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【ゴールデンカムイと函館氷】
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いざ氷を確保せよ
氷ビジネスは画期的でした。
・どこから採取するか
・どう運ぶか
それさえ確保できれば軌道に乗る、つまり金になる。
横浜に氷室を作り、木箱におが屑を詰め込み、いざ、氷の切り出しへ。
しかし、横浜まで運べば成功――と簡単に行かないのは外国から運んでくる氷と同じで、大勢の人が住む場所へ持っていくとなると、結局は大半が溶けてしまいます。
嘉兵衛は採取地を変えながら、諦めずに、何度も取り組みました。
甲斐国、富士山麓、八王子、赤城山、榛名山、日光、釜石……徐々に北上しながら仕入先を探っていくも、どうにもうまくいかない。
嘉兵衛の氷室建設は1861年で、文久年間に突入するタイミング。
・島津久光が京都に入る
激動の時代です。
そんな中、必至に氷を探していた人物がいたのですから、歴史とは興味深い。
失敗を繰り返すうちに、嘉兵衛の財産も目減りしてゆきます。
とにかく儲からないわ、船のコストもかかるわ。
幕臣たちが「幕府存続ができるか、瀬戸際だ!」と焦る中、嘉兵衛も破産か爆儲けかの崖っぷちで焦っていたことでしょう。
元号が慶応から明治に変わり、江戸っ子が幕府の瓦解を大いに嘆いていた慶応元年(1868年)、嘉兵衛は横浜氷会社を設立。
氷への取り組みも、新時代を迎えていました。
注目は幕末の蝦夷地です。
ユニークな存在感を発揮しているこの地は、幕臣や諸藩士にとって定番の左遷地であり、栗本鋤雲や秋月悌次郎も赴任しています。
それまで長いこと長崎だけが異国への抜け道でしたが、蝦夷地もルートとして意識されるようになり、新島襄が密航したのも、函館からでした。
蝦夷地の知識があるのは、京都で政治活動をしていた明治新政府の者よりも旧幕臣たちです。
そんな彼らは、幕府が終わると武士としての俸禄を失ってしまいました。
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下級旗本は、その日暮らしの労働者となるしかないものの、スキルがある者には第二の人生が見出せます。
その中には、嘉兵衛の氷ビジネスに参画する者もいました。
彼らの知識に助けられ、蝦夷地に向かう準備を進める嘉兵衛。
ロシアにほど近いところまで向かえば、氷を得られるはずだ!という結論に至ります。
乾坤一擲の賭けに出た嘉兵衛は、始めたばかりの牛肉製造販売業を売り払ってまで、氷採取のチャーター便を手配したのです。
しかし、いざ船を出すと、荒れがちな北国の天候に遮られて、やむをえず函館へ……時折しも明治2年(1869年)、つまり【箱館戦争】の真っ只中でした。
なんというタイミングでしょう。
「ええい、賊徒どもが!」
そう悔しがる嘉兵衛ですが、危険だからって今さら引くわけにもいきません。なにせ全力で金をぶっ込んでいますからね。
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しかし、最悪のタイミングで函館に入った嘉兵衛は、奇跡の僥倖に恵まれます。
五稜郭で最高の氷を見出したのです。
氷といっても、単に水が冷たく固まっていればよいわけでもなく、条件があります。
不純物が少なく、厚みがあること――五稜郭の堀には、そんな理想の氷があったのです。
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しかも函館は海に面していて、海運にも最適。
まさにその開運を諦める理由はありません。
賊徒こと東軍は軍資金不足で、さまざまな妨害をしてきました。
嘉兵衛一行はそんな妨害にもめげず、五稜郭で100トンもの氷を採り、ついに横浜への輸送を成功させたのです。戦火をかいくぐり、実に大したものではありませんか。
土方歳三が近藤勇への思いを馳せつつ、馬を駆る中、中川嘉兵衛も命懸けで氷を採っていた――そういう設定でスピンオフの漫画作品なり、ドラマがあれば、ぜひとも見てみたい。
幕末明治の北海道は、『ゴールデンカムイ』の劇中だけでなく、現実にとんでもない人たちが生きていました。
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銀座で洋食といえば「函館氷」が欠かせない
明治時代、中川嘉兵衛の氷事業は軌道に乗ります。
蝦夷地から北海道になり、「函館氷」は名産品として定着。
品質よく安定して採取できる――軌道に乗った「函館氷」は、銀座でも大評判になります。
アイスクリーム屋やバーの店名にまで「函館」と用いられたほどでした。
やがて人造氷が主流となると、函館氷も終焉を迎えます。
現在その名は、北海道函館銘菓の銀つば「五稜郭氷」に用いられています。
最終章となる次のアニメでは、杉元がひょんなことから女学校のお嬢様と食事をする場面が出てきます。
エビフライやビーフシチューに戸惑う杉元。
こうした席でアイスクリームがデザートに出てくるとすれば、函館氷を使っている可能性は高いのです。
“ゴールデンカムイ”とは何だったのか?
“ゴールデンカムイ”、金のカムイとは何だったのか?
それが最終章でいよいよ明かされます。
ネタバレを含めつつ、少し考えてみましょう。
アイヌは金を重用しない。金を採掘することで河川が汚れてしまう。金塊そんな災厄の象徴であるようにも語られます。
実際、金塊をめぐって、何人もの人々が命を落としてゆきました。
そして、金塊を得た後でどう使うのか。その答えまでもが、物語のみどころとなります。
函館氷のことを踏まえれば、金塊というのはやはり、災厄なのかもしれません。
金は掘りつくせば二度と採れない。採掘権をめぐる争いの種にもなり得ます。
一方で氷は、輸送手段さえ確保できれば何度でも採れる。
食品衛生の問題を考えれば、現在は口に入れるのは無理かもしれませんが、氷室で保存することで、冷房に利用することだってできるでしょう。
五稜郭に隠された金塊は『ゴールデンカムイ』の劇中にしかないけれど、函館氷は確かに実在しました。
物語の世界では、一攫千金を狙う連中も出てきます。
中川嘉兵衛もかなり無茶苦茶な賭けをして、勝利したと言える。そういう時代の熱気があったことは確かです。
堀の氷がブランドになった城なんて、五稜郭くらいしかない。
『ゴールデンカムイ』を入り口として、そういう時代や北海道の持つ魅力そのものに踏み込んでいく人が増えればよいことだと思います。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【TOP画像】
『ゴールデンカムイ 27巻』(→amazon)
【参考文献】
濱口裕介 『「星の城」が見た150年: 誰も知らない五稜郭』(→amazon)
斎藤多喜夫『幕末・明治の横浜 西洋文化事始め』(→amazon)
『明治維新を担った人たち』全3巻(→amazon)
他