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『光る君へ』感想あらすじレビュー第3回「謎の男」

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第3回「謎の男」
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貴公子たちの勤務と“品定め”

ここからは平安貴族の勤務時間へ。囲碁をさしている貴公子たちがいます。

「今宵は盗賊はいないし、宿直はいらん」

リラックスしながら、話題は道長が獄に繋がれたことへ。

藤原公任は関白・藤原頼忠の息子です。姉は中宮遵子。

藤原斉信は大納言の息子です。

見るからに貴公子然とした藤原公任。

月岡芳年『月百姿』「しらしらとしらけたる夜の月かけに雪かきわけて梅の花折る」に命が吹き込まれ、動き出したような、町田啓太さんの姿です。

しらしらとしらけたる夜の月かけに 雪かきわけて梅の花折る

月岡芳年『月百姿』の藤原公任/wikipediaより引用

藤原斉信はきっちり仕事をこなしそうな、はんにゃ金田哲さんが切れ者貴公子に扮しております。

道長は獄に繋がれた感想を聞かれ、「少し臭い」とかなんとか……。

そんな話はいいからこれでも見よう、と公任が和紙に書かれた和歌を出してきました。思いを寄せる女性が贈ってきたものだそうです。

姉上についている女房は、歌は上手いが顔はまずいだのなんだの、好き放題に言いあっている。

公任は女の文を厠に落とすこともあるとか。落とされたら運がないで済まされ、なんとも残酷です。

道長は鈍感なのか。男からだけでなく、女からも文を送るのかと感心しています。そして自虐的につぶやく。

「俺は漢字が下手で、歌も下手だ……」

はい、そうですね。だから練習をしなさいってば……と、それはさておき、公任は「別に歌だの文だの送らないでも尋ねてしまえばいい」と、恋愛に慣れきった余裕の発言をします。

道長だって隠し持っているのではないかと斉信が続けます。

「とぼけるなよ。ぼーっとした顔で、存外女子の気を引いている」

そう言い、どんな女子に興味があるのかと問われる道長です。

悩んでいる道長。そこがいいところで、そばにいるとホッとすると魅力が語られております。

ここで、年頃なのに婿がいないとか、左大臣の姫君の噂が語られ、斉信は俺を待っているのかも?なんて言い出しております。一体どんな女性なのでしょうか。

源氏物語』の「雨夜の品定め」オマージュと言える場面でした。

太郎は絵師のもとへ向かうものの、素っ気なく相手にされません。事前に父の藤原為時が口止め料を払い、きつく言い渡しておいたのが効いているのでしょう。

代筆で儲かったくせに恩知らずだと太郎が詰め寄っても、代筆なんてやってないとそっけなく返されます。

そんな太郎が“三郎”探しをしていると、道長が通り過ぎてゆく姿が見えるのでした。

街で“三郎”候補を見つけた太郎が、家に連れてきて、御簾越しにまひろに見せます。

「違う」

そしてまひろは、またもかわいげのないことを言い出します。まさか太郎が本当に探してくるとは思わなかったとのことで、猜疑心旺盛ですね。

太郎はかわいらしく「たった二人の姉弟だ、賢くないけれどやる時はやる」と返します。紫式部には夭折した姉がいたともされますが、本作ではカットされているようですね。

太郎は姉上が見た“三郎”は鬼や悪霊、怨霊の類じゃないかと言い出します。

「それを確かめたい」と返すまひろは、怖がることもありません。彼女らしさが非常によく出ている。吉高由里子さんだからこそできる役に思えてきます。

 


円融天皇、回復せず

安倍晴明が祈祷しております。かなり迫力がありますね。

当時の陰陽師は公務員であり、公務として真面目に勤務しているからこそかもしれません。

逆に、公務員以外で祈祷や呪詛をするような連中は、危険人物です。『鎌倉殿の13人』の文覚がそういう副業をしていましたね。

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しかし、そんな祈祷の甲斐もなく、円融天皇の容態は回復しないまま、時間が経過。

先週の放送から藤原道兼が毒を盛らせていましたね。

張本人である道兼は気になって仕方ないのでしょう。藤原実資に対し、天皇の様子を尋ねます。

重くはなっていないものの、回復の兆しもない。ただのお疲れでもない。祈祷も五日目なのに、効き目がないのもおかしいと怪しむ実資に、道兼が帝は体が弱いから……と自身の毒盛りに追及がおよばないよう、さりげなく誘導しています。

しかしこの実資は何やら勘が鋭いようで「今回はおかしい」として、内侍所で、陪膳の女房を取り調べ、朝餉夕餉も見聞すると言い出します。

道兼がついていこうとすると「一人でいい」とのこと。

果たして道兼の運命は……?

