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【藤原行成】
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道長からも「書」を頼まれて
藤原行成といえば、何より「書」が有名でしょう。
当時の達人とされる三蹟の一人に数えられ、この頃から関連エピソードも増えてきます。
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内裏の建物や門の書額を書いたり、一条天皇から申文(上申書)の写しを作るよう求められたりなど。
後者は「(参議になりたいので)蔵人頭を辞職したいのですが」という内容の申文だったのですが、一条天皇はそちらは認めませんでした。
行成からすれば、ときの天皇から書を求められて嬉しい反面、「写しをお求めになるなら、辞職(と昇進)も認めていただきたいな……」とも思ったでしょう。
とはいえ、一条天皇にしてみれば、行成のような優秀な人が【蔵人頭】でいてくれたほうが良いのも道理です。
蔵人頭は天皇に側近く仕える要職ですから、内容によっては后妃たちやその実家の人々との折衝もします。
いくつもの御殿を行き来しなければならないこともあり、ただ実務ができるというだけでなく、コミュニケーション能力も求められました。
実務と人付き合いを両方こなすというのは、文字で書く以上に難しいもの。後任を探すのも簡単ではありません。
道長としても一条天皇と同じ意見だったようで「右大弁を辞めて、近衛中将を兼任しては?」と行成に伝えたこともありました。
右大弁は前述の通り右弁官のトップですから、言わずもがな激務。
一方、近衛中将は近衛府の次官、かつ内裏の警護役なので蔵人頭と行動範囲が重なる部分も多く、負担が減ると考えたのかもしれません。
しかし、近衛中将については、行成自身が従兄弟の藤原成房(なりふさ/なりのぶ)に譲りました。後ろ盾の弱い行成にとって、右大弁の地位は手放し難いものだったのでしょう。
ちなみに、道長も行成の書を欲しがった逸話が伝えられています。
あるとき行成が道長から『往生要集』という仏教書を借りた際、道長が
「その本は差し上げるので、あなたが書写したものをいただけないか」
と言ったというものです。
印刷技術のない時代ですから、本は書き写すものであり、同時に非常に貴重な存在でした。
手間はあっても、書物の内容に触れられる機会が増えるということは、学識高い行成にとっては嬉しい申し出だったことでしょう。
また、この時期に行成は京都一条の北・大宮の西に世尊寺を創建し、信仰心と財力を世間に証明することになりました。
これによって、行成の子孫が「世尊寺家」と呼ばれるようになります。
一条天皇からの相談も
後宮でも、藤原行成の評判は高かったようです。
藤原定子の御殿へ出入りしていたこともあってか、生母を亡くしていた敦康親王家の別当に任じられました。
行成は、母方の後ろ盾を得られない敦康親王の将来を危ぶんだものか、一条天皇にこんな奏上をしています。
「敦康親王殿下を彰子様のお手元に預けてはいかがでしょうか? 後漢の時代にも似たような例がございます」
父である一条天皇も、息子の将来を案じていました。
また、彰子もこの時点では若すぎて懐妊できていなかったため、道長としても異存はなかったようです。
この一件と関係あるかどうかは不明ですが、このころ行成は念願の参議へ昇進し、”公卿”の一員となっています。
公卿とは、三位以上の位階を持つ公家のことで(参議は四位でも含まれます)、貴族の中でも特段エライ人たちといった認識でよろしいかと。
また、この昇進に伴い、蔵人頭からは身を引きました。
後任は、俊賢の弟である源経房ですので、行成からの恩返しのようなものだったのでしょう。一条天皇はよほど行成を身近においておきたかったらしく、しばらくして侍従を兼任させているのですが……。
ただし、公卿の一員ともなれば、より道長の影響を受けやすくもなりました。
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道長の屋敷を訪れることも増えたようで、藤原実資には批判されますが、むしろ彰子入内後の道長に逆らうほうが珍しいというもの。
一方で、彰子が敦成親王(のちの後一条天皇)を産んでからは、少々悩ましい立場にもなりました。
行成が仕える敦康親王の立場が弱まってしまったからです。
一条天皇も同じ思いだったようで、寛弘八年(1011年)に重病となった際、行成に「敦康を次の皇太子にしたいが……」と相談しています。
このときも行成は文徳天皇の皇子たちや光孝天皇などの故事、そして敦康親王の母方の事情などを絡めて説得しています。
「敦康親王殿下を皇太子にする事は難しいと思います」
一条天皇も実際には半ば以上わかっていたでしょうから、信頼する行成に説得されたかったのかもしれません。
そして一条天皇は三条天皇に譲位した後、まもなく崩御。
新しい時代でも、行成は重職に就くことになりました。
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