丁未の乱

法隆寺百済観音像(左)と広隆寺弥勒菩薩像/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安

丁未の乱(蘇我氏vs物部氏)仏教と神道の争いから物部滅び蘇我躍進

つ仏像 / Michael Cornelius

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
丁未の乱
をクリックお願いします。

 

物部氏は寺院や仏像をブッコワシ!

時が経って世代が変わり、仏教派・神道派それぞれの息子たちである蘇我馬子と物部守屋に対立が引き継がれました。

もちろん天皇も代替わりして、欽明天皇の息子である敏達天皇の世になっています。

そして敏達天皇十三年(548年)、今度は弥勒菩薩像が伝わりました。

こちらは国宝でお馴染みの広隆寺弥勒菩薩像/wikipediaより引用

蘇我氏は再びこれを祀り、拝んだところ、その直後にまたしても疫病が流行りだしたそうです。

神様や仏様の間で、目に見えない次元の戦いが起きていたんですかね。「北風と太陽」みたいな。

例によって物部氏は「だから仏教はダメなんだって!」と主張。

寺院の破却や仏像の破壊を押し進め、はたまた僧侶や尼僧の服を剥ぎ取って鞭打ちの刑にするなど、行き過ぎた仏教排斥を始めました。いくら何でもやり過ぎです。

しかし馬子は「そんなのただの偶然だろJK」と取り合わず、仏教信仰を止めませんでした。

仕方がないので、敏達天皇は父帝と同じように、蘇我氏の中だけで信仰することを許します。

この対立はさらに続き、敏達天皇の子・用明天皇の時代へ。古代史にはよくあることですが、スパンが長いというかノンビリしているというか。

天皇系図 26~37代/wikipediaより引用

天皇系図26~37代/wikipediaより引用

 

「穢れ」の概念なき仏教が優位に立つ

このときは用明天皇自身が「病気快癒のお願いを仏様にしてみようと思うが、どうだろうか」と群臣に相談したことで、問題再燃のきっかけとなります。

というのも、神道では死や病気は「穢れ」としており、触れるべきものではないと考えられていたためです。

一方の仏教では「穢れ」という観点がないので、「仏様にお祈りすれば病気を治してもらえるかも」というわけです。

この時代にはまだ日本に伝わっていませんが、病気快癒や薬を司る「薬師如来」という仏様もいますしね。

これには流石に物部氏も強く出ることができなかったようです。

もしここで「やっぱり仏教はダメです!!」と主張してしまったら、「じゃあお前たちは陛下に死ねというのか、逆賊め! 成敗!!」となりかねません。

自分たちが信仰するかどうかは別として、仏教を黙認すれば少なくとも家は助かるわけです。はらわたは煮えくり返ってたでしょうが。

こうして一歩優勢になった蘇我氏は、他の豪族や皇族たちを味方につけ、続けざまに物部氏を武力で滅ぼしました。

これを「丁未の乱(ていびのらん)」といいます。

用明天皇の皇子の一人・聖徳太子(厩戸皇子)も参加しており、矢を射かけられたときは、仏様に「こちらが勝ったら仏教を厚く保護しますので、ご加護をくださいませ」と祈願したとか。

後に十七条の憲法で「仏・法・僧を敬うべし」としたのは、このときの約束を果たす意味もあったのかもしれません。

こうして最後は「解決(物理)」になり、残った蘇我氏の力によって仏教が広まっていきました。

また、用明天皇の病気は無事治ったようです。治ってなかったらさすがにドンパチやってる場合じゃないですからね。

どうでもいい話ですが、用明天皇の肖像画がめっちゃいい笑顔というか、「萌え~」みたいなすごく血色の良いお顔なんですけど、これは病気が治ってご満悦ってことなんですかね。

用明天皇/wikipediaより引用

これを教科書に載せてくれれば一発で覚えられるのに(ボソッ

あわせて読みたい関連記事

蘇我入鹿
実は秀才だった蘇我入鹿~古代の悪人代表は捏造エピソードも多い?

続きを見る

蘇我倉山田石川麻呂
蘇我倉山田石川麻呂の自害~従兄弟の入鹿を殺した乙巳の変では功労者だったが

続きを見る

蜂子皇子
聖徳太子の従兄弟・蜂子皇子が馬子に命を狙われ逃亡~流れ着いた先は

続きを見る

陵墓発見?女帝と女帝に挟まれたエアな舒明天皇の死後に起きたこと

続きを見る

舒明天皇の死後になにが起きた?大化の改新をプロデュースした黒幕の存在

続きを見る

「韓人が蘇我入鹿を殺した!?」捏造された大化の改新の謎と真相

続きを見る

斉明天皇
高齢の女帝が朝鮮半島へ!斉明天皇が鬼ノ城を建てたのは出兵のため?

続きを見る

まんが日本史ブギウギ10話 飛鳥&白鳳文化は2つのブットー(仏頭&仏塔)

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon
欽明天皇/wikipedia
用明天皇/wikipedia
仏教公伝/wikipedia

TOPページへ

 



-飛鳥・奈良・平安
-

×