弘前公園の桜

文化・芸術

勘違いだらけな日本の伝統~桜に香り無く 相撲は潰れかけ 着物は気軽な服だった

一月は神社で初詣して成人式。
二月には恵方巻を食べ。
桜の季節には、桜の香りのシャンプーを使う。
夏にはお中元があり、秋には七五三。
そして年末でお歳暮――。

いかにも伝統に満ちた日本の一年です。しかし……。

この伝統って、実はそんなに歴史がないものだったら?

例えば恵方巻は、つい数年前まで生粋の関東人には存在すら知られておりませんでした。

今となっては、もう巻けば何でもオーケー牧場状態で、ロールケーキまで出てくる有様。

難しいことはいい。
皆で楽しく季節感を味わえばいいじゃない♪

そんなことに突っ込むなんて野暮……そう言えばそうなのです。

しかし、です。
こうしたアヤフヤな「伝統」は、本物の「伝統」として楽しむだけでよいのでしょうか。

本当に弊害はないのでしょうか。
実は、そうとも言い切れないような気がしてならないのです……。

 

桜の香りとは伝統なのか?

日本古来の伝統――その一年からまずは「春」を考察してみましょう。

桜の季節には、桜の香りの化粧品を楽しむ。
そんな動きがすっかり定番になりつつありますが、そもそも桜の花の香りって、どういうものでしょうか?

むろん桜に全く香りがないわけでもありません。
桜餅はじめ、菓子には利用されております。

ただ、桜の葉そのままでは香りが出せない。塩漬けにする過程を経て、やっと出せるのです。
しかしその香りにしたって、花本来のものではありません。

こんなことわざがあります。

『梅は香りに桜は花』

香りが最も優れた花は梅。
見た目が最も優れた花は桜。
桜の花に梅の香りがあれば最高なのに――そんな意味のことわざです。

梅のように、花に顔を近づけても香りがするわけではない。
桜に対する伝統的な意識とは、こういうものでした。

ソメイヨシノはほぼ無臭です。
品種によっては香りがあるものがないわけではありません。

ただ、それも意図的な品種改良をして生み出されたものです。

伝統的に桜は無臭なのです。

では桜の香りの化粧品とは一体何か?
香水の説明文や成分を見てみますと、ある程度決まった原材料があります。

どんな植物でもそのままでは香料にはなりません。
薔薇の香水にせよ、薔薇の花びらを絞って終わりというものではありません。

化粧品の桜の香りとは、調香師が「桜ってこういうイメージがあるよね」と考えつつ作り上げたものです。
原材料に桜は含まれていない。当然といえばそうなのです。

【参考引用】

◆ゲラン アクア アレゴリア フローラ チェリージア オーデトワレ
「フローラ チェリージア」は、爽やかなベルガモットとフルーティなウォーターメロンの心躍るようなハーモニーで始まります。ハートに香るのは、甘酸っぱいチェリーブロッサム。さらにナシの香りが、開花して間もない桜のようにみずみずしさを添えます。ラストを飾るのは、ホワイトムスク。そよ風に乗って桜の香りが漂うように、繊細で柔らかな余韻を残します。

→アクアアレゴリアとは「水のおとぎ話」という意味です。香水はイメージですよ、と最初から断っております。ミツコという香水は、光子さんという女性の体臭を再現したわけではありませんよね。これだってそういうことです。

◆ロクシタン チェリーブロッサムソフトハンドクリーム
桜の花びらのようになめらかな手肌に整えるハンドクリーム。きゅんとする初恋の甘ずっぱい香りを、シアバターの潤いに閉じ込めて、いつでもどこでも指先に。

→桜の花びらはハンドクリーム効能の説明。香りそのものは、きゅんとする初恋イメージなのです。

「明るくリッチ感のあるシャインニングフローラルの香り」みたいなものです。
実態はない、イメージとして使っているだけなのです。

こうした、桜をイメージした化粧品や食品が悪いわけではありません。
ただ、行き過ぎなければの話ではないでしょうか?

