『病草紙』/国立国会図書館蔵

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

平安京を襲った“疫病”とは具体的にどんな病気だったのか?貴族も感染した?

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平安京で流行った疫病とは?
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瘧(おこり)

古い時代の病気として有名な瘧(おこり)は、現代でマラリアだと考えられています。

源氏物語』ですと「若紫」の帖の冒頭ですね。

光源氏が酷い高熱と震えに襲われ、まじないや加持祈祷をしても治らず、北山の優れた法力を持つ行者を訪れるシーンがあります。

これにより、同じく北山で母方の祖母に育てられていた幼い紫の上と出会い、物語が動いていく。

ある意味『源氏物語』を動かした病気と言えるかもしれません。

瘧病は「わらわやみ」=「子供の病気」と見なされていたこともありましたが、実際は大人の間でも大流行していました。

感染経路は?

というと、主にハマダラカが媒介するマラリア原虫によって感染します。

平安京は三方を川や湖に囲まれた土地の上、寝殿造の邸では池や遣水を設けることが多く、ハマダラカが繁殖するには格好の環境だったでしょう。

流行ってくださいといわんばかりの土地なのです。

実は第二次世界大戦の終戦後に、南方戦線から帰国した人々の一部がマラリアにかかっており、日本国内でも大流行が懸念されました。

しかし実際には、一時的かつ局地的な流行で済んでいます。

これはマラリアが他の疾患と比べて自然治癒しやすい病気だったから、というのが理由のようで。

平安時代の場合は、衛生環境が悪く、運動不足や栄養不足で病状が悪化することも多いので、終戦後ほどの回復ではなかったと思われます。

また、世界には、マラリアに強い遺伝子を持つ民族もいると言います。

もしかしたら平安時代でも、そういった体質の人がいて、その血を引く人々のほうが生き残りやすかったかもしれませんね。

 

眼病

平安時代に意外に?多いのが“目の病”です。

例えば『源氏物語』でも、光源氏が須磨を経て明石へ退いていた頃、朱雀天皇が一時的に失明したことが描かれています。

作中では朱雀天皇が

・父院(朱雀帝と光源氏の父・桐壺帝)に睨まれる夢を見て、起きたら見えなくなっていた

という内容でした。

光源氏が赦免され、帰京した後に「治った」とされていますので、ストレス性の疾患でしょうか。

『光る君へ』の舞台からは少し後の時代、三条天皇が目を患い、位を追われる一因となっています。

三条天皇については、少しずつ目を病んでいたらしき記録があり、本人も自覚があったようなので、突然見えなくなるタイプの病気ではなかったのでしょう。

現代では「徐々に見えづらくなり、最終的に失明する」病気は

・白内障
・病的近視(網脈絡膜萎縮)
・加齢黄斑変性

などとされていますので、三条天皇も上記いずれかの病気に罹っていたのかもしれません。

糖尿病の合併症として起こり、突然失明する「糖尿病網膜症」や、視野が徐々に欠けていく「緑内障」は両目で見ていると自覚しづらいため、三条天皇の場合は当てはまらなさそうです。

また、藤原定子の弟・藤原隆家も、一時期眼病を患い、自ら名医のいる筑紫へ下向していたことがありました。

天下のさがな者(乱暴者)として知られた戦闘貴族・藤原隆家。

彼が九州にいたとき、たまたま【刀伊の入寇】があり、九州にやってきた異民族の襲撃を、この隆家が先頭に立って迎撃に成功しています。

目の病気が歴史を動かした一例かもしれません。

 

虫歯

現代では本人も辛く、他者から見ても気分のいいものではない虫歯。

平安時代となると、なんだか捉え方は変わっていて、虫歯を好意的に描いている部分が文学作品の中で散見されます。

まず『源氏物語』の「賢木」の帖では、東宮(のちの冷泉帝)が母・藤壺の宮に久しぶりに会うシーンで、こんな表現をしています。

「東宮が笑うと、虫歯で歯が黒くなっているのがお歯黒のように見え、かわいらしい」

この頃の東宮はまだ年齢ひとケタの幼児ですので、乳歯の虫歯でしょうか。

また『枕草子』の「病は」の段でも、変わった一文があります。

「18~19歳くらいで、髪が背丈ほどに長くて、よく太っていて色白で、愛嬌がある女性が歯をひどく病んで、押さえているのが面白い」

こちらは苦しんでいる人をあざ笑うようで……なかなか悪趣味な内容ではありますね。

後年のことわざで「目病み女に風邪引き男」なんて言葉もあるので、いつの時代も「少々の体調不良で弱っていると、いつもとは違って見えて魅力的だ」という価値観があったのでしょうか。

現代ではそんなことを言わずに、薬を飲むなり病院に行くなりしたほうが良いでしょう。

余談ですが、同じ口のトラブルでも「口臭」はやはり不快なものだったようです。

平安末期頃に描かれた『病草紙(やまいのそうし)』に「口臭の女」という絵があります。

『病草紙』口臭の女/国立国会図書館蔵

右の女性が口臭を患っている人で、左上の女性は何かを指摘している様子、左下の女性は袖で鼻を覆う様子が描かれていますね。

三人とも女官のようで、右の女性はあまりのニオイのため男性とイイ感じになれず悩んでいる――そんな話がついています。

当時は今のような高性能の歯ブラシやその他オーラルケアグッズなどもありませんし、そもそも臭いの原因も不明だったでしょうから、本人も周囲も辛かったことでしょう。

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