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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第5回蔦に唐丸因果の蔓】
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我儘でいることが、自由ということだ
長引いた交渉の末、源内はどうにか炭屋を買えたようで。
蔦重は、道を歩きつつ「いつもこんなことをしているんで?」と尋ねます。
儲け話を考える。
人と金を集める。
いちいち大変じゃないのか?と不思議がっているのです。
「へへへ……仕方ないじゃない。俺には抱えてくれるお家も、お役目もないんだから。てめえで声張り上げて回らねえと何一つ始まらねえんだわ」
そう笑い飛ばす源内。
蔦重は不思議そうに、田沼様から山の仕事を任されているはずだと言うと、源内は説明します。
「俺のことはどこも召し抱えちゃなんねぇって、元仕えてたとこがくだんねぇお触れを出しやがったのよ」
「そんなお触れが」
「なんともケツの穴の小せぇ話よ。けど、そんな小せぇケツの穴に、俺の壮大な逸物は収まりっこねえわけでさ! とどのつまりはそういう話よ! ハハハハハハ!」
ったく、吉原どころか、それ以外にも子どもへの説明に困る大河ドラマだな!
さて、下ネタはさておき。
源内は「奉公構」(ほうこうかまい)という大変珍しく厳しい処置を受けております。
「奉公構」とは、武家に仕えながら役目を放棄させられ、かつ他家への再就職を禁じられる、あまりに重い罰則です。
ただし、源内は勤務態度が酷いので、これはある程度仕方ないかとも思えます。
現代ならば「出勤は嫌! リモートワークのみ!」と言い張るタイプですね。『光る君へ』のまひろも似たようなところがありました。
本作の後半に出てくるであろう曲亭馬琴も、主君への不満を歌に詠んで自主的に家を飛び出しておりますので、この手のタイプに該当しますね。
「まァ、けど、自由に生きるってのは、そういうもんでさ」
そうここで、下劣を極めたあとでよいことを言い出す源内先生。
「自由に生きる?」
「うん、世の中には、人を縛るいろんな理屈があるじゃねぇか。親とか生まれとか家、義理人情。けどそんなものは顧みずに自らの思いに由ってのみ、我が心のままに生きる。我儘に生きることを自由に生きるっつうのよ」
「我儘……」
「我儘を通してんだから、キツいのはしかたねえや」
蔦重はここで何かパアッと明るい顔になり、本屋の株を買う計画を持ちかけます。
突然のことに驚く源内。そういう話をできる人を教えてほしいというと、源内はすぐさま「書林」という店へ向かってゆきました。
「地本問屋」に株はなかった
そこにいたのは、見るからに温厚で生真面目そうな須原屋市兵衛でした。
演じるのは時代劇のレジェンド・里見浩太朗さん。
「お前さん、漢籍は読めんのかい?」
そう聞かれた蔦重は、即座に否定します。
ここはなかなか重要で、後年、曲亭馬琴は蔦重のことを「教養はない」と評しています。
まぁ、馬琴は「俺以外は全部バカ!」みたいな価値観の持ち主で周りを皆貶していますので、そこは多少差し引くとしましても、実際、そうなのでしょう。
二人が話すその前に江戸の町人がいて、端正な佇まいで座り、漢籍を読み合っているようです。
これも重要です。
何度も指摘してきましたが、隣の清や朝鮮では科挙合格を目指して学ぶ。
一方で日本の人々は、楽しみのため、教養のため、自己表現のために学ぶ。
書林の常連客は真面目に学ぶ人々なのでしょう。
しかし蔦重が欲しいのは書物問屋ではなく、地本問屋の株でした。
すると須原屋は意外なことをいう。地本さんは株仲間に入ってねえんだと! 源内もこれに同意。
「仲間、仲間、言ってたんだけどなぁ」
不思議がる蔦重に対し、「書物問屋」は株仲間に入るけれど、「地本問屋」の場合、「仲間」は本来の素朴な意味、なかよしのお仲間という意味だと説明されます。
な、なんだとー!
あのむかつく優等生ヅラでニヤニヤしていた鶴屋。マシリトヅラの西村屋も、ただの内輪で回す話を振り翳して威張っていたってコト?
しかし蔦重はガッカリ……。これで株を買って、地本仲間に入ることはできないのだと悟ります。
じゃあ、どうすりゃ板元になれんだよ!