桜の花の実物を見て、
「なんだ、この桜はあの香りがしない! きっと偽物なんだ!」
と言い出す誰かがいるとすれば?

私もそんな人はいないと思いたかったのですが、桜をうたった化粧品のユーザーレビューには、
「本物の桜の花の香りとは違います!」
というものがありました。

本物の桜の花には、そもそも認識できるほど香りがないのですが……。どの品種を想定しているのでしょうか。

作られた伝統が、人間の意識まで侵食するとなれば、これは危険です。

 

消えた「嘉祥(かじょう)」

記事を書くために調べ物をしていて驚かされることはしばしばあります。
今からあげる一例もそうです。

どうしてこの伝統は消えたの?
今もあればいいのになぁ、盛り上がるのになぁ!

そう痛感したのが、「嘉祥(かじょう・嘉定とも)」です。

和菓子を験担ぎに食べる楽しい行事で、江戸時代は武家から庶民まで楽しんだものでした。
現在も6月16日に「和菓子の日」として残されているものの、バレンタインデー、ハロウィン、そしてクリスマスと比べて存在感があまりに薄い。

信長・秀吉・家康たち天下人に愛された「菓子」そして甘美は全国に広まった

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この行事は、盛り上がる要素が揃っております。
宣伝次第ではバレンタインデーのように盛り上げられてもおかしくないはずですが……。

ざっと見てみますと。

・安価で済む。和菓子を買えばよいだけ!
・好き嫌いが生じにくいし、むしろチョコレートより気軽では?
・伝統だってバッチリある!
・土用の丑の日よりも歴史的な由来がしっかりしている!
・食べるのは絶滅危惧種でもない。食のタブーやアレルギーも工夫次第で避けやすい! ハラル、ヴィーガンも対応可能!
・宗教も絡まない!

むしろ今こそプッシュしたい行事です。
そもそも、廃止しなくてよかったのに。そう思いませんか?

私なりに考えていて、なんとなくわかってきました。
この行事は、家康が由来であり徳川の将軍権威と密着しているのです。

「家康を称える行事ぃ? んなもん要らんだろ」

明治政府がそう考えてもおかしくはありませんか?
それはいくらなんでも強引でしょうか?

無根拠な妄想であればそれはそれでよい話。
されど根拠となるような歴史も残っているからどうしても頭に浮かんでしまう。

では、その根拠をピックアップしてみたいと思います。

 

伝統、明治の取捨選択

日本の伝統とは、実は明治以降のものが多いものです。
では、そこにはどんな背景があったのか?

まず一つ目として、政治の要素があります。
明治政府の意向は取捨選択から見えてきます。

【武家の文化は不要】
【特に江戸幕府権威の象徴はいらない】

明治維新を迎えた人々にとって、武士にはアンビバレントな感情が渦巻いていました。
もう武家社会は不要だと社会変革が起こったわけですが、果たしてそれはよいことだけであったかどうか、考えなければなりません。

・藩の規模や家格によって決まる身分社会を否定せねばならない
→徳川の権威は否定されます。日光東照宮の破壊という最悪の事態は、明治天皇の反対もあって実現しませんでした。

・刀は不要
→生活様式の変貌や幕末の動乱の影響もあり、刀は避けられる傾向がありました。その結果、刀は破棄、海外へ流出する結果に。

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・城は不要
→会津城のように戦争による破損も深刻。そもそも藩の政庁ならば不必要。破壊対象とされ、跡地は広いだけに軍事施設等に転用され、遺構が破壊されてしまったのです。
移築と転用もなされ、上田城はなんと遊郭に再利用されてしまいました。

上田城址の夕景

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・廃仏毀釈
→日本史上で最悪といえる伝統の破壊です。神道vs仏教という対立は、かえって物事を見えなくする部分があります。戊辰戦争では、会津藩祖を祀る土津神社が焼かれました。神社ですから、当然のことながら神道です。

そもそも戊辰戦争は「そこまでやる必要があるかどうか疑念だ」として当時から下策とされた強引なものでした。

【武力倒幕】は岩倉や薩摩藩ですら下策としていた なのにナゼ西郷は強引に?

