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【受領は倒るる所に土を掴め】
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『源氏物語』の受領といえば伊予介
紫式部としても、生活のために父がそうすることは仕方ないとはいえ、どうにもうんざりさせられる境遇ではあったのかもしれません。
ドラマで描かれたように、夫の藤原宣孝も、受領です。しかも派手に儲けていて、まったく悪びれる様子もなかった。
受領の娘が受領と結婚した――それが紫式部だったのです。
『源氏物語』にも受領は登場します。
上流の貴公子とお姫様だけの物語ではなく、中級以下の人物も描くところが、当時の読者としては「リアルだなぁ」と感心されたのでしょう。
地方出身で暑苦しい「大夫監」(たゆうのげん)といった人物も、当時の読者はモデルがそれとなくわかったようです。
そんな『源氏物語』に登場する伊予介がらみのプロットを改めて考えてみると、一体受領とは何なのか、不可解に思えてきます。
伊予介とは、光源氏が好意を抱く空蝉の夫です。
ここで空蝉の物語をみてみましょう。
空蝉は中流でも上流に近い貴族の娘でした。
野心家の父は桐壺帝に入内させようと娘を大事に育てていたにもかかわらず、父は急死してしまい、その話は消えてしまいました。
こうして売れ残った姫君である空蝉は、受領である伊予介の後妻となります。
伊予介の前妻の娘である軒端萩は空蝉と同年代です。かなりの歳の差がありました。
若い姫を妻にした伊予介は、そんな空蝉を深く愛しています。
しかし、空蝉からすれば当てが外れた結婚です。
「ハァ〜、夫の愛が重くてウザいのよね……」
そんな倦怠感のある夫婦生活。受領の伊予介が哀れではあります。
空蝉は夫の赴任先にも向かうことはありませんでした。
そんなある日、17歳の光源氏が方違えのため、伊予介の息子である紀伊守の屋敷へやってきます。
上流貴族は下流貴族をこき使うことが当たり前なので、厚かましくも酒宴をしながら、こう言い出します。
「きみの継母はなかなかプライドが高いというねえ。どこにいるのかな?」
このとき、空蝉はたまたま義理の息子の家にいたのです。
「まだそのあたりにいると思いますが」
これを聞いた光源氏は空蝉を探し当て、契りを結んでしまいます。
方違えにやってきた上流貴族が、平然と受領の妻と通じてしまう――なんと酷い話でしょうか。
しかし、空蝉はプライドが高く、上昇志向もある女性です。光源氏に抱かれて満足はするものの、先はないと計算する。
光源氏が二度目に忍んできた時、空蝉は衣だけを残してその場を去り、光源氏は代わりに軒端萩を抱きます。
空蝉は痩せ型で、そこまで美人でもなく、スペックとしては軒端萩が勝ると判断する光源氏。
ああ、それでも衣だけを残して去るあの人は忘れ難い! そう胸に刻むのでした。
衣だけを残して去ったことから、彼女は「空蝉」と呼ばれます。
このあと空蝉は、夫である伊予介が止めるのも構わず出家。これも光源氏からすれば、モノにできない女性になったと理想化されました。
それにしても、この脇役である伊予介は光源氏に家族を踏み躙られています。
留守中に空蝉と光源氏が通じた上に「ダサい夫より彼の方がいい」と思われてしまう。
軒端萩も巻き込まれるようにして、光源氏と通じてしまう。
しかも「まぁ、この程度はどうでもいい」とつまみ食い扱いとは、あまりに切ない。
軒端荻の弟である小君という少年、つまり伊予介の息子も、光源氏と性的に通じ、籠絡されている。この小君を使って、光源氏は空蝉と文のやり取りをしていたのです。
現代からすれば、セクハラ三昧の光源氏とは一体何なのか……と思えてきてもおかしくはないでしょう。
しかも、興味深いことに光源氏と空蝉の関係は、藤原道長と紫式部にも置き換えられるのです。
一体どういうことか?
光源氏と空蝉のモデルは誰?
