荘園

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荘園の仕組みをわかりやすく解説! 納税は免除? 誰がどう広げた?

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寄進地系荘園のメリットは?

「自分のものになるはずだった土地を、何でわざわざ他人に渡しちゃうの? もったいなくないの?」

そうツッコミたくなる場面ですね。

もちろん無料で奉仕したワケじゃありません。

それまでの荘園との違い、

「改めて貴族などに寄進し、その代わりに税を取り立てる役人の立ち入りを阻んでもらう」

という目的があったのです。

もっと乱暴に言うと、

「脱税するためにエライ人に擦り寄った」

ことになりますね。

しかし、そうでもしないと当時の農民の生活は非常に苦しかったのですから、一概には責められません。

上記の通り、当時の農民には多くの税が課されていました。

たとえば平野部では「瓜」や「ごぼう・豆」、山間部では「粟・ごま・山芋・つくし」、海に近いところでは「塩・海藻」など、ありとあらゆるものが税になっていて、いったい何を食べて生きていけばいいのか?状態。

さらに、定められた期間は荘園の持ち主の家に行って、警備兵を務めなければなりません。

重税にも程がある話です。

それなら、違法になってでも自分の生活や収入を守るために、誰かの権力を利用したほうがいい……と考えるのが自然の流れ。当時の農民たちに「法に従う」という概念があったかどうかもアヤシイですし。

国司などを務める貴族たちも、そうした農民たちを利用して自分の財産や影響力を及ぼせる範囲を広げていきました。

こうして寄進地系荘園は全国規模で広まり、スタンダードになるのです。

 


試行錯誤を繰り返し名田にようやく辿り着く

むろん政府も完全無策ではなく、各種の法律や政策を打ち出しています。

例えばその一つが【公営田】の創設。大宰府の管轄下に置かれた、公的機関が経営する田んぼのことです。

ここで農民を雇って耕作させることにより、税収を確保しようとしました。

場所が近畿だと【官田】で、目的が皇室費の捻出の田んぼは【勅旨田】と呼ばれます。

しかし……あまり、うまくいきません。

そりゃあそうでしょう。恩恵をほとんど与えず税だけ搾り取る――平たくいえばそんな土地ですから、反感を食らって当たり前です。

一体なんだったんだ/(^o^)\

中央政府が、自らのやり方にマズイと気づいたのは十世紀ごろからです。

「もう農民を土地に縛り付けるの無理じゃね? そこは諦めて、とりあえず畑仕事と納税をしてもらう仕組みを考えよう」

というように、目的を切り替えようとします。

こうして、土地を新たに【名田】という単位で編成し直し、「畑仕事を請け負ってくれた農民は、決まった税を納めてくれれば、残りを自分のにしていいよ!」という仕組みができました。

これなら、うまく仕事をやればやるほど自分のものになる米が増えるため、農民のやる気が促進されるわけです。

なぜもっと早く気づかなかった。

 


秀吉の決めでいったん全部リセット!

とはいえ、それでも多いのは寄進地系荘園のほうです。

なぜなら、条件次第では不輸(=免税)・不入(=土地調査の役人の立ち入りを拒否できる権利)なんてスペシャルオプションが広まり、さらに十二世紀になって院政が常態化すると、白河・鳥羽・後白河上皇の認めた荘園は「三代御起請符地」として特別視されていきます。

十三世紀(鎌倉時代)には、税の取り立てや土地調査だけでなく、国司や検非違使などが犯罪者を追ってきた際も、不入の権が認められている荘園については立ち入りを拒否できたといいます。

こういった土地をめぐる騒動は室町~戦国時代も続き、あっちこっちで皇室や公家の荘園は奪われ、彼らの懐具合も治安も悪化する一方。

もはや意味をなさなくなった制度を保つ意義はなく、豊臣秀吉が「一度手に入れた土地は一度公のものとする」と決め直し、荘園という形態は終りを迎えます。

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これは、太閤検地の目的の一つでもありました。

まとめると

・荘園とは、オーナーと農民が異なる畑や土地のこと

・基本的には税がかかる(国は新田開発したい)

・墾田永年私財法の頃に成立したのが【自墾地系荘園】→有力貴族が躍進

・農民が少しでも楽になるため、自ら田畑を有力者に寄進したのが【寄進地系荘園】

・そのうち不輸・不入の権(免税・出禁)などで、荘園制度そのものがボロボロに

・秀吉が太閤検地でリセット

という感じでしょうか。

政治の流れや戦の話に比べて、こういった経済の話はややこしくてあまり人気がありません。

しかし、そのぶん知っておくと、より深く史実や歴史系創作物を楽しめるようになったり、受験生の方ならテストで有利になるでしょう。

土地制度のモヤモヤがスッキリできることをお祈り申し上げます。


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【参考】
国史大辞典「荘園」
荘園/wikipedia

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