アイヌの金塊はどこにあるのか?
隠し場所は、囚人の刺青に彫られている。それを解読するために、刺青人皮を集める――。
そんな独特でミステリアスな世界観が受け、連載が終わってもなお人気の『ゴールデンカムイ』ですが、原作に出てきた刺青人皮がアニメ版だとカットされていることもあります。
もしかして、全て集める必要はないのでは? という疑念も湧いてきます。
暗号解読のキーワードは、シーズン3のラストでアシㇼパが思い出し、暗号を解読しなくても、別のヒントがあればわかるかもしれない。
アニメシーズン4から出てきた房太郎が、そんなことを提案。
そして大冒険の末に、いよいよ判明した金塊の隠し場所は、土方歳三も戦った――五稜郭でした。
北海道民にとっては、花見や遠足の定番である五稜郭に、そんな大金があったとは!
まさしくロマンある設定ですが、この五稜郭には実際、金塊ではないお宝がありました。
五稜郭にあるものを運んでいけば金になる――そこに目をつけた商人が存在したのです。
劇中の白石たちにも教えたい。
五稜郭にあったビジネスチャンスを振り返ってみましょう。

一部結氷した五稜郭の堀
幕末の来日外国人は何を求めていた?
幕末モノでおなじみの来日外国人と言えば、こんな定型スタイルがあります。
維新志士に感銘を受けたり、武士道に感じ入ったりして、共に戦う――。
典型例がトム・クルーズの映画『ラスト・サムライ』でしょう。
モデルはフランス人士官ジュール・ブリュネとされ、土方歳三にとって最期の戦いである【箱館戦争】にも従軍していましたね。

ジュール・ブリュネと土方歳三/wikipediaより引用
しかし……。
現実はロマンだけではありません。
幕末維新の混乱期にビジネスチャンスを求める西洋からの来訪者も多く、彼らは上陸後「金目のモノがないか?」と全国を探し回っていました。
フランスの場合、より具体的な金脈もありました。
彼の国では病虫害により蚕が壊滅しており「日本から持ち帰ってシルクを復活させる!」という野望もあったのです。
幕府と接近したのは、単に英国へのライバル心だけでもなかったんですね。
確かに当時の日本女性は露出度が高かったため、
「胸をはだけてる!」
「男女混浴ってシンジラレナーイ!」
と、金儲けの前にエロスを見出す者もいましたが……外国人が上陸する都市では、女性も露出度を下げて対応。
そんなことより、外国人の目的は文化ギャップから生じる利益です。
典型例が植物でしょう。
華麗で珍しい草花は、園芸品種としてお宝となり、プラントハンターという職業があったほど。
2023年の朝ドラ『らんまん』でもこの言葉は登場しますが、要は価値ある植物を追い求めて世界各地へ向かう人々のことですね。
当時はまだまだ人類未踏の地が世界に広がっていて、資本主義が育っていく近代ならではの職業となりました。
なんせ、世界史上初のバブル経済は17世紀の【チューリップ・バブル】とされます。珍しいチューリップの球根が高値で売れたのです。
近世のヨーロッパでは、珍しい植物はカネになる。日本に上陸した外国人も、珍しい植物を探す。
実はその先駆者がシーボルトです。

シーボルト/wikipediaより引用
日本を愛した印象のある外国人であり、確かにそうと言えるのですが、彼にもビジネスの目的があったのですね。
儲かるから売る
むろん植物だけではありません。
葛飾北斎の作品にせよ、他の浮世絵にせよ、金になるから国へ持ち帰る。
遣欧使節の一員としてヨーロッパに渡った福沢諭吉は、オランダで醤油が売られていることに感激し、日蘭関係の尊さに思いを馳せました。
儲かるから売る――そんな経済的な結びつきですね。
こうした金の稼ぎ方は、同時代の東洋にはありません。
近世において世界最大の大帝国であった清。
貿易を求めるイギリス人に、乾隆帝はこう言いました。

乾隆帝/wikipediaより引用
「朕の国は、貴殿の国から買いたいものは特にないのだ」
当時のイギリス人は、清側が求めた宮廷儀礼だのなんだのを、ことさら非難してみせましたが、なんのことはない。
当時の西洋は、まだ東洋にとって旨味のあるものを売り出せなかったのです。
しかしイギリスとしては、どうしても茶葉が欲しい!
ならば阿片を売りつけてやろう――こうして近世から近代へ、時代は変わってゆきます。

阿片を吸う中国人/wikipediaより引用
ここでもう一点、金を儲けるための大事な手段について考えてみましょう。
ある土地では簡単に手に入り安価なものを、別の土地で高値をつけて売れば儲かる――。
商売の基本ですが、江戸時代の日本は、交通網の整備や海禁政策を踏まえると本格的にできるわけでもなく、あくまで限定的。
幕末になって、そうした貿易が可能なことに、幕閣一の切れ者である阿部正弘は気付きました。