光源氏と空蝉には古来より、こんなモデル説がありました。
光源氏=藤原道長
空蝉=紫式部
あくまで推察であり、ゴシップを楽しむような感覚であるとはいえますが、確かに面白い見立てです。
何よりも、親子ほど年齢差のある夫がいて、愛していないというところに嫌なリアリティを感じさせなくもありません。
そして光源氏のモデルが道長ならば、こんな気持ちがあると読み取れなくもありません。
「貴公子であるあなたに抱かれたい、そんな気持ちはもちろんあります。でも、あなたほどの方と私の恋では先が見えないの……でも本当はあなただけ!」
いやはや、なんとも生々しい。
『光る君へ』のストーリーとも妙にリンクしている。
しかもこの空蝉は『源氏物語』でも屈指の勝ち組ヒロインと言えるのです。
メインにはもっと重要なヒロインがおり、さして目立つわけでもありません。そのぶん面倒なことにも巻き込まれず、いつまでも気高いままでいられ、苦しむこともそこまでありません。
しかも、義理の息子である紀伊守も空蝉に気があるという、モテモテ設定でもある。
こうしてみてくると、紫式部が自分をモデルにしたモテモテヒロインをさりげなく書いたドリーム小説(理想のキャラクターと恋に落ちる小説)作者のように思えてくるかもしれませんし。
あるいは、スポンサーである道長に対し、最大限の媚びを売ったとみなせなくもありません。
「あなたは素敵、もう本当に光源氏そっくり! あなたと恋をしたいけど、先が見えないんです、わかって!」
そうアピールしているともみなせなくもなく……『光る君へ』の二人の関係が気になってきますね。
それにしても、亡くなっているとはいえ夫・藤原宣孝の立場がないような気もしますが。
不遇だが、文人としてのプライドはある
もしも藤原為時に「受領だなんて、かわいそう」と言おうものならば、「プライドはある」と胸を張って答えるかもしれません。
ご存知の通り、藤原為時は漢文学者です。
『今昔物語』にはこんな逸話が載せられています。
藤原為時は、国司になりたいと一生懸命張り切ってきました。
そうして迎えた除目(じもく・任官)の日、国司に欠員がないという理由で、願いが叶いませんでした。
この翌年、為時は文才とコネを活かし、一条天皇に自作の漢詩を届けます。
苦学寒夜、紅涙沾袖
苦学の寒夜、紅涙袖を沾(うる)おす
除目春朝、蒼天在眼
除目(じもく)の春朝、蒼天眼(まなこ)に在り
私は寒い夜でも、血の涙で袖を濡らしつつ、勉学に励んできました
待望の除目を迎えた春の朝、そこで目にしたのは、青空だけだなんて(名前がないことを嘆いているという意味)
一条天皇はこれを見て、ろくに食事もとれなくなり、涙を流します。
それを見た右大臣・藤原道長は乳母子・源国盛を呼び出しこう言いました。
「すまん、お前を越前守に任じた件だが。辞表を出してくれ」
「えっ!」
あまりのことに国盛はショックを受け、秋の除目で播磨守に任ぜられるも、亡くなってしてしまったのでした。
こうして、漢詩によって越前守という地位を掴んだのが為時。
良い話のようですが、天皇と右大臣の思いつきでホイホイ変わる人事とは何なのか?と疑念を覚えるところではありますよね。
この話は為時の才能が素晴らしいだけでもなく、背後で彼の支持者がいたからこそ実現した人事のようです。
日本海に面した越前守は、為時にとってピッタリの任地でした。
その海岸には、北宋の船がたどり着く可能性が高いのです。
歴史の授業では、遣唐使廃止後に【国風文化】が始まったとされ、いかにも日本独自の文化が醸成されていったようですが、完全にそうとは言えません。
和様か、唐様か。そんな二択が生じるのです。
『源氏物語』においてもこれは意識的に分かれていて、ファッションからインテリアまで和様の人物もいれば、唐様の人物もいるといった具合。
為時は唐様、漢籍を読解し、漢詩を詠むことが誇りでした。
ちょっとした消息文でも「ふふふ、こんな譬えを使っちゃう私ってばやっぱり漢籍得意なんだよね〜」となるのが彼らのプライドです。
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