ロシアを熊に見立てた世界地図/wikipediaより引用

ロシア 明治・大正・昭和時代 ゴールデンカムイ特集

日露戦争は勝利に非ず!? ゴールデンカムイの帰還兵たちが翳を背負うのはナゼ

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昨今大人気の漫画『ゴールデンカムイ』は、日露戦争直後の北海道が舞台。
登場人物の多くに、日露戦争従軍経験があります。

しかし、この物語。
大勝利であったハズの日露戦争について、勝利の喜びに浸る者はほとんどおりません。

それどころか、皆トラウマや苦い思いを抱え、政府の対応に大きな不満を抱き、反乱を企てる人物すら出てきます。

第1巻の3話から、こんなシーンがあります。

銭湯の客「兄ちゃんたちが戦ってくれたから 日本は南樺太を取り返せた おかげでこの港町はこれからもっともっと栄えるだろう 本当にご苦労様でした」
杉元「……儲かるのは商人だけだろ」(ゴールデンカムイ 第1巻より)

なぜ、主人公の杉元はじめ、皆そのような不満を抱いていたのか。

実は歴史的に見て日露戦争は、勝利でも当時の国民が素直に喜べない――そんな苦さが残ったのです。

 

薄氷の勝利

幕末以来、北方ロシアの脅威をひしひしと感じていた日本。
明治3年(1870年)になると、ロシアが樺太のクシュンコタンを襲撃しました。

日本政府は、その処遇に困り果てました。

そんな最中、日露問題に介入してきたのがイギリス公使ハリー・パークス
彼はコップを投げつけ砕きながら、こう語気を強めてきたと言います。

「樺太なんて、古船一艘の価値もない土地です。ロシアにくれてやればいい。樺太問題でロシアと揉めたら、日本の運命は、このコップのようになりますよ」

かくして明治8年(1875年)、日本政府とロシア帝国の間で「樺太・千島交換条約」が成立し、樺太はロシア領となりました。
そしてその後、日露間は多くの権益で対立を激化させ、ついに日露戦争が始まりました。

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ロシアは当時、止まらぬ帝国崩壊の流れに苦しんでいました。

欧米列強の中でも”Russian Bear (ロシアのヒグマ)”として恐れられていたとはいえ、その中身は満身創痍。
日露戦争は、ロシアというヒグマに、日本という小さなクズリが噛みついたようなものかもしれません。

確かに勝利はした。
されど日本側の損害も小さくない。

まさに薄氷を踏むような勝利でした。

※傑作映画『二百三高地』を見れば、薄氷の勝利だったとよくわかります

 

もはや戦争遂行能力はない

1905年(明治38年)3月、「奉天会戦」。
日本軍の勝利で、この戦いは終結しました。

大山總司令官ノ奉天入城/wikipediaより引用

しかし、児玉源太郎は勝利を喜ぶことすらできません。

ここまでで動員兵力は108万人。
戦費は20億円。
戦死傷者は20万人。

さらに続けば、一年で25万人の兵士と、15億円の戦費がかかってしまう。

そこまで動員する余力がないのは明らかでした。

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そこで、なんとか「奉天会戦」勝利の中で、講和に持ち込まねばならない――日本側は、そう考えていたのです。

講和会議に挑んだのは小村寿太郎。
アメリカへ旅立つ小村は、盛大な見送りを見てこうつぶやきました。

「戻ってきたときは、逆の反応をされるでしょうな……」

そのとおり、小村の嫌な予感は的中するのです。

小村寿太郎/wikipediaより引用

 

腐っても大国ロシア 賠償金を取れるどころの話ではない

振り返ること10年前。
1894年に始まった日清戦争に勝利した日本は台湾を得て、賠償金も獲得しておりました。

今度もそうなるだろう。
国民は皆、胸を躍らせておりました。

当時の国民は、ロシアから

◆樺太・カムチャッカ・沿海州全部の割譲
◆賠償金30〜50億円

これぐらいの戦利品はもらえるだろうと踏んでいたのです。

政府の苦しい実情を知らない庶民は、新聞があおり立てる勝利の熱気を信じ、すっかりそのつもりでした。
一方で小村は、桂太郎のロシアへの要求に賠償金が含まれていることに気づき、ウンザリでした。

「桂の馬鹿が! 賠償金を取れると思っているのか」

小村の前に立ち塞がったのは、ロシア随一の政治家ヴィッテ。
崩壊する帝国の中、数少ない希望といえたのは、彼の辣腕ぶりです。

ヴィッテ/wikipediaより引用

ヴィッテの強硬な態度に困り果てた小村は、このままでは議論は永遠に平行線で講和が成立しない、と政府に電報を打ちます。
明治政府は大慌てで元老と閣僚を呼び、御前会議を開催、領土と賠償金を放棄してでも講和すべし――と小村に伝えたのです。

ニコライ2世も南樺太ならば、と折れました。

 

政治家の暗殺に躊躇はない

ポーツマスでは祝砲が鳴り響き、アメリカやヨーロッパの新聞は、盛んに日本は人道的で素晴らしいと絶賛。
金もいらない、土地もいらない、道義のために戦う日本、素晴らしい、というわけです。