阿部正弘/wikipediaより引用
しかし、諸大名にそのことを説いても一向に伝わらない。
同じく切れ者の島津斉彬は、集成館事業で薩摩切子などの製品を作りましたが、例外と言えるでしょう。
そうした歯がゆい状況から脱して、ようやく海外にも売り込める品々が作られるようになったのが明治時代です。
かくして貿易に目覚めた日本人の中に、切れ者がいました。
材料費が無料の品を、輸送費だけで売れば丸儲け!
金塊ならば採掘し終えたらそれまでだけど、ただ同然の原料が大量にあっていくらでも金になる!
さて、それは何か?
「氷」でした。
日本人にとっての氷とは?
日本人にとって、かき氷の歴史はいつから?
それを辿っていくと、平安時代の『枕草子』から語られることが多い。

清少納言/wikipediaより引用
以下、第四十二段です。
あてなるもの。
削り氷にあまずら入れて、あたらしきかなまりに入れたる。
上品なもの。
削った氷にツタのシロップを掛けて、新しい金属製の器に入れる。
『枕草子』第四十二段
紫式部『源氏物語』でも、薫が今上帝の娘・女一宮が氷を持つ様子を見かける場面があります。
清少納言にせよ、紫式部にせよ、天皇のそば近くに使える人物。
そうした権力者は氷室で保管された氷を用いて、デザートを食べ、氷で遊ぶことができた。
日本人にとって、長いこと氷とは権力の象徴と言えたのです。
江戸時代ともなれば将軍家や大名のもとに、飛脚が氷を運ぶことが夏の行事として定着しました。
しかし庶民にとっては高価なシロモノであり、日常的に使うという発想は思い浮かびません。
それを変えたのが幕末という時代です。
黒船来航の速報を流す瓦版
嘉永6年(1853年)――ペリーの黒船が来航し、慌てふためく幕府の面々。
幕末を扱った作品ではおなじみの光景であり、実際、大変な時代へ向かってゆきました。

ペリー来航/wikipediaより引用
地震が頻発するわ、コレラが大流行するわ、物価も上がるわ。無茶苦茶な時代に突入しても、人々はどうにか生きていくしかない。
そんな中、ビジネスチャンスを見出す者たちもいます。
幕末を描いた作品は、政治闘争の舞台である京都が中心となりますが、江戸に目線を向けてみると、人々は新時代へ向けて確実に変わりつつありました。
例えばメディアです。
黒船がやってくると、現地では見物客目当てに屋台が出るほか、当時の庶民メディアである「瓦版」売りが速報を伝えました。

瓦版を売る読売の姿/wikipediaより引用
今で言えばワイドショーが事件現場へ向かうようなものですね。
瓦版を売る版元たちは、そうした新たな情報へのニーズをふまえ、浮世絵師たちに新たな絵を発注し、以下のような作品が次々に発売されてゆきました。
相撲取りが外国人を投げ飛ばし、スカッとする絵。
コレラ退治の絵。
さらには横浜絵(横浜の様子を描いた浮世絵)。
当時の浮世絵は、今のように文化芸術の類ではなく、あくまで庶民の娯楽です。
ゆえに売れれば次々に刷られ、絵師の元へは新たに発注が舞い込み、徐々に刺激が強いものを求められていくせいか、黒船や異人、殺人事件から着想を得た血みどろ絵まで描かれるようになりました。
そうした血みどろ絵で名を挙げた絵師の代表格が月岡芳年。
明治になってから血飛沫は控えめになったものの、スリリングな画風が持ち味でした。
ニーズがあれば商売は伸びる
そんな芳年が描いた『鬼神於松四郎三郎を害す図』をご覧ください。
『ゴールデンカムイ』ファンならば必見。この絵とそっくりな場面が作中に出てきますね。

月岡芳年作『新撰東錦絵・鬼神於松四郎三朗を害す図』/wikipedia
よっしゃ、ならばワシも浮世絵の版元になろう!
もしも皆さんがこの時代に生きていたら、そう考えたくなりますかね? しかし、それでは取り残されるかもしれません。
もはや絵の時代じゃない。これからは写真だ!
として、写真館を開くものも出てきました。
遊女はもちろん、外国人客をお得意様とする。唐人お吉はむしろ例外。
メルメ・カションというフランス人の妾は、彼からもらったメリンス(毛織物)が自慢で「メリンスお梶」と呼ばれたほどです。
他に例を挙げれば、幕臣随一の経済通である小栗忠順はホテル業へ乗り出しています。

