鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第12回「亀の前事件」

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第12回「亀の前事件」

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父・伊東祐親と兄・祐清の死を告げる北条義時

納得できない八重は、本当のことを教えて欲しいと厳しい表情です。

「父はなぜ、死なねばならなかったのですか?」

義時は話を逸らし、江間に来て欲しいと伝えます。ゆっくり休まれることが大事だと告げる。

ここで史実との差を確認しておきますと……。

伊東祐親は、頼朝に助命されるも自害したとされています。ただし、息子の祐清は存命。その後、大きな活躍もないためドラマでは共に死んだ設定とされています。

歴史もののフィクションでは「表向きはこうなっている」ということにして、本当の死因を別に描くことは手法としてあります。

もうひとつ気になることがあります。

義時は八重に「休むように」と言いました。

本来であれば「親の喪に服す」趣旨の言葉のほうが相応しい場面ですが、その概念が浸透していないことを示している可能性もありますね。

なんせ当時の坂東には儒教がまだ根付いていない。

そのことはすなわち八重がいつ再婚しても問題がないことも物語っています。

 


実衣と全成が結ばれて

源頼朝の嫡男が誕生するかもしれない!

そんな期待が高まる妻・政子のご懐妊。鎌倉一帯では、そのことが引き起こした波が大波になります。

義時の妹・実衣は、阿野全成との結婚が認められました。

いつから惚れていたのかと聞かれると、全成は生まれる前からと回答。一方の実衣は、そういう“言っていることがよくわからない”ところに惚れたとか。

全成は僧侶のまま還俗していませんね。

先週、墨俣川の戦いで討死を遂げた義円にも遺児がおりました。

義円
義円(義経の同母兄)が墨俣川の戦いで呆気なく討死してしまった理由を考察

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当時の日本仏教はまだルールが確定しておらず、緩かったのでしょう。

2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、僧侶だった足利義昭が、いったん還俗してから将軍になる過程が描かれておりました。その辺りと比較するとわかりやすいかと思います。

妹たちの結婚報告を受けた政子は、こうなると次は小四郎(義時)の番だと目を光らせています。

すると実衣が「八重さんといえば……」と言いだす。

彼女も、爺様こと祐親の死を不審に思っていました。この猜疑心と好奇心の旺盛さが彼女の個性であり、今後どう発揮されるか注目です。

実衣の疑問に対し、祐親殺しの首謀者である頼朝は、祐親が武士の意地を通したと言う。時政は疑うことなく、爺様は筋が通っていたと付け加える。

そして義時は八重を引き取ることにしたと報告。

一緒に暮らすのではなく江間にいてもらい様子を見にいく――そう付け加えると、実衣が「執念深い」と呆れ顔になり、義時は慌ててそういうことではないと否定します。

気のいい時政は、いいんじゃねえかと賛成している。元々、江間は伊東のものだし、八重だって鎌倉にいたくないだろう。

そんな風に説明されても、江間への移住が納得できない実衣。

利発な妹である彼女は、宗時や政子の下で、ずっとそうだったのでしょうけど、自分の頭越しに何かされると嫌なんですね。

そこで時政から「義時が江間の領主・江間小四郎義時になった」と説明されます。

しかし実衣の疑問は止まりません。

 


北条家は誰が継ぐ?

「北条は誰が継ぐの?」

実衣が再び物議を醸す発言をします。

時政は義時に決まっているというものの、りくは「今のところは」と付け加えることを忘れない。

りくが男子を産めば、もちろんその子が継ぐとカマをかけると、時政も曖昧に「そうなるかな」と結論を濁す。

話がややこしくなります。

義時は納得しているようで、政子はそうではない様子。

りくは構わず、正室である自分の子が継ぎ、義時が支えると念押しします。

徐々に緊張が高まっていく一座。

緊迫したの空気を打ち破るようにして頼朝が、口を開きます。今や北条は大事な家であり跡継ぎの案件など気軽に話すことではない。

思わず北条家の面々も反省しますが、凄まじく高度で情報量が多いシーンですね!