メリットはあった、ともいえます。

・朝鮮半島における日本の優位性確保
・満州からのロシア軍撤退
・樺太南半分の獲得
・大連・旅順の租借権をロシアから得る

粘り腰で交渉した小村の面目躍如した。

しかし、日本国民と新聞は納得しません。

ロシア相手に、こんなに苦労して勝利を得たというのに、たったこれだけ?
冷や水を浴びせられた気分です。

桂太郎の家には石が投げつけられ、愛人宅(お鯉こと安藤照)にまで脅迫状が届けられました。
日露戦争の真っ最中に、親子ほど歳の離れた女を妾とした桂は、人々から酷く憎まれてもいたのです。

その憎悪はお鯉に向けられ、殺人予告までされてしまい、首相官邸に匿われたことすらありました。

晩年、出家した安藤照/wikipediaより引用

戦前の日本人は、奸悪とみなした政治家を殺すことに躊躇がありません。

それだけではおさまらず、ついには暴力事件まで発生します。
1905年9月5日、ポーツマス条約に反対する人々が暴徒と化し、日比谷焼打事件が起こるのでした。

 

帝都初の戒厳令

騒ぎは神戸や横浜におよびました。

電車が焼き討ちにされ、教会には石が雨あられと投げつけられ、ついには鎮圧に軍隊で出動。
検挙者2千人という大事件となります。

暴徒の大半は血気盛んな人夫・車夫・馬丁、当時の都市で最下層の労働者たちでした。
日常生活の怒りや社会への不満が、こうした暴動にぶつけられたのでしょう。

政府は対応を迫られます。

まずは、9月6日、帝都初の戒厳令。外患ではなく、内憂で戒厳令まで出される、まさに異常事態です。

あわせて、新聞雑誌取締令が出されました。
明治政府成立以降、「新聞紙条例」、「讒謗律」という法律により、政府は新聞やジャーナリズムを厳しく取り締まってきました。

言論の自由と弾圧の間で駆け引きが続いてはいたものの、変化の兆しはありました。
明治30年(1897年)には、内務大臣による新聞発行停止権が廃止されていたのです。

ところが、日比谷暴動にともなう戒厳令の中で、それすら反故。
記事だろうが、広告だろうが、暴動を煽るようなものがあれば、即座に取り締まり対象とされました。

戒厳令と言論統制というセットが、国民を縛るようになったのです。
政府寄りの新聞以外は、地方紙まで発刊停止というあまりに強硬なものでした。

ゴールデンカムイの杉元たちが読んでいてもおかしくない『小樽朝報』も、停止されています。

特に厳しい処分を受けたのが『東京朝日』でした。
発行停止期間は15日。
政府批判。非戦論者。彼らの口と筆は封じられていました。

 

もしも、杉元が日比谷の騒動を知っていたら?

マンガを読んでいるときに、ふと考えました。

『もしも、戦地の杉元たちが、日比谷の騒動を知っていたら?』

戦地で日比谷の騒動を知った兵士たちは、
「ふざけんな、てめえら! こっちはやっと生きて帰れるとほっとしているんだぞ。そんなに戦いてえなら、てめえらが満州に来い!」
そういう気持ちだったそうです。まぁ、そりゃそうですよね。

停戦後、兵士たちは日々の食事くらいしか楽しみもないまま、時が過ぎるのを待っておりました。

「最近、全然戦闘がないな」
「このまま戦争は終わるのでしょうか?」
「結局、どっちが勝ったのだろうなあ」
「そりゃ、日本でしょうよ」
「それはわからんぞ……」

というようなことを、兵士たちはひそひそ語り合っていたようです。

こうしたやりとりをふまえて、杉元と銭湯の客の会話を読み返しますと……まあ、そりゃそうだね、と思えてきます。

 

勝利の苦い味

帰国した帰還兵を待っていたのは、熱狂的な歓迎でした。
ポーツマスから戻ってきた小村も、我が子の顔を見ると安堵の表情を浮かべます。

留守中に外務大臣の邸宅が襲撃され、家族が殺害されたという噂が流れていたのです。
顔を見るまで、安心できませんでした。

伊藤博文はわざわざ港まで駆けつけ、汽車で新橋まで話し込みました。

新橋駅では首相・桂太郎と海軍大臣・山本権兵衛が両脇をガード。
もしも刺客が小村を討とうとしたら、三人まとめて死んでもいいから守るという意気込みでした。
殺伐とした空気が伝わって来ます。

日露戦争の苦さは、海外の人々も味わうことになりました。

朝鮮半島では、日本の支配下のもと、現地の人にとっては苦しい時代が始まるのです。
アジアの勝利に湧いたインドのネルーは、日露戦争の勝利を大絶賛したあと、日本はアジアではなく帝国主義の側についてしまった、と苦い回想を残しています。

そしてもちろん、日本国内の人々も……。

日露戦争の苦しい内実を国民に知らせぬまま、講和にふみきった政府。
大衆を煽った新聞や名士たち。
暴動を契機に、厳しい言論統制へと乗り出した国と、それに従うしかない国民たち。

薄氷の勝利だったことを知らず、我々はあのロシアすら倒した!と思い込み、歴史の先へ――。
どこかでボタンを掛け違えたまま、日本という国はこの先の道を歩むのでした。

文:小檜山青

【参考文献】
日露戦争 ―勝利のあとの誤算 文春新書』黒岩比佐子
国史大辞典

 



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