大政奉還

『大政奉還図』作:邨田丹陵(むらたたんりょう)/wikipediaより引用

幕末・維新

なぜ大政奉還が実施されても戊辰戦争が始まったのか~激突する西郷と慶喜の思惑

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甲州勝沼の戦いに続いて上野、市川、船橋も

慶喜は上野・寛永寺で謹慎しました。

すると朝廷からは慶喜追討の命令が出されてしまいます。

これにより、有栖川宮熾仁(たるひと)親王が新政府軍の総大将として東へ向かい、各地の旧幕府軍と戦うことになっていきます。

vs新撰組の【甲州勝沼の戦い】などが有名ですね。

そしてついに新政府軍が江戸まで迫ってきました。

江戸城では慶喜から後始末を命じられた勝海舟山岡鉄舟、薩摩出身の篤姫、皇室出身の和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)などが新政府軍との折衝にあたりました。

これに西郷隆盛が応じたことにより、江戸城は血を流すことなく新政府軍へ明け渡されます。

西郷隆盛と勝海舟の会談を描いた『江戸開城談判』作:結城素明/wikipediaより引用

旧幕府軍のうちいくつかの小隊があくまで新政府軍に抵抗しました。

上野戦争】や【市川・船橋戦争】などです。

ちなみに、上野戦争が起きた頃、慶喜は水戸で謹慎していました。

一旦は家臣たちに戦争を仕掛けさせておきながら、自分だけは「常に後方にいる・前に出てきていない」あたりが、彼の評判を大きく落としていたのでしょう。

 


御誓文と掲示

一方そのころ京都では【五箇条の御誓文】が出され、改めて新政府のモットーが示されました。

さらに、この内容をもう少し庶民向けにした【五榜の掲示】も出されています。

「榜」は立て札のことです。日本では古代から、庶民向けの広報は立て札で示されていたので、その形を踏襲したものでした。

現代でも町内会のお知らせなどが道端の掲示板に貼られることがありますが、そんな感じです。ある意味、歴史的な方法なんですね。

この二つも見分けがつきにくい用語ですが、特徴だけまとめると

【先】五箇条の御誓文

明治天皇による天への誓約 語尾が「~ベシ」(一条だけ例外あり)

【後】五榜の掲示

→明治政府から庶民へのお知らせ 語尾が「~事」

こうなります。

「戦線を追いかけるような形で、明治新政府は新しい世の中の下準備を進めていた」といえるでしょう。

五箇条の御誓文・原本/wikipediaより引用

 


旧幕府軍は北へ北へ そして箱館戦争で終焉を迎える

東日本では戦争が続いていました。

東北では「会津藩の朝敵認定を何とか取り消してもらおう」という意見が強まり、仙台藩を盟主とする【奥羽越列藩同盟】ができます。

しかし、山を超えた先にある越後では、河井継之助の活躍する北越戦争が行われており、その余波で東北でも戦闘が始まってしまいます。

奥羽越列藩同盟vs明治新政府軍の戦いは各所に及び、まとめて東北戦争と呼んでいます。

これまた有名な会津戦争や白虎隊の悲劇などもここに含まれるものです。

東北戦争もやはり新政府軍の勝利に終わりましが、同盟側の敗残兵に江戸城の明け渡し等を済ませた榎本武揚らが合流し、箱館(函館)で最後の抵抗を試みます。

これが箱館戦争です。

こちらは新撰組副長・土方歳三の最期の戦いとしても有名ですね。

土方歳三/wikipediaより引用

過去に当コーナーで取り上げた中では、幕府に協力していたフランス軍人ジュール・ブリュネらも参加しています。

榎本らが降伏したことで、戊辰戦争はようやく終わりました。

関ヶ原以来となる日本全国での大戦だった割に、一年半で全てが終わったのは奇跡的かもしれません。

他の国でこの手の戦争が起こると、数十年かかることも珍しくないですからね……近いのは南北戦争(だいたい四年)くらいでしょうか。

まぁ、戦場となってしまったエリアの住民は酷い目に遭わされているので、何にせよ武力倒幕というのが良かったのか疑問には残るところです。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典「大政奉還」等
大政奉還/wikipedia
五箇条の御誓文/wikipedia

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