北条家の跡継ぎについては、現代の研究でも意見が割れるところで、含みを持たせつつうまく丸める、そんな三谷さんらしい技巧が光ります。

この時代には「劣り腹」というおそろしい言葉がありました。

母親の身分が低いという意味です。

日本の場合、キリスト教圏とは異なり、正室以外の母でもその子に継承権はありました。

しかし、だからといって母親の身分が問われないかどうか?というと現実問題そこにはありました。

母方の実家の力が重視される――中世史においては非常に重要な部分です。

今回、このシーンは教材に使いたいくらい秀逸であり、後述させていただきます。

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比企尼とその一族がやってきました。

遠路はるばる来た彼女を労う頼朝。

「まぁ随分とご立派になられましたねぇ」

比企尼が嬉しそうに言うと、乳母は実の親のようにありがたいものだと頼朝が応える。

続けて仕送りの礼を伝えると、比企尼が頼朝の顔を愛おしそうにペチペチペチ……。草笛光子さんの溢れんばかりの慈愛が素晴らしいですね。

乳母というのはただ単に「授乳する」という役目だけでなく、女性権力の象徴でもありました。これも中世ならではのことと言えるでしょう。

 


大江広元 只者に非ず

侍所別当に就任した和田義盛が、頼朝の来訪を告げます。

鎌倉殿を前にして、顔を揃えた御家人たち。

さっそく頼朝は、京都からやってきた文官三名を紹介します。

見るからに坂東武者とは出で立ちが異なる文官たちです。

彼らもこの時代ならではの存在であり(詳細は後述)、大江広元は、すでに只者ではない雰囲気を出していますね。

会議の進行係を請け負うのは義時で、さっそく産養(うぶやしない)の担当者を分配。

乳母の一族ということで、比企能員が重用されました。

頼朝と政子の間に生まれてくる大事な子を、頼朝の乳母だった比企一族が担当する――危うい亀裂が少しずつ生じてきます。

挙兵当時から従ってきた坂東武者からすれば不満が募る展開でしょう。特に上総広常は性格的に黙っていられず、不満を見せています。

「武衛」と呼びかけ、乳母なら引き受けるというものの、頼朝に断られてしまいます。人に頭を下げずに生きてきた広常は、挫折にぶつかりつつあるようです。

不穏な空気が流れる最中、大江広元だけは周囲をジッと観察しています。彼の“目”も相当鋭い。

続けて頼朝は、神馬を引く役目を、畠山重忠と義経に頼みました。ちなみに相模国(神奈川県)平塚八幡宮には今でも神馬がおりますよ。

謹んで引き受ける重忠に対し、露骨に嫌がる義経。

「私が馬引き?」

安産を祈願したくないのか?と逆に問われ、馬のそばにいると手綱を引くだけでくしゃみが出るだの、テキトーなことを言い始める。

その場しのぎですぐにバレる嘘を平気で言ってしまう性格が非常にたちが悪い。

馬引きは、見栄えがするとか、名誉だとか褒められても、義経にとっては心底どうでもいいようだ。

とにかく戦がしたい!

義経はそれだけです。だからこそ、御家人にとっては名誉な役目だろうと自分はやりたくないと駄々をこねる。

「それでは私が!」と千葉常胤が勢いよく立候補すると、頼朝も即座に「見栄えが大事だ!」と却下しています。嗚呼、切ない……。

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そして義時に出番が回ってくる。義時が困惑していても、頼朝は苛立ちながら「これまでだ!」と決めてしまいます。

なかなか無茶苦茶なことになってきました。

頼朝は御家人のプライドを傷つけてもいるし、義経は無茶苦茶だし……この様子を相変わらず広元がジッと見ている。こうした場面は今後も数多く出てきそうですね。

大江広元は只者ではない。

寧(むし)ろ鶏口となるとも牛後となるなかれ――京都でくすぶっているよりも、新天地で自分の才能を発揮したい。そんな野心をこの冷静な顔に隠した彼はできる男です。

できる男の広元に、頼朝は見ての通りだと告げます。理解を示す広元。

「しばらくわしのそばにいて、この鎌倉に足らぬものは何か見極めてもらいたい」

「かしこまりました」

広元は答えます。

彼なりに確証を得ました。とりあえず、この主君は己の意見を聞いてくれる。そんな感触を得ています。劇的ビフォーアフターを実現してくれますよ!

