前野良沢

前野良沢/wikipediaより引用

江戸時代 べらぼう

「蘭学の化け物」と称された前野良沢『解体新書』翻訳者の知られざる生涯とは?

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蘭学の化け物として『解体新書』を世に出す

こうして翻訳を始めるうちに、杉田玄白前野良沢のことをしみじみ奇人であると感じました。

良沢が語った大叔父・宮田全沢がまず変人です。

「いいか、世の中には廃れるものがある。こういうことこそ習い覚えて、後世に残すのだぞ」

良沢はその教えを実践し、例えば一節切(ひとよぎり)という笛も熱心に習いました。尺八のような楽器であり、実際の音色は以下の動画よりお試しください。

 

人のやらないことをあえてやる――そんな志があった良沢ですので、世の中を先取りする『ターネル・アナトミア』の翻訳も、その一つだったのでしょう。

良沢はオランダ語も熱心に習得しました。

そのせいで「職務怠慢ではないか?」と、主君の奥平昌鹿に訴える者もいたほどです。

しかし、良沢は主君に恵まれました。

「治療もむろん責務であるが、後世、有益になる医学知識を残すこととて、仕事といえるのだ。それにあれは変わったところがある。好きなようにさせておきなさい」

この奥平昌鹿という中津藩主は革新的な人物で、医学書を買い、捺印したうえで良沢に与えたこともありました。

NHKドラマ『風雲児たち』では、栗原英雄さんが奥平昌鹿を演じていましたね。

奥平昌鹿/wikipediaより引用

名君の下であればこそ、前野良沢は大事を成し遂げることができたともいえる。

良沢は後に「蘭化(らんか)」と自称するようになりますが、これは主君の昌鹿がこう呼んだことに由来します。

「まことに前野良沢は、蘭学の化け物であるのう」

戯れにそう呼んだものでありながら、真実を突いているでしょう。

強烈な粘り強さ、修練、一日たりとも怠らぬ努力――このオランダの化け物がいたからこそ、3年5か月を費やし、安永3年(1774年)『ターヘル・アナトミア』を翻訳した『解体新書』は生まれたのです。

解体新書

解体新書/wikipediaより引用

しかし、完璧主義者で『解体新書』の翻訳に十分納得ができなかったのか、出版時に前野良沢の名前は出されることはなく、杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周のみが知られました。

前野良沢の業績は、玄白が『蘭学事始』に記したことで世に広まったのです。

そして享和3年10月17日(1803年11月30日)、娘の嫁ぎ先である医師・小島家で没しました。

享年81。

晩年は中風に悩まされるも、蘭学への熱意は持ち続けていたと伝わります。

 

後世に残った業績と顕彰

幕末の中津藩に、西洋への興味関心を強く抱く武士が出てきます。

あの福沢諭吉です。

若き日の福沢諭吉/wikipediaより引用

この頃はさらに時代が進み、オランダ語だけではなく、英語も学ばねばならないと悟った福沢諭吉。

幕臣として歯がみしながら、倒幕の情けない顛末を見届けると、彼は教育者として明治を生きることとなります。

そんな福沢は、同郷の偉大なる先人である前野良沢の顕彰を進めました。

好奇心。

集中力。

根気。

様々な美点を持った先人がいたからこそ、日本の今の姿はある。

その業績は医学のみにとどまらず、日本を先に進めた。

そう讃えたのです。

確かに前野良沢は時代を先んじた人物でした。

幕府が海禁政策をとったところで、藩主の裁量次第であり、奥平昌鹿のような主君がいれば扉は開かれました。

この流れは幕末において大きく歴史を動かします。

【幕末の四賢公】も、西洋に対する目が開かれていました。

良沢が高山彦九郎と親しかったことも興味深いところです。

変人としてだけでなく、大志ある人物とされていた彼は、志士のロールモデルとなった。薩摩藩士・有馬新七は「今高山彦九郎」と呼ばれていて、それが自慢の種でもありました。

前野良沢の弟子である司馬江漢は、西洋画の技術を取り入れた絵師として名を残しました。

同じく弟子の大槻玄沢は蘭学者と翻訳者として、様々な業績を残しています。

幕末へと向かう時代の中、その魁となった人物の一人として、前野良沢はやはり特別な存在と言えるのです。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
杉田玄白著/片桐一男訳『蘭学事始』(→amazon
片桐一男『杉田玄白 (人物叢書 新装版)』(→amazon

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