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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第3回「謎の男」】
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父の間者となるメリット
帰宅したまひろは、よい時を過ごしたと為時に報告します。
源倫子についてを問われると、まひろは「あのようなお方にあったことはない」と言います。よく笑う方だと。
しかし為時が知りたいのはそういうことではない。年頃ゆえに、東宮の妃となってもおかしくない。一体どういうお考えなのか?
すると、まひろの猜疑心が発動します。嗚呼、めんどくさい。
兼家様に頼まれたのか、間者にしろと言われたのか?と父を問いただします。
為時は、お前が外に出たがったから、高貴な方とお近づきになって損はないと言うしかありません。その上で、いやなら行かなくていいとまで言ってきました。
まひろはここで割り切ります。そういうところがちょっと気持ち悪いんだぞ!
父の言葉に納得もあるんでしょうね。楽しいことはそうだし、メリットはある。
そして倫子様に気に入られるようにすると、キッパリと言い切るのでした。
とはいえ、内心父への軽蔑が高まったのか。
一人、母の遺品である琵琶の前に立つ時の白い顔は、憤怒がふつふつと滾るようにも見えます。吉高さんだからこそできそうな、この表情がたまりません。
そんな土御門姫君サロンでは、こんな歌が詠まれました。
見てもまた またも見まくの 欲しければ 馴るるを人は いとふべらなり
一度逢えても、またすぐ逢いたくなってしまう。あの人は私と親しくなりたくないのか。
しかし、赤染衛門がそれは『古今和歌集』「恋歌」の、読み人知らずの歌だと指摘。
人の歌をそのまま盗んではならない、自分の言葉で歌を作るのが大切だと説きます。
「はーい」
そう言いながら、ふふふと笑い合う姫君たち。なんでも赤染衛門は『古今和歌集』は全て覚えているのだとかなんとか。
ここで同じ『古今和歌集』からあの小野小町の歌です。
秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば ことぞともなく 明けぬるものを
秋の夜が長いというけれど、言葉だけのことでしょう。せっかく愛しいあの方と逢う夜なのに、これということもなく、あっという間に明けてしまった。
小町がよい歌を詠めたのは、きっと素敵な恋をしたから。そう盛り上がり、恋をしようと言い出す姫君たち。
まひろの笑みは、どことなくひきつっています。
帰り道、四条万里小路に寄っていくと乙丸に告げるまひろ。お目当ては散楽です。
乙丸は姫が見るものではないと諭しますが、それでも行くと言い、フフフとあざとく笑うまひろ。
乙丸が困惑していると、源倫子様の真似だと言います。
まひろよ、倫子と違ってあなたがやると策略の臭いがしますぞ。
すると道長も“三郎”の服装でやってきていて、散楽を挟んで二人は見つめ合います。
あなたは誰?この気持ちは何?――そう焦らす展開は、ここで区切りがつくようです。
MVP:源倫子
これぞまさに姫君でしょう。
かわいらしい。出てくるだけで周りの空気が甘く、柔らかく、明るくなる。圧倒的な華やかさがあり、癒されます。何もかもが素敵です。
琴を奏でる指先。
檜扇を持つ手。
笑い声。
細める目。
可愛く、愛らしい。目の前で花びらが舞っているようで、見ているだけでたまらないものがあります。
燦々と差し込む光のような姫君により、まひろのめんどくさい個性もあらわになったと思えます。
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人皆人に忍びざるの心有り、では恋心は?
漢籍が何か意味を示すこの作品――今回はこの点に注目したい。
何かがひっくり返った気がします。
このドラマは、まひろと道長の恋愛で焦らしているように思える。
けれども、そうなのでしょうか?
もしかして二人とも「困っている人を助けたいんだ!」という惻隠の情で動いていただけであり、恋をしていないのではありませんか?
この読み違いは前述した『麒麟がくる』でもありました。
光秀が駒を助けたものだから、この二人に恋愛フラグが立ったと誤解した視聴者がそこそこおりました。
光秀は親切心です。確かに駒は淡い恋心を光秀に抱いていたものの、それよりも人助けに生きがいを見出すようになる女性でした。
なんでもかんでも恋愛フラグ扱いにするのはどうなのか。
ドラマ鑑賞程度ならばまだしも、実際の人間関係でこれをやられると、大変迷惑です。
『光る君へ』に戻しまて……。
やはり、まひろは何かおかしい。
三郎がいなくなって大丈夫かと気にしている。けれども直秀から無事を聞かされても、喜ぶどころか猜疑心全開にして太郎を使って調べようとする。
その太郎に、妖怪かどうか確認したいと言う。
これが恋をする若い女性の言動なんだろうか……。なんなんだ、本当になんなんだよ!
だいたい「謎の男」というタイトルも妙です。逢いたい相手を謎呼ばわりってどこか変ですよ。
そんなズレたまひろも、源倫子がとてもかわいらしいことはわかる。
笑顔を用い、手のひらで玉を転がすように人の心を掴めることも学んできた。人心掌握を学べるからこそ、父の陰謀に乗っかっているのかもしれない。
とはいえ、それを真似て乙丸に笑うところはなんだか滑っていて、ちょっと不気味なのか、乙丸も引いてしまう。
小野小町のように恋をしたいとはしゃぐ姫君サロンで、笑顔が引きつっている。
なんかこう、私はこういうの好きじゃないというオーラがじわっと滲んでいるというか、理解できていないというか、“かわいい若い娘”という仮面をかぶっているというか。
まひろって、実はガチガチの理詰めで、恋するままに動けない性格なのではありませんか?
周囲から学び、空気を読んでふるまおうとしているけれども、実は何かがずれているのかもしれない。
そういう心の奥底では「世の中なんてさ〜、心なんてさ〜!」と思っているひねくれ女子が、人間の心を転がすような話を組み立てるって、やっぱり面白いと思えます。
そういう醒めた俯瞰目線があればこそ、ああいう物語は描けるのだろうなと。
まひろのこういう性格って、イギリスの女性作家であるジェーン・オースティンも思い出します。
恋愛小説の名手として知られ、英語圏の教科書には掲載常連、国民的作家です。
けれども本人は恋愛をした情熱的なタイプでもなく、皮肉屋で理知的です。
恋愛小説にせよ、流行しているものを自分流にアレンジして皮肉って書いてやるような動機があります。
オースティンのヒロインはなかなかひねった設定です。書簡集を読むとものすごく嫌味なことを書いているとも思える。
そういう皮肉屋だからこそ、見えてくるものがあるのかなと。
ひねくれたヒロインって実にいいですね。もう本当に変なヒロインです。
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