しかし、栗原秀雄さんの大江広元が素晴らしいですね。適材適所としか言いようがない。

顔を見るだけで只者ではない知恵者とわかります。全身から知性がたちのぼるような風情。

 

りくの野望が育っていく……

義経が拗ねています。

平家と戦えぬ私はただの役立たず――そう愚痴っているところを、政子と義時が聞いている。

政子は義経に「頼朝はずっと一人で生きてきたのだから兄弟は大事だ」と励しても、「兄弟は私一人ではない」と拗ねている。

子どものようで、猫のようで、とても愛くるしい。

このシーンだけ切り取れば純朴な青年である彼は、先週、自らの謀略で兄の義円を死に追い込んでます。

義円
義円(義経の同母兄)が墨俣川の戦いで呆気なく討死してしまった理由を考察

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義時も「武人の才能がある」と義経の心を励ましています。

そんなことお構いなしに、政子に対し「男か女のどちらがよいのですか?」と質問を続ける義経。

丈夫ならどちらでもよい、と応える政子からは、野心などなく愛情の深さが見えた言葉のように思えますね。

義経は、政子に断りつつ、そのお腹を撫でます。

「いい子が生まれますように……」

微笑ましく見守る義時。こうした優しい光景も、後のことを思うと背筋がゾッとするものはあるのですが。

安達遠元に導かれ、政子がしずしずと歩いてゆきます。

彼女はこれから出産準備。長女の大姫ともしばしの別れです。

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りくはこの姿を見送りながら、私の時と扱いがちがうと不満げ。競い合ってどうする……と時政がなだめると、政子の真似をして「行って参ります」と気取って言います。

「えらそうに!」

そう吐き捨てるりく。

彼女からすれば、政子は義理の娘だという意識がある。

りくの野望が育っていますね。

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上総広常 蟇目の儀式

伊豆にある江間の館に八重が戻ってきました。

次郎や父が離れてから時間が経過していて、誰も手入れをしていなかったからすっかり荒れている。

義時がそう言うと、片付け甲斐があると返す八重です。

そんな八重が寂しくないよう、二日に一度は会いにくると言う義時に対し、八重は露骨に嫌そうな顔で月に一度でよいと返します。

「10日に3度!」

粘る義時。

八重は疲れたように返します。

「……おまかせいたします」

いやぁ、気持ち悪い。こんなにうっとうしい大河主人公も珍しい。

ただ、これも当時らしさではある。

あの小野小町には「百夜通い」伝説があります。深草少将が小野小町に惚れ「百夜来たら……」と条件を出す。

すると相手は百日目の大雪の中、凍死した――そんな伝説です。創作ではありますが、当時のメンタリティが反映されているのでしょう。

市川猿之助さんが扮するあの不気味な僧侶、文覚にもストーカー伝説があります。

文覚
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当時は大変な時代です。しかも、被害者は女性だけに限らず、「悪左府」の名で知られる藤原頼長は男性に惚れ、祈祷はするわ、しつこくアプローチをするわ、悪質なストーカーと化していたなんて話もある。

大変な時代ですね。

場面変わって、上総広常が弓を引く蟇目(ひきめ)を射るシーンへ移ります。

男児の出産と武勇を祈る儀式。日本特有として残りました。

かつては東アジア全般で見られたのですが、中国と朝鮮半島では文武のうち「文」が上位になったため、「武」を願う風習が廃れたのです。

かくして寿永元年(1182年)8月12日、政子は男子を産みました。

万寿と名付けられたこの子こそ、後の源頼家です。

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「ようやった!」

念願の男児が誕生した!

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