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歴史はそんな用語の連続ですが、その中でもトップ選手であるのが【荘園】ではないでしょうか?
荘園といえば、貴族や寺社が持っている田畑。漠然とそんなイメージはございましょう。
しかし、厳密には誰がどう支配していたのか、ドコにあったのか、それが鎌倉時代の守護地頭などにどうつながっていくのか――正直ピンとこない。
ご存知、荘園とは、貴族や大寺院、法皇・上皇などが持っていた私有地です。
ただし、時期によってその特色は大きく異なり、まず一般的に
◆8-9世紀の「自墾地系荘園(じこんちけいしょうえん)」
◆10世紀以降の「寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)」
という風に分かれます。
単純に「自分で開墾するから自墾地系荘園」と、「誰かに名義だけプレゼント(寄進)して税金を安くする(免れる)から寄進地系荘園」と覚えてもいいんですが。
ここでは、荘園の定義から順に解説して参りましょう。
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私有地でも納税の義務はある
荘園は私有地です。
されど単なる私有地だけではなく「オーナーが遠くにいる田畑」も含みます。
普通、自分の私有地というのは、家があって、その周囲に広がるものですよね? 家から離れたところに大きなジャガイモ畑があったとしても、まぁ数km~十数kmぐらいでしょう。
しかし、荘園は違います。
基本的には、めちゃめちゃ離れた場所にあります。
例えば大和国(奈良県)の東大寺がオーナーとなっていたのが以下の荘園。
・周防国(山口県)に「与田荘」
・摂津国(大阪府)に「水無瀬荘」
・伊賀国(三重県)に「黒田荘」
東大寺は超ビッグな地主さんで、他にもたくさんの荘園を全国規模で持っていました。
あるいは山城国(京都府)の藤原系貴族・近衛家が持っていたのが、ざっとこんな感じです。
・下野国(栃木県)の「中泉荘」
・越後国(新潟県)の「奥山荘」
・安芸国(広島県)の「大崎荘」
近衛家というのは、藤原系の中でも摂政・関白を輩出したエリート中のエリート。
いわゆる五摂家のひとつですから、そりゃあ荘園が集まりやすいもんです。
私有地とはいえ、そこから取れる米などには原則的に税がかかり、国に納めなければなりません(ただし、後にグダグダになっていく)。
ともかく、こんな感じで全国に広まっており、前述の通り
「自墾地系荘園」
と
「寄進地系荘園」
があり、それぞれの性格はだいぶ異なるので、順番に、荘園の始まりと、続いて自墾地系荘園を見ておきましょう。
キッカケは645年のレボリューション
そもそも荘園は奈良時代に始まります。
きっかけは、あの【乙巳の変645年(以降の大化の改新)】です。
それまでは
・天皇家の所有地が「屯倉(みやけ)」
・豪族の所有地が「田荘(たどころ)」
こんな感じで呼ばれていて、天皇家や豪族は独自の私有地を持っておりました。
これを中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)による【大化の改新】以降、根本から変えるのです。
新しく始まった律令制下ではこんな宣言がなされました。
「人も土地も全部が朝廷のもの(国有)!」
「国民には口分田として田を貸すから、そこで耕し、税金払ってな!」
国家にとっては、とてつもなく大きな改革が行われたのです。
ただし、うまく機能すればの話でして……、そうそう理想通りに制度が浸透するわけではありませんでした。
貴族や寺院に与えられた特権がデカッ
口分田の「口」とは、概ね「人」を指しています。
つまり「農民ひとりひとりに田んぼを配分するから税金納めるんだよ!」というのが奈良時代の土地制度の基本で、借りれる田の広さは男女や身分差によって異なりました。受験でお馴染みのやつですね。
もちろん土地はあくまで国が貸したもので、私有地ではありません。
しかし、何事にも例外はあり……。
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