論を餌付けすれば思うがままに動かせる。

明治時代からは新聞が発行されましたが、中には政府広報のようなメディアもありました。

治安維持法や大本営発表を待つまでもなく、持ちつ持たれつによって日本のメディアは弱体化していったのです。

なぜ維新の志士を悪く言うのか?

もしかしたら、そんな風に憤慨された方もおられるかもしれませんが、全体を捉えるように俯瞰していただければ幸い。

そもそも維新の志士たちの英雄像も正しいものでしょうか?

小説、ドラマ、映画、漫画、ゲーム。

元々はエンターテインメントに過ぎないものですが、明治以来のプロパガンダが影響していないとは言い切れない。

前述の通り、勝った側は好きなように盛れるものです。

『新選組!』が大河ドラマになった際、国会で「あんなテロリストを英雄として大河にするのか」との質問がありました。

『八重の桜』放映時には、大物政治家が不満を漏らしたと報道されました。

『花燃ゆ』放映時には、あれはよい大河だと大物政治家が自慢していたともされます。

『西郷どん』は明治維新150周年にあわせて放送されました。

幕末作品は、どうしたって政治とは切り離せない縁がある。

会津藩の家老に田中玄清という人物がいます。

『八重の桜』では佐藤B作さんが演じましたが、その子孫である田中清玄は司馬遼太郎の作品を「薩長の言い分を喧伝するもの」と評しています。

幕末志士の美化において、彼の果たした役割は大きく、かつ批判的な検証が根付いているとも言い難い。

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もちろん闇雲に批判せよ、とは思いません。

ただ、歴史を見直す必要はあるのではないでしょうか。

歴史は、勝者・敗者の両面から見た方が、私達の社会にとっても良いことではないでしょうか。

ヒーロー像として美化されていない志士。

その素の姿や価値観を知ることで私達が得られることもある、そう思う次第です。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから(→link

【参考文献】
芳賀登『幕末志士の世界 (江戸時代選書)』(→amazon
小島毅『近代日本の陽明学 (講談社選書メチエ)』(→amazon
三好徹『政・財 腐蝕の100年 (講談社文庫)』(→amazon
斎藤貴男『「明治礼賛」の正体 (岩波ブックレット)』(→amazon
一坂太郎『幕末時代劇、「主役」たちの真実 ヒーローはこうやって作られた!』(→amazon
一坂太郎『暗殺の幕末維新史: 桜田門外の変から大久保利通暗殺まで』(→amazon
礫川全次『攘夷と憂国: 近代化のネジレと捏造された維新史』(→amazon

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