小栗忠順/wikipediaより引用
あるいはアメリカ人ハリスは「牛乳が飲みたい」と要望を出していますが、そうした需要に応じて洋食も急速に広まっていきます。
いつの時代もニーズがあれば商売は伸びる。幕末も同じことだったんですね。
三河生まれの中川嘉兵衛 横浜に来る
そんな時代に三河生まれのちょっと変わった男が横浜にやってきました。
文化14年(1817年)生まれの中川嘉兵衛(なかがわかへえ)という人物。

中川嘉兵衛/wikipediaより引用
幕末に活躍した世代は、これより年下の天保年間が多く、文化年間生まれだと幕末の頃には40代にさしかかっています。
当時ならば初老であり、そろそろ隠居してもよい年齢です。
そんな遅咲きである嘉兵衛は、イギリス公使オールコックの初代料理人となりました。

ラザフォード・オールコック/wikipediaより引用
当時の日本人は肉や乳製品の臭いだけで気持ち悪くなることも珍しくありません。
なんせ徳川慶喜に対する定番の悪口は「あの豚だの牛を食っている一橋」でしたからね。
嘉兵衛は驚異的なチャレンジ精神の持ち主でした。
当時は攘夷事件の真っ最中であり、外国人だけでなく彼らと親しい日本人も襲撃対象となり、料理人といえども命懸けの仕事になります。
それでも嘉兵衛は、積極的に洋食に馴染み、かつビジネスチャンスに目を光らせていました。
牛乳、パン、バター、ビスケット、牛肉……と、西洋人向けの食品を売り始めたのです。
横浜の西洋人たちにとっては、食品だけでなく信仰や医療も重要です。
ヘボン式ローマ字でおなじみのヘボン、シモンズといった宣教師と、嘉兵衛は親交を結びました。
「氷さえあれば肉や牛乳も保存できるのだが」
「火傷の治療には、氷が必須なんだ」
人々の困り事にこそ商機あり――そんな風に語る彼らを見て嘉兵衛は閃きます。
横浜に氷室を設置して氷を売ればよいのでは?
かくして氷ビジネスを思いついた嘉兵衛ですが、言うは易し、実際は非常に困難でした。
当時はまだ製氷技術が追いつかず、天然氷が主流であり、一大生産地はニューイングランド州の「ボストン氷」でした。
ボストン港から積み出されるのでそう呼ばれ、1500キロの氷塊も半年かけて運ぶと、当然のことながら溶けて半減してしまう。
中国の天津から氷を運んでくる商人もいましたが、やはり距離があってかなり目減りする。
ならば国産氷を運べば、大儲けではないか?
中川嘉兵衛は宣教師の助言を受けつつ、ついに氷ビジネスの一歩目を歩み始めました。
いざ氷を確保せよ
氷ビジネスは画期的でした。
・どこから採取するか
・どう運ぶか
それさえ確保できれば軌道に乗る、つまり金になる。
横浜に氷室を作り、木箱におが屑を詰め込み、いざ、氷の切り出しへ。

明治時代の横浜港/wikipediaより引用
しかし、横浜まで運べば成功――と簡単に行かないのは外国から運んでくる氷と同じで、大勢の人が住む場所へ持っていくとなると、結局は大半が溶けてしまいます。
嘉兵衛は採取地を変えながら、諦めずに、何度も取り組みました。
甲斐国、富士山麓、八王子、赤城山、榛名山、日光、釜石……徐々に北上しながら仕入先を探っていくも、どうにもうまくいかない。
嘉兵衛の氷室建設は1861年で、文久年間に突入するタイミング。
激動の時代です。
そんな中、必至に氷を探していた人物がいたのですから、歴史とは興味深い。
失敗を繰り返すうちに、嘉兵衛の財産も目減りしてゆきます。
とにかく儲からないわ、船のコストもかかるわ。
幕臣たちが「幕府存続ができるか、瀬戸際だ!」と焦る中、嘉兵衛も破産か爆儲けかの崖っぷちで焦っていたことでしょう。
元号が慶応から明治に変わり、江戸っ子が幕府の瓦解を大いに嘆いていた慶応元年(1868年)、嘉兵衛は横浜氷会社を設立。
氷への取り組みも、新時代を迎えていました。
注目は幕末の蝦夷地です。
ユニークな存在感を発揮しているこの地は、幕臣や諸藩士にとって定番の左遷地であり、栗本鋤雲や秋月悌次郎も赴任しています。