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そしてその痕跡には、人命の損失だけではない、インフラや文化財の破壊も伴っていたのです。

文化や伝統が破壊されるアイデンティティクライシスは、人心の荒廃を招きます。
武家由来の伝統が日本全国一律で破壊されたのであればともかく、そこに取捨選択があるところに複雑な問題が出てきます。

その一例が藩校でした。

教育機関であり、精神的支柱でもあった藩校。
会津藩日新館は戦災で燃え尽き、そのまま再興されませんでした。

授業中でもケンカ上等!? 会津藩校「日新館」はやはり武士の学校です

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長州藩の藩校と比較しますと、その違いが見えてきます。

・長州藩明倫館
明治3年(1870年)萩中学校開校。現在の山口県立萩高等学校前身

・会津藩日新館
明治15年(1882年)、有志により藩校日新館の流れを汲む私立日新館開校するも閉鎖、明治21年(1888年)、有志の資金を集め立会津中学校開校。現在の福島県立会津高等学校前身

 

伝統には地域差がある

このように「伝統」と一口に言いましても、地域や政治的な背景によって、違いが生じているのです。

別に明治政府がとにかく悪いと言いたいわけではありません。
徳川幕府も、豊臣はじめとする西軍側の権威を否定しております。

そこをふまえて、伝統には地域差があることを理解していくのがよいのではないでしょうか。

会津藩の話に触れましたので、かの地で発生した「埋葬論争」も併せて見てみます。

実際には「埋葬を禁止していなかった」にも関わらず、消えぬ怨恨が残ったのはなぜなのか?
そこには、東西の埋葬慣習の違いがありました。

江戸期を通して、人々の埋葬への意識が変貌しました。
戦国時代の合戦のあとは、遺体を放置しては危険極まりないものがあります。まとめて埋葬されました。

しかし、江戸時代となると遺体が戦闘によって大量発生することは発生しにくくなります。
そうなると、罪人の遺体は晒し者にすることが慣習として定着するのです。

戊辰戦争の最中において、これが恐ろしい結果をもたらしました。

朝敵であれば、遺体は埋葬せずに放置してもおかしくはない。
だが、それはあまりに酷である。
とはいえ武士がそんな埋葬をするわけにはいかない。

賎民にやらせよう――そんな意識があって遺体が放置される最中、やくざ者たちが遺骸の埋葬に動員された背景があります。
清水次郎長が典型例です。

幕末の侠客はエクスペンダブルズ=使い捨て『幕末ハードボイルド』が凄まじい

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こうした賎民が埋葬をすべきであるという考え方は全国的にあったものの、西高東低傾向がありました。

会津戦争の後、西日本からやってきた西軍は、賎民による戦死者埋葬を【伝統として】選択します。

しかし、東軍の会津藩士からすれば侮辱そのものでした。
武士として誇りある戦いをした者を、賎民に埋葬させるのは侮辱であると反発したのです。

【西軍】
・死者は朝敵=罪人である
・埋葬は賎民がすることが慣習である
・適切な埋葬処理を出したという認識

【東軍】
・死者は殿のために殉じた、罪人ではないはず
・埋葬を賎民がするとはもってのほか!
・なんて酷い埋葬だ、侮辱的ではないか! 悪意があったのか?

こうした東西の意識が表面化し、互いに嘘つきだ、大袈裟だと言い合い、それが「埋葬否定論」へとつながってゆくのです。

会津戦争の『遺体埋葬論争』に終止符を……亡骸の埋葬は本当に禁じられた?

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伝統の齟齬は厄介であり、地域差が論争を生み出すこともあります。
幕藩体制を経た日本では、全国一律の伝統はむしろ少なくてもおかしくはありません。

雑煮の具材だって、地域差がある。
これは江戸期の歴史が影響しています。
全国一律の伝統は、明治以降に作られたのではないかと疑ってみると、理解がスムーズになるのです。

雑煮の歴史で納得~全国へ拡大したのは江戸幕府のアノ制度が影響

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明治以降、日本全国一律となった伝統とは何か?
そこには明治政府の意向があり、伝統の取捨選択があるのではないか?

