日比谷焼打事件

日比谷焼打事件で襲撃された施設/wikipediaより引用

ゴールデンカムイ 明治・大正・昭和

日露戦争に勝利してポーツマス条約~なのになぜ日比谷焼打事件は勃発したのか

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ポーツマス条約と日比谷焼打事件
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日比谷焼打事件

騒ぎは神戸や横浜におよびました。

電車が焼き討ちにされ、教会には石が雨あられと投げつけられ、ついには鎮圧に軍隊で出動。

検挙者2千人という大事件となります。

条約後、各地に数万人が集まった/wikipediaより引用

暴徒の大半は血気盛んな人夫・車夫・馬丁、当時の都市で最下層の労働者たちでした。

日常生活の怒りや社会への不満が、こうした暴動にぶつけられたのでしょう。

政府は対応を迫られます。

まずは9月6日、帝都初の戒厳令。

外患ではなく、内憂で戒厳令まで出される、まさに異常事態です。

日比谷焼打事件
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あわせて、新聞雑誌取締令が出されました。

明治政府の成立以降、「新聞紙条例」「讒謗律」という法律により、政府は新聞やジャーナリズムを厳しく取り締まってきました。

言論の自由と弾圧の間で駆け引きが続いてはいたものの、変化の兆しはありました。

明治30年(1897年)には、内務大臣による新聞発行停止権が廃止されていたのです。

ところが、日比谷暴動にともなう戒厳令の中で、それすら反故。

記事だろうが、広告だろうが、暴動を煽るようなものがあれば、即座に取り締まり対象とされました。

戒厳令と言論統制というセットが、国民を縛るようになったのです。

政府寄りの新聞以外は、地方紙まで発刊停止というあまりに強硬なものでした。

ゴールデンカムイ杉元たちが読んでいてもおかしくない北海道の『小樽朝報』も、停止されています。

特に厳しい処分を受けたのが『東京朝日』でした。

発行停止期間は15日。

政府批判。非戦論者。彼らの口と筆は封じられていました。

 


戦地で日比谷の騒動を知った兵士は激怒

漫画『ゴールデンカムイ』を読んでいるときに、ふと考えました。

『もしも、戦地で日比谷の騒動を知ったら?』

実際のところ、戦地で日比谷の騒動を知った兵士たちは、こんな風に憤っていたようです。

「ふざけんな、てめえら! こっちはやっと生きて帰れるとほっとしているんだぞ。そんなに戦いてえなら、てめえらが満州に来い!」

過酷な戦場に駆り出され、せっかくの停戦を否定されるようなものですから、そりゃそうなりますよね。

停戦後、兵士たちは日々の食事くらいしか楽しみもないまま、時が過ぎるのを待っておりました。

「最近、全然戦闘がないな」

「このまま戦争は終わるのでしょうか?」

「結局、どっちが勝ったのだろうなあ」

「そりゃ、日本でしょうよ」

「それはわからんぞ……」

というようなことを、兵士たちはひそひそ語り合っていたとも。

こうしたやりとりをふまえ、冒頭の漫画のセリフ(杉元と銭湯の客の会話)を読み返しますと……まあ、そりゃそうだね、と思えてきます。

 


勝利の苦い味

帰国した帰還兵を待っていたのは、熱狂的な歓迎でした。

ポーツマスから戻ってきた小村も、我が子の顔を見ると安堵の表情を浮かべます。

留守中に外務大臣の邸宅が襲撃され、家族が殺害されたという噂が流れていたため、顔を見るまで安心できなかったのです。

伊藤博文はわざわざ港まで駆けつけ、汽車で新橋まで話し込みました。

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新橋駅では首相・桂太郎と海軍大臣・山本権兵衛が両脇をガード。

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もしも刺客が小村を討とうとしたら、三人まとめて死んでもいいから守るという意気込みでした。殺伐とした空気が伝わって来ます。

日露戦争の苦さは、海外の人々も味わうことになりました。

朝鮮半島では、日本の支配下のもと、現地の人にとっては苦しい時代が始まります。

アジアの勝利に湧いたインドのネルーは、日露戦争の勝利を大絶賛したあと、日本はアジアではなく帝国主義の側についてしまった、と苦い回想を残しています。

そしてもちろん、日本国内の人々も……。

日露戦争の苦しい内実を国民に知らせぬまま、講和にふみきった政府。

大衆を煽った新聞や名士たち。

暴動を契機に、厳しい言論統制へと乗り出した国と、それに従うしかない国民たち。

薄氷の勝利だったことを知らず、我々はあのロシアすら倒した!と思い込み、歴史の先へ――。

どこかでボタンを掛け違えたまま、日本はこの先、軍国主義への道を歩み始めるのでした。


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文:小檜山青

【参考文献】
黒岩比佐子『日露戦争 ―勝利のあとの誤算 文春新書』(→amazon
『国史大辞典』

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