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【武士の起源】
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壇ノ浦の前に義経と景時が大喧嘩して
できたばかりの組織というのは不安定なものです。
現代で一般にイメージされるような、武士の主従関係がはっきりするのは鎌倉時代以降でした。
これを裏付けるエピソードとしては、源義経が壇ノ浦の戦いに赴く際の話があります。
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このとき、義経の軍に梶原景時という人がいました。
彼は頼朝の家臣で、とても勇敢な武士です。鎌倉を動けない頼朝の代わりに、義経のお目付け役という意味もあって、同行していたと思われます。
景時は義経のことを「殿の弟さんだから、実質的には総大将」と見ていました。
しかし義経は「総大将はあくまで兄上であって、自分は一介の将(だから陣頭にたってもおk)」と考えていたのです。
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どちらの考え方も間違ってはいないのですが、このときは二人とも戦の直前でイライラしていたこともあり、一族や家臣を巻き込んで同士討ち寸前の大ゲンカになってしまいました。
平家側がこれを知っていたら、急襲するか、あるいはもっと遠くまで全速力で逃げるか、どちらかの対応をできたかもしれません。
もしもこの時点で「源氏のトップは頼朝であり、それ以外は一族の人間であっても家臣」という認識が共通のものだったら、このケンカは起きなかったはずです。
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この手の「お互いの認識がズレていたことによるトラブル」は後世でも多々ありますが、武士社会が確立されていない頃は日常茶飯事だったと思われます。
むしろ、腕に覚えがある者がそのまま武士になっているだけに、流血沙汰も珍しくなかったでしょう。
武家政権ができてからも、公家の間では主に関東の武士を「東夷(あずまえびす)」と下にみなしていました。
おそらくはそうした「価値感の統一という概念に乏しい」「しかもすぐ暴力沙汰になる」ところによって、そういうイメージが確定してしまったのでしょう。
まあ、公家は公家で血の気の多い人もいましたし、「もうちょっと何とかならなかったの?(´・ω・`)」とツッコミたくなるようなトラブルが起きてたりしますが……。
文化・教育レベルも上がっていく
武士たちのターニングポイントは、やはり鎌倉幕府の創設でした。
当時、「京都大番役」という京都警備に一定期間就く役目があり、これを経験したことによって、公家と結びつきを持ったり、京の文化に触れる武士が増えていったのです。
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これにより、進んだ文化がその武士の地元にもたらされるようになりました。
別の場所に伝われば、本場とまた違った進化を遂げていくものですよね。
また、血の穢れを基本的に忌む皇室や公家と違い、武士は直接人の生死に関係する立場であることから、仏教へ傾倒する者も少なくありませんでした。
有名どころでは、平家物語の「敦盛の最期」で平家の若武者・平敦盛を討った熊谷直実(くまがい なおざね)が、鎌倉時代に入ってから相続争いなどに疲れ、出家しています。
こういった影響で、武士の文化・教育レベルも上がっていきました。
実は、源平の戦いあたりまでの武士は身分が低かったこともあり、文字を読めない者も少なくありませんでした。
「文字を読める」というだけで珍しがられた人がいたくらいです。
しかし、支配者層になったことで、統治に必要な文書作成のため、または仏教の経典を読むため、「日常生活における読み書きの需要」が生じ、積極的に文字を学習する武士が増えたと思われます。
もちろん、江戸時代や現代と比べれば、識字率はずっと低かったでしょうけれども。
鎌倉幕府のほうでも、武士の文化レベル向上には力を入れていました。
具体的には、北条氏一門の北条実時が和書・漢書を集めて金沢文庫を創設したり、歴史書「吾妻鏡」を編纂したりしています。
また、御成敗式目の浸透と武士の統制のためにも、識字率の向上は必須だったでしょう。
こうして武士は皇室・公家に続く、日本の大きな一要素として成り立ちました。
同じ武士でも、鎌倉・室町・戦国・江戸時代でだいぶ違ってきますが、その辺はまたそれぞれの時代に見ていきたいと思います。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
蒲池明弘『「馬」が動かした日本史』(→amazon)
武士/wikipedia