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◆後白河法皇の「文香」(ぶんこう)
後白河法皇の密書を前にして、北条時政と三浦義澄が「いい匂いがする」とはしゃぐ場面がありました。
こうした書状や紙に焚きしめる香を「文香」といい、当時の貴人たちが香を紙に焚きしめていたのです。
香は日本原産ではなく、宋を中継点とし輸入したもの。
白檀、桂皮、龍脳、丁子、甘松……といった種類があり、主に東南アジア、インド、中国南部原産のものでした。
そんな香料を贅沢に用いている。
その背景には、後白河法皇を悩ませる平家が、宋との交易を独占しているという事情がありました。
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後白河法皇は、平家を憎みつつ、彼らの手により入手した香を焚いている。それを「なんかいい匂いがする!」とはしゃぐ坂東の者たち。
当時の状況が凝縮された名場面とも言えます。
こうした香りは、現在ですと「線香臭い」と言われ敬遠されることもしばしばあります。
しかし想像してみてください。
今よりもっと強烈な臭いが充満していた時代です。葬儀において線香が欠かせない理由も理解できるのではないでしょうか。
鎌倉に住む坂東武者たちも、いずれ香の重要性に気づきます。
そして武士のオシャレとして定着してゆくのです。
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現在も香を紙で包んだ文香は入手できます。
香りをつけた紙を手紙のみならず、名刺入れやスマートフォンケースにしのばせる使い方もあるとか。
◆源頼朝の「和紙」の書状
源頼朝がサラサラと和紙に書きつけた、愛する女性である八重宛の書状。
八重になんとなくあこがれていた北条義時がそれを預かり、相手に届けにゆきます。
何気ない場面のようで、なかなか残酷といえばそうですよね。
質感のよい和紙に流麗な字を書く――これぞ貴公子の風格です。
現代で言えば、数万円もする高級レターセットに、何十万円もする高級万年筆を使っているようなシーンであり、八重や政子が「彼は何かが違う!」と惚れてしまっても全くおかしくありません。
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◆北条政子の「お経」
夫である頼朝の挙兵後、留守を守る北条政子は伊豆山大権現に預けられ、読経の日々を送ることになりました。
あのときのお経は頼朝のものか、あるいは政子が写経したものでもおかしくはありません。
現在でも修行の一環として存在します。
賢い彼女のことですから、単に読むだけではなく、写経によって仏の教えを身につけていったのでしょう。
その証拠に、勤行しながら、こんな疑問を義母・りく(牧の方)の前で口にしています。
「戦で人を殺める夫がいるのに、その妻が勤行を務めてよいの?」
素晴らしい進歩で、こういう問い掛けをできるようになったのも、仏の教えを学んだからです。
殺し殺されるのが人の世であり、虫けらのような殺害を当たり前だと思っていたら、そんな疑問も湧いてこないでしょう。
政子の胸に沸いた戸惑いは、このあと鎌倉時代に興隆する鎌倉仏教の芽生えのようにも思えるのです。
ありがたい教えを写すことで、きっと政子の知性にも磨きがかかったことでしょう。
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