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【鎌倉武士が愛した陶磁器】
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捨てる中国あれば拾う日本あり
日本の戦国時代、中国の王朝は明です。
海禁政策が厳しいこともあり、明の渡来品は日本で珍重され、商人にとって日本人は素晴らしい客でした。なんせ……。
「日本人はさ、これは要らない・売れないってのも高値でホイホイ買ってくれるんだよ」
そんな本音を聞くと、なんだかムッとするかもしれませんが、冷静に考えてみましょう。
中国の文人は、独自の高い美意識がありました。
彼らのセンスからすると、あまりに派手だったり、悪趣味に見える陶磁器には手を出さない。品質に問題がなくても「これはイマイチだな」と思ってしまう。
かように中国の文人が眉をしかめた茶碗も、日本に渡ると全く別の反応が起きることがあった。
「なんて美しくて派手な模様なんだろう!」
要は美的センスの違いですね。
好例が「玳皮(たいひ)天目」です。
◆文化遺産オンライン「玳玻天目茶碗」(→link)
この個性、この美しさ! この茶碗を入手した日本人はそう感激しましたが、元々は南宋で「派手すぎるな……」とされ、売れ残るようなものです。
茶の飲み方も影響しています。
抹茶を飲むには、茶の粉をかき混ぜるため大きな茶碗が必要となります。
しかし、明代以降に定着した煎茶は、香りを楽しむための小さな茶碗か、手のひらにおさまる蓋つき茶碗(蓋椀)が主流。
中国での茶器は小型化しており、
「このデカい茶碗、需要がないけど、どうするの?」
と余ってしまうものが出てくる。
要は美的センスと需要の違いですね。
当時の日本は、こうして明から渡ってきた茶器を鑑定し、個性的な名前をつけ、茶を楽しみました。
茶道具は大事に保管され、後世、日中での文化遺産ともなりました。
ただし、莫大な利益が発生するせいか、この時代には日本人を主体とする多国籍密貿易集団・倭寇も暗躍。
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豊臣秀吉の朝鮮出兵では、優れた技術を持つ陶工たちが日本に連れてこられています。
有田焼の産みの親とされる李参平や百婆仙、薩摩焼の沈壽官が知られています。
陶器には歴史が詰まっている
古代には、中国や朝鮮半島からの渡来人が伝え。
近世へと向かう頃には、中国で珍重されなかった茶器が、日本の茶道で重宝され。
陶器は、日中の交流史そのものとも言えます。
あまりにも身近なため、ともすれば軽視されがちな存在ですが、これだけ長年かつ多岐に渡って重用されてきた文物は他にないかもしれません。
せっかく鎌倉を舞台に大河が展開されたのですから、ドラマで使われる食器に注目してみたり、鎌倉の海岸で宋の陶器の破片を拾ったり、鎌倉歴史文化交流館の文物を眺めたり……。
武士たちとは別の角度から歴史に思いを馳せるのも一興ではないでしょうか。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
出川哲朗/弓場紀知/中ノ堂一信『アジア陶芸史』(→amazon)
彭丹『中国と茶碗と日本と』(→amazon)
野口実『北条時政:頼朝の妻の父、近日の珍物か』(→amazon)
伊藤一美『新知見! 武士の都 鎌倉の謎を解く』(→amazon)
小島毅編『義経から一豊へ―大河ドラマを海域にひらく』(→amazon)
エイミー・アザリート/大間知知子『生活道具の文化誌』(→amazon)
他