そしてこうしたことは、現在に至るまで大きな影響を及ぼしています。

・夫婦同姓
・女性天皇が誕生できない皇位継承問題(旧皇室典範)
靖国神社と護国神社
→日本で全国的に神社で死者の魂を英霊とする【伝統】はなく、長州藩の形式を全国に適用したものでした。
→天皇を守った死者を慰霊するという前提も、問題がつきまといました。「禁門の変」で御所を攻撃した側が慰霊されているのです。「靖国問題」は明治時代から存在するものなのです。

禁門の変(蛤御門の変)御所に発砲した長州と天皇の意を汲んだ会津の因縁が

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相撲の「女人禁制」
→古来の伝統でもなく、西洋諸国から野蛮と思われたくないという思想が背景にあります。

大相撲で土俵の女人禁制は歴史的におかしい 相撲協会に求められる改革とは

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国家や国民が伝統を取捨選択すること――同時に考えねばならない視点があります。

アイヌや琉球の伝統を「日本国民として同化すること」という視点で否定してきたことです。

アイヌや琉球の墓地からの、研究目的の遺骨盗難。
言語や文化の否定。
狩猟や葬儀といった伝統文化が、日本の文化や法体系にそぐわないとして否定されること。
日本人とは何なのか?
捕鯨は伝統だと行いながら、アイヌの鮭漁を禁止するのはありなのか?

考えていかねばならない問題でしょう。

 

国技ってそもそも何だろう?

相撲の女人禁制についてもう少し見てみたいと思います。

伝統を取捨選択するには西洋への意識があったことに着目。
実は女人禁制どころか、相撲そのものが裸体が野蛮であるとして、明治維新後滅ぼされかけております。

明治天皇の阻止や、相撲側の様々な働きかけにより、明治維新からやっと十年を経たあたりでなんとか危難を乗り越えたのです。

相撲の歴史は意外の連続!1500年前に始まり明治維新で滅びかけていた!?

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相撲は奇妙なことに、皇室の愛好もあってか【国技】として伝統の権威をまとってゆきます。

この【国技】もちょっと気になるところがありまして。
【国技】の初出は19世期初頭、武士が「囲碁」をそう呼んだものだというのですから、混乱してきます。

スポーツですらない。
囲碁の起源は中国大陸です。

狩野永徳による囲碁の絵/wikipediaより引用

※囲碁は日中韓で熱い!

では【国技】とは一体何なのか?
混乱してきますよね。

相撲が危難を乗り越えたあと、日本も国家的な危難を乗り越えます。
明治末、日露戦争で辛勝をおさめたのです。その実態は英米のまとめた講話での引き分けであったのですが、国民感情はそうなりません。

日本は素晴らしい!
あれも、それも、これも武士道だ!
そんな高揚感が日本に燃え上がります。

「日本人の伝統的な競技だ! 天皇陛下もお好きである、これはもう【国技】!」

そんなブームが起こり、明治42年(1909年)、相撲の屋内競技施設建設のタイミングと一致しました。

それまで屋外であったため天候の影響があった相撲が、常に興行できるようになる画期的な話です。
ブームにのっかって、その競技施設は「両国国技館」となりました。

実は明治から大正にかけて、日本では「地名+国技館」建設ラッシュがありました。それが震災や戦災を経て、再建されながら残ったものが「両国国技館」というわけです。

相撲=国技という伝統はちょっとなんだか変……因果関係が逆ですね。
【相撲が国技だからこそ、その競技施設が「国技館」なのである】
ではなく、
【日本に複数あった「国技」、各地にあった「国技館」のうち、相撲が残って名を残す結果となった】
ということです。

由来はともあれ、大相撲そのものの価値は低くなるわけではありません。
ただし、「国技だから他のスポーツよりえらいぞ!」と言い出すとそれは危険なのです。
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