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【宇多天皇】
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藤原北家の影響を嫌い他家の人物も重用
最終的に、宇多天皇は涙を呑んで広相をクビにし、基経へ仕事に戻るよう改めて命じました。
基経は「えー、処分って言ったら普通流刑でしょ?」(※イメージです)とゴネ続けます。
と、ここでこの政争を聞きつけた菅原道真が「これ以上揉めると、基経殿にとっても藤原氏にとってもよろしくないのでは?」と仲介に入ります。
ようやくマウンティングに満足がいったのか。
あるいはさすがに引っ張りすぎと感じたのか。
基経は仕事を始め、この【阿衡事件】と呼ばれる一連の騒動は治まります。
しかし、宇多天皇はこのことを悔しがり、日記にその無念振りを記していました。
また、最終的に味方になってくれた道真に感謝し、基経が亡くなった後、重用するようになります。
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阿衡事件によりますます藤原氏(北家)の影響を嫌った宇多天皇は、そちらへも一定の配慮をしつつ、他の家出身でも有能な人物であれば登用していきました。
菅原道真をはじめ、藤原保則を採用したのも宇多天皇の意向によるものです。
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遣唐使を廃止し、「歌合せ・菊合わせ」などの文化的なパーティーも積極的に行ったことで、日本独自の文化が花開いていった時代でもありました。
なお、◯◯合わせというのは、今でいう品評会みたいなものです。
個人戦ではなくチーム戦で、集まった人々を左右のチームに分け、判者(審判)が一組ずつ優劣を決めていき、最終的に「優」の多かったほうが勝ちというやり方でした。
歌合せが一番有名ですが、芸術的なものなら何でもこういった勝負をやっていたようです。有名どころでいくと、源氏物語の中に絵合わせや香合わせのシーンがありますね。
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ワタシを助けて!by 菅原道真
そんな感じで、ある意味、日本の政治や文化の父ともいえるのが宇多天皇。
在位十年にして息子の醍醐天皇に突然譲位してしまいます。
醍醐天皇が生まれたときは宇多天皇がまだ源氏姓だったため、正当性を中徴するためともいわれていますが、定かではありません。
他にも仏門に入るためだとか、藤原北家からの影響を極力減らすため、元気なうちに院政を行えるようにしたかったからだとか、いろいろな説があります。全部かもしれません。
息子への置き土産として、道真を権大納言という朝廷のナンバー4(※イメージです)につけたりもしました。
道真は道真で元の身分が低いために、他の貴族からやっかみを買ってしまったりもしたのですが、これは宇多天皇がやんわりしかりつけて仕事をさせています。
結局その後、道真は失脚してしまうのですが……。
それでも、道真にとって宇多天皇はずっと庇護者だったようで、太宰府へ行く直前に助けを求める歌を詠んでいます。
「流れゆく 我は水屑(みくず)と なりはてぬ 君しがらみと なりてとどめよ」
意味としては「政略という水に押し流されてはるか遠くへ行ってしまいそうです。どうか助けてください」といったところでしょうか。
しがらみというのは現代では悪い意味で使われることが多い言葉ですけれども、元々は水の流れをせき止めるために作る柵のことです。
既に位を退いているとはいえ、君主よりもエライ貴方様であれば、しがらみのような力で助けてくださいますよね、という意味もあったかもしれません。
この頃の宇多天皇は上皇というだけでなく、出家もしてさらに政治とは遠ざかっていたので、具体的に道真の力になることはできませんでした。
しかし、道真が亡くなって京都に「祟り」が起き始めても、宇多天皇に害が及ぶことはなかったようですから、道真は宇多天皇のことは恨んでいなかったのかもしれませんね。
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宇多天皇が亡くなったのは道真が死から28年後のこと。
その間に何か災いが起きたという記録もないようです。
息子の醍醐天皇には先立たれていますが、その辺は当人のみぞ知るというところでしょう。
臣籍から復帰したことといい、「文化の父」といい、愛猫家な面といい、何とも盛りだくさんな一生を送った御方というのだけは間違いなさそうです。
こうしてみると、この方だけで大河ドラマできそうですね……と思ったら2024年は『光る君へ』でしたので当分厳しいかな……。
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長月 七紀・記
【参考】
『国史大辞典』
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon)
宇多天皇/Wikipedia