そう不貞腐る蔦重に対し、「勝手になっちまえ」といい加減なことを言う源内。
須原屋は「どこかの本屋に奉公にあがったらどうか?」と現実的なアドバイスをくれました。
なんでも彼の店も、暖簾分けしてもらったのだとか。
それだけ助言すると、寄り合いに出かけると去って行くのでした。
須原屋がすごく善人で人格者とわかる一方、地本の連中が悪どく思えてきますよね。
この「書物」と「地本」の区別は重要ですぜ。
いわば地本はサブカルなんですな。お上もそこは放置していてよさそうなもんで、田沼意次ならここから金をふんだくろうとでも考えることでしょう。
源内もそこを踏まえての「耕書堂」ともいえる。
でも、存在そのものが気に入らねぇ人が出たらどうなるか?って話なんですよ。
田沼意次から金策する平賀源内
そのころ源内は、田沼意次に500両を都合するよう依頼しています。
株と店、炭の積み出しにそれくらいかかるそうで。
意次が「やめたいと言っている者を説き伏せられるのか?」と確認すると、源内は即答。
「それは必ず! 何としても説き伏せてみせます」
本当に?
そう突っ込みたくはなりますが……。
「千賀道有を通して、金は流しておこう」
そうぼそりと呟く意次。
この千賀道有も田沼人脈の一人です。幕閣からすれば新参者である田沼意次は、個人的な引き立てやら姻戚関係を活用し、金を流すルートを築きました。
必要悪といえばそうかもしれませんが、このへんが「悪徳政治家」とされる一因のようではあります。
「ありがとうございます! まことに、神様、仏様、田沼様!」
源内がこう頭を下げるわけですが、悪どさは匂い立つようではありますわな。
意次はそれを軽く受け流し、礼を言うのはこっちだとしながら、障子を開けて庭に面した縁側へ向かいます。
それにしても、意次のいる場所はインテリアに金や絵があしらわれ、なんとも美しいものですな。
山を開く。
水路が開かれる。
商いが盛んになる。
川沿いには宿場ができ、会所が開かれ、民は潤う。
その結果として、運上冥加が入ってくる。
ここまで語ると、さしもの意次も少しテンションがあがってきました。
本来お上が旗を振ってもよいくらいだと、苦い口調で付け加える意次。
それを妨害している「お前は商人か」などとほざく由緒正しき方々がおらなんだらな……と憎らしげに付け加えます。
公文書偽造までして田安賢丸を将軍の座から遠ざけた動機も見えてきましたね。
あれが将軍になったら緊縮財政待ったなしで、田沼政治が終わる――彼からすれば禍根を残すことは明白でしょう。
国を開けば、おのずから世は変わる
「いっそもう、四方八方、国を開いちまいたいですね!」
そう軽く言ってのける源内。
「国を開く?」
意次が源内の方を振り向きます。
そうすりゃあいろいろ片付く。
日本中津々浦々の港を開いて、誰でもどこでも外国と取引できるようになりゃ、皆異人と接する。あいつら相手にすりゃあいろんなことがはっきりわかる。
意次は「いろんなこと?」と促します。
たとえばものの値打ちだと源内。
異人相手に米俵抱えてそれを売ってくれと言ったところでどうにもならない。
それを「由緒正しき方々」がやってみりゃいい。葡萄の酒一本売ってくれねえと。やつらが取引してくれるのは「金・銀・銅」だ、と。
人の値打ちだってそう。先祖が偉いとまくしたてたって通じない。通じたところで「はぁそれで?」で終わっちまう。
「やつらが相手にしてくれる、そんな値打ちがあるのは話ができるやつです。由緒ってのは屁みたいなやつだとわかりますね。一方で何もねえやつらにとっては、こりゃ待ってましたの檜舞台ってわけでね。異人相手に商売やってりゃいいってなりゃあ、いろんなやつらが出てきましょうなぁ」
そう源内は思いをぶちまけつつ、いろんなやつが出てくるといいます。はて、なんでしょう?
たとえば「幇間」――幇間というのは、蔦重もそう言われてもおかしくない。「太鼓持ち」ともいう役割です。英語だと「プリーザー」ですね。パーティで盛り上げるタイプです。いわばプロのパリピですね。
源内はここで言葉を覚えて「通詞」になる奴が出てくると言います。
異人は牛や豚の肉を食べる。その提供店が出れば大儲けできる。
そう二人は笑い合います。
造船業。異国語の塾を開くやつ。上から下まで知恵を絞って、これでもか、これでもかと値打ちのあるものを考える、作り出す。
「国を開けば、おのずから世は変わる」
そう確信を込めて言う意次。立ち上がり、こう続けます。
「俺たちがやろうとしていることなど、ほっといても変わる世の中になる!」
「然様でございます! 国を開きゃあ占め子の兎! 全てがひっくり返ります!」
笑い合いつつも、ため息をつく二人。悲しげな表情になり「そういうわけにもいかぬ……」と意次が背を向ける。
国するとなれば、あっという間に属国とされて終わる……と源内も沈んでしまいます。
「この国には戦を覚えている者はいない」
そう締めくくる意次でした。
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