栗本鋤雲/wikipediaより引用
それまで長いこと長崎だけが異国への抜け道でしたが、蝦夷地もルートとして意識されるようになり、新島襄が密航したのも、函館からでした。
蝦夷地の知識があるのは、京都で政治活動をしていた明治新政府の者よりも旧幕臣たちです。
そんな彼らは、幕府が終わると武士としての俸禄を失ってしまいました。
下級旗本は、その日暮らしの労働者となるしかないものの、スキルがある者には第二の人生が見出せます。
その中には、嘉兵衛の氷ビジネスに参画する者もいました。
彼らの知識に助けられ、蝦夷地に向かう準備を進める嘉兵衛。
ロシアにほど近いところまで向かえば、氷を得られるはずだ!という結論に至ります。
乾坤一擲の賭けに出た嘉兵衛は、始めたばかりの牛肉製造販売業を売り払ってまで、氷採取のチャーター便を手配したのです。
しかし、いざ船を出すと、荒れがちな北国の天候に遮られて、やむをえず函館へ……時折しも明治2年(1869年)、つまり【箱館戦争】の真っ只中でした。
なんというタイミングでしょう。
「ええい、賊徒どもが!」
そう悔しがる嘉兵衛ですが、危険だからって今さら引くわけにもいきません。なにせ全力で金をぶっ込んでいますからね。
しかし、最悪のタイミングで函館に入った嘉兵衛は、奇跡の僥倖に恵まれます。
五稜郭で最高の氷を見出したのです。
氷といっても、単に水が冷たく固まっていればよいわけでもなく、条件があります。
不純物が少なく、厚みがあること――五稜郭の堀には、そんな理想の氷があったのです。

冬の五稜郭
しかも函館は海に面していて、海運にも最適。
まさにその開運を諦める理由はありません。
賊徒こと東軍は軍資金不足で、さまざまな妨害をしてきました。
嘉兵衛一行はそんな妨害にもめげず、五稜郭で100トンもの氷を採り、ついに横浜への輸送を成功させたのです。戦火をかいくぐり、実に大したものではありませんか。
土方歳三が近藤勇への思いを馳せつつ、馬を駆る中、中川嘉兵衛も命懸けで氷を採っていた――そういう設定でスピンオフの漫画作品なり、ドラマがあれば、ぜひとも見てみたい。
幕末明治の北海道は、『ゴールデンカムイ』の劇中だけでなく、現実にとんでもない人たちが生きていました。
銀座で洋食といえば「函館氷」が欠かせない
明治時代、中川嘉兵衛の氷事業は軌道に乗ります。
蝦夷地から北海道になり、「函館氷」は名産品として定着。
品質よく安定して採取できる――軌道に乗った「函館氷」は、銀座でも大評判になります。
アイスクリーム屋やバーの店名にまで「函館」と用いられたほどでした。
やがて人造氷が主流となると、函館氷も終焉を迎えます。
現在その名は、北海道函館銘菓の銀つば「五稜郭氷」に用いられています。

銀つば「五稜郭氷」/公式サイト(→link)より引用
最終章となる次のアニメでは、杉元がひょんなことから女学校のお嬢様と食事をする場面が出てきます。
エビフライやビーフシチューに戸惑う杉元。
こうした席でアイスクリームがデザートに出てくるとすれば、函館氷を使っている可能性は高いのです。
“ゴールデンカムイ”とは何だったのか?
“ゴールデンカムイ”、金のカムイとは何だったのか?
それが最終章でいよいよ明かされます。
ネタバレを含めつつ、少し考えてみましょう。
アイヌは金を重用しない。金を採掘することで河川が汚れてしまう。金塊そんな災厄の象徴であるようにも語られます。
実際、金塊をめぐって、何人もの人々が命を落としてゆきました。
そして、金塊を得た後でどう使うのか。その答えまでもが、物語のみどころとなります。
函館氷のことを踏まえれば、金塊というのはやはり、災厄なのかもしれません。
金は掘りつくせば二度と採れない。採掘権をめぐる争いの種にもなり得ます。
一方で氷は、輸送手段さえ確保できれば何度でも採れる。
食品衛生の問題を考えれば、現在は口に入れるのは無理かもしれませんが、氷室で保存することで、冷房に利用することだってできるでしょう。
五稜郭に隠された金塊は『ゴールデンカムイ』の劇中にしかないけれど、函館氷は確かに実在しました。
物語の世界では、一攫千金を狙う連中も出てきます。
中川嘉兵衛もかなり無茶苦茶な賭けをして、勝利したと言える。そういう時代の熱気があったことは確かです。
堀の氷がブランドになった城なんて、五稜郭くらいしかない。
『ゴールデンカムイ』を入り口として、そういう時代や北海道の持つ魅力そのものに踏み込んでいく人が増えればよいことだと思います。
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【TOP画像】
『ゴールデンカムイ 27巻』(→amazon)
【参考文献】
濱口裕介 『「星の城」が見た150年: 誰も知らない五稜郭』(→amazon)
斎藤多喜夫『幕末・明治の横浜 西洋文化事始め』(→amazon)
『明治維新を担った人たち』全3巻(→amazon)
他





