枕絵(春画)

柳川重信の春画/wikipediaより引用

江戸時代 べらぼう

『べらぼう』蔦重が歌麿に描かせようとした「枕絵」江戸土産にもなった春画の歴史とは

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
枕絵・春画
をクリックお願いします。

 


男余りの江戸にて 高まる春画事情

印刷物で人々の生活を描く――そんな浮世絵も春画と共に進歩しました。

浮世絵とは、需要にあわせて描き、あくまで利益が目的の商品です。

つまり需要があれば何でも描くよ! ということで、売れっ子の浮世絵師たちも春画を手がけることが当たり前となってゆきます。

近世は、夜遊びが庶民にまで広まっていく時代でもあります。

夜間照明をつけて、着飾った女たちを定まった場所に置く。

そんな経済的な余裕ができ、徳川幕府は男女比が極端に偏った江戸に吉原という公認遊郭設置を許しました。

夜でも煌々と灯りがゆらめく吉原は、近世の象徴といえるのです。

葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用

となれば吉原が格好のネタ元になるのは自然の流れであり「そこでは一体どんな痴態が繰り広げられているのか?」と想像を膨らませる春画が描かれました。

江戸時代初期の春画は、若衆との場面が多いことも特徴。

中世の気風が残る頃は若衆との恋こそ憧れの的だったのです。

男女比が歪な江戸では機会的同性愛も盛んであり、そうした実情を反映したのでしょう。

男性のみならず、女性同士の同性愛ポルノが本格的に見られるようになるのも、江戸時代からのことでした。

 


フルカラー春画があふれる時代へ

浮世絵の歴史において大いなる転機といえるのが【錦絵】です。

平賀源内が発明したとされ、鈴木春信が生かしたともされる錦絵は、多色刷りの鮮やかな色使いが売り。

相性抜群だったのが【美人画】でした。

神絵師の描くエロチックな作品が見たい――そんな欲求は今も昔も変わらず、作風も絵師ごとに異なりますので、自分好みの二次元彼女を求めたのです。

そんな美人を描くうえで、喜多川歌麿が話題をさらったのが「生々しい作風」でした。

ライバル絵師である鳥居清長や、鳥文斎栄之は八頭身でスレンダーな、モデルのような美女を描いています。

鳥居清長『雛形若菜の初模様 大文字屋内まいずみ』/wikipediaより引用

一方、歌麿は、対象の女性をアップで描くことにより、性格や表情まで感じさせ、息遣いすら伝わってくるかのような美人画に仕立てました。

喜多川歌麿『教訓親の目鑑 俗ニ云ばくれん』/wikipediaより引用

歌麿の絵を見て、江戸っ子はどれほどドギマギしたことか。

だからこそ、もっと過激な歌麿の枕絵も手に入れてえ――そんな需要は確実に生じることがご理解いただけるかと思います。

蔦重のような版元たちは、江戸っ子たちの需要を読み解き、先手を打ってこそ。

美女の描き方だけでなく、様々なバリエーションが生まれてゆきます。

高級感のある豪華なものから、庶民的な粗末なもの。

ほのぼのとした夫婦生活から、王朝貴族の戯れ。

美女のはだけた裾からちらりと局部が見えそうなものから、局部を名所に見立てた奇抜なもの。

ありとあらゆる作品が、江戸に咲き誇っていました。

浮世絵は当時定番の江戸土産でもあります。魅惑的な春画もその一つ。江戸のエロスは紙を通して全国へ広がってゆきました。

版画だけでなく、肉筆春画も流通します。

版画の普及により差別化がはかられ、ますます高級感が増したものとして、懐に余裕のある好事家が有名絵師に描かせるようになったのです。

肉筆春画は、まさしく粋人のひそかな楽しみであり、顧客には大名も含まれていました。

春画は大っぴらに市場流通をさせられないため、価格を釣り上げて高級路線展開しやすい特徴もありました。ゆえに原価をかけられるため、眩いほど豪華な作品も、生み出されてゆきます。

こうした状況は、絵師にとって“憧れ”でもありました。

いわばマスメディアである浮世絵は、数多く販売するため常に売れ筋を考え、描き続けなければならない。版元も絵師も消耗するものです。

一方、肉筆画は思うがままに描ける。

売り上げなど気にせず、大名のために一点物の高級肉筆画を描いて過ごすなんて、なんとも優雅な老後ではありませんか。

絵師にとって理想の楽隠居とは、肉筆画を描いて過ごすことでした。

 


絵師は別名義で描く

享保元年(1716年)の【享保の改革】で好色本が規制されました。

それでも抜け道はあります。

むしろそうした状況を逆手に取り「広く普及できないからこそ、かえって心のままに描ける」とは、劇中で蔦重が述べた通りです。

現在まで名の残る有名浮世絵師で、春画を手がけなかった方がむしろ珍しい。

歌川派の祖である歌川豊春くらいでしょうか。

その門人であり、東洲斎写楽に勝利を収め、歌川派を押し上げた歌川豊国も、晩年には春画を手がけています。

歌川豊国像(歌川国貞作)/wikipediaより引用

肉筆画は規制されない。絵師たちも別の筆名を用いて描き続ければ、通ってしまう。

それでいてファンならば「この絵は◯◯先生の作だな」と見抜ける名前にすることがお約束です。

では具体的にどんな別名義があったのか、見てみましょう。

◆歌川国盛→淫水亭好開

開き直ってますね

葛飾北斎→鉄棒ぬらぬら

北斎は筆名もよく変えておりますが、毎回奇抜なセンスを見せつけます

◆渓斎英泉→淫乱齋/女好軒

本気でエロに取り組みたい気合いを感じます。個性の強い作風のためか、好みが分かれると評されながらも、妖艶さにおいては随一。何がなんでも淫乱を極めたい、そんな気合いがみなぎっている絵師です

歌川広重→好重

「好色な広重」って本気で隠す気ありませんよね?

歌川国芳→白猫斎よし吉野/五猫亭程よし等

猫好きで知られているため「猫」と入れれば判別できたとか。国芳の場合は猫を題材にお色気路線も描いております。

規制はあっても実際は無きに等しいものだったんですね。

※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >



-江戸時代, べらぼう