五代友厚と黒田清隆

五代友厚(左)と黒田清隆/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

五代は死の商人で黒田は妻殺し~薩摩コンビ暗黒の一面とは?

明治33年(1900年)8月25日は薩摩藩出身の政治家・黒田清隆の命日です(正確には23日に没し、25日に公表)。

幕末の騒乱期には薩摩藩士として西郷隆盛を助け、新政府では第2代内閣総理大臣にも就任するなど。

薩長閥でもトップクラスの政治家と言えますが、一方で素行の悪さでも知られており、新政府最初の大スキャンダルとも言える【開拓使官有物払下げ事件】では渦中の人物になっています。

このとき共に糾弾されたのが、朝ドラで一躍話題になった“五代様”こと五代友厚

2021年の大河『青天を衝け』にも登場していました。

五代友厚
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と、そこでふと疑問に思いません?

なぜ、それほどまで偉大な人物が、注目されてこなかったのか。

確かに五代友厚は、朝ドラの影響もあって知名度こそ高くなってきましたが、当人の歴史について大々的に語られる機会は少なく、二代目の首相にまで登り詰めた黒田清隆も同様。

そこで本稿では、歴史作品などでもあまり大々的に扱われない、五代友厚と黒田清隆、「負の一面」に注目してみたいと思います。

 

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パリで暗躍 “死の商人”グラバーと手を組む

2021年の『青天を衝け』は、大河としては『獅子の時代』に続き、パリ万博での様子が描かれました。

メディアを操り、フランスで暗躍した人物が五代友厚。

『あさが来た』では広岡浅子を支え続けていたかのような五代ですが、

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史実においては別の商人と手を組んでいます。

武器商人トーマス・グラバーです。

スコットランド出身のグラバーは明治維新を支えた商人として知られ、幕末期には

「私こそが最大のアンチ徳川」

と、うそぶいていました。

感情的に徳川が憎いという意味ではなく、あくまで武器を売るためです。

南北戦争終結後、アメリカでは武器が大量に余っていました。これをどう売り捌くか?

となれば、幕府と倒幕側で割れかけている日本は最適。

苦労して日本を植民地にするよりも、武器を売っぱらった方が手っ取り早く、実は利ざやまでもが大きい。

そんなグラバーと手を組んだのが五代友厚です。

幕府を倒すためだから仕方ない?

いえ、そんなことはありません。

そもそも幕末において武力倒幕は、既定路線ではありませんでした。

土佐藩は無血革命路線を目指しており、坂本龍馬中岡慎太郎らはその実現に向けて動いておりました。

薩摩藩に重用された赤松小三郎もそうした志を抱き暗殺されてしまいます。

では誰が?

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いずれにせよ日本は戦火に包まれ、死の商人ことグラバーは笑いが止まらない。

五代もそうした商人の一人でした。

パリで幕府の権威を失墜させ、戊辰戦争のために武器を売る。そんな黒い一面がありました。

 

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明治の世で白眼視される五代

明治になると、五代友厚は参与職外国事務掛として政府に登用されました。

しかし程なくして官を辞して下野。

いったい何があったのか?

以前から、薩摩における五代の評価は散々でした。

「生活があまりに豪奢である」

「わがままで横暴だ」

そうした悪口が悪口で済まないのが明治時代。

桜田門外の変】以来、日本には「気に入らぬものに天誅を下すことこそが正義だ!」という考えが広がっていて、このまま政府に仕えていたら、命の保証すらできない――。

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五代が下野し、大阪へ向かった背景にはそんな事情があったのです。

これは五代本人というより、明治政府の構造に問題がありました。

武力討幕は既定路線ではないと、先程申し上げましたが、それは経済の観点からみても悪手でした。

武器にカネがかかる。

復興にも金がかかる。

それに伴う人的資源、時間も喪われる。

戦争とは最も悪手であることは何も現代での常識ではなく、藩主の父・島津久光も見抜いておりましたし、薩摩藩以外でも武力討幕には慎重な声がありました。

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それを西郷隆盛や大久保利通などの武闘派が強引に押し通したのです。

しかも、です。

多くの血を流し、赤字になるほど軍事費をかけたにも関わらず、明治維新の恩恵は鹿児島にまで及びませんでした。

中央からそれを宥めようとしたのが大久保であり、鹿児島の地で、そんな不満と向き合わねばならなかったのが西郷であり、西南戦争が起きるだけの不穏な材料は当初からあったのです。

そんな薩摩の地からすれば、戦争で儲け、政府でも要職にありつく五代など到底受け入れられません。

大河ドラマ『青天を衝け』では、なぜか渋沢栄一に本音を語っていた五代ですが、あれも同郷の薩摩に語り合える友がいなかったと考えれば、なんとも物悲しいものがありますね。

いや、本当は語り合える郷中仲間もいるのですが、ドラマには出てきませんでした。

五代友厚と同じく、黒い一面もある人物だからです。

それが黒田清隆でした。

 

ときは明治、泣く子も黙る薩摩閥

司馬遼太郎は、鹿児島県の鍛冶屋町を指してこう言いました。

「一町内で明治維新をやったようなもの」

西郷や大久保を筆頭にこの郷中から明治維新を成し遂げた人物が多く輩出され、さらには隣接する町内からも、錚々たる面々が輩出されております。

総理大臣の第4代松方正義。

第8代山本権兵衛

第2代黒田清隆。

そして五代友厚です。

かくも狭い範囲に傑物が同時期に集中したのか?

そんな偶然があるはずもなく、陸奥宗光は嘆きの言葉を残しています。

「薩長の人に非ざれば殆ど人間に非ざる者のごとし」

薩長出身者でなければ、人間扱いされない――とは歴史の授業で習う【藩閥政治】のことですね。

日本の初代総理大臣が伊藤博文であり、その次の2代目が黒田清隆。『青天を衝け』としては非常に重要な関係です。

初代伊藤博文と渋沢栄一のコンビ。

2代黒田清隆と五代友厚のコンビ。

明治政府でも、彼等が重要な役割を果たしますが、いずれも非常にクセが強い者たちばかり。

例えば、渋沢栄一とテロ活動を通じて知り合っていたと思われる伊藤博文のコンビは、激しい女遊びという共通点もある。

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そして五代友厚とバディとなる黒田清隆も、伊藤&渋沢に勝るとも劣らないほど扱いが難しい人物です。

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