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不安になったのでしょう。道兼が父の兼家に事の次第を報告すると、証拠は出ないとふてぶてしい兼家。

命まで奪わず、道兼も今はもう毒を盛っていないんだとか。

頭中将(実資)は思い込んだらしつこい、どんな追及をするかと気が気でないのに対し、兼家は余裕があります。

むしろ天皇の信頼が篤い実資をうまく味方にするように、とアドバイスとも命令とも取れるような指示を出します。

そして極めつけはこれだ。

「その女房を抱いたのか?」

当分大切にしておけ。道兼に守られていると思うことで、味方につけるのだと、いかにも下劣なことを平気で言う兼家が、さらに念押しします。

「一族の命運がお前にいかかっておる。頼んだぞ、道兼」

「ははーっ!」

伏せながら、顔がほころんでしまう道兼。なんとまぁ、素直なんですかね。

この父は愛情をちらつかせて、息子に悪事を働かせながら、繋ぎ止めようとしている。構図としては、道兼が利用する女房を抱くのと同じようなもの。

愛情で人を操っています。

そのことに鈍感だからこそ道兼は籠絡されてしまうのでしょうか。空っぽの心に愛を満たそうとして、悪に手を染めてしまうのか。

同じ兄弟でも、妻子から愛を受け止めている兄の藤原道隆。なぜか誰からも愛されてしまう弟・藤原道長とは違う道兼。愛情の欠如が彼を動かしています。

その長兄の道隆ですが……妻の高階貴子が、庭で娘の藤原定子が転ぶところを見ています。

「定子、自分で起きなさい」

転んでしまった幼い娘にも厳しい貴子。道隆も手放しで彼女を褒め、賢い自慢の妻だと誇りに思っているのだとか。

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夫妻は定子を入内させるつもりです。

姉と弟のように遊んでいても、やがて懐仁親王は帝になる。だからこそ、転んで泣くようではいけない。強い心を養うのだと貴子が決意を語ります。

さて、ここで立派な鶏が映りました。兼家自慢のペットですね。

安倍晴明が兼家に、邪気を払った報告。

そのうえで、荷物が重いからおそ回復できない、一番重い荷物を下ろした方が良いのでは?と円融天皇に奏上するつもりだとか。

喜び、褒美を遣わすと言う兼家に対し、ニヤリとする晴明。どうやら計算通りのようです。

 


頭中将・実資は疑う

円融天皇は、安倍晴明の奏上を聞き、彼まで譲位を促すのかと疲れ切っております。

それではいけないと怒っているのが藤原実資。

お上はまだ若い、回復すれば政務が行えると信じていて、譲位など考えぬようにと念押しします。

けれども天皇は、皆がそう思っているとは限らないという。そして邪気をはらっても、また別の邪気が襲ってくるとこぼしています

実資が、邪気祓いをすればよいと訴えても、円融天皇とてわかってはいるのです。

右大臣・兼家の思い通りとはいえ、唯一の皇子である懐仁を東宮にしたいことでは一致している。そうしなければ自身の血統が絶えてしまう。

とはいえ実資は、あの師貞親王が帝(花山天皇)になったら世が乱れると気が気でありません。円融天皇とて、そこはわかっているとのこと。

さて、その右大臣兼家が天皇のもとへやってきます。

回復してホッとしていると兼家がいうと、晴明の祈祷が効いたと円融天皇は返す。その上で急に良くなったり、悪くなったりおかしなものだとも言います。

兼家は気遣うようで退位を促すように、お疲れだというようなことをいう。

円融天皇は懐仁の様子を聞きながら、あまり甘やかすなと釘を刺すと、東宮になればもう少し強くなると返す兼家。

懐仁が東宮になることこそ、この国の意見だなんてことまで言い出します。自分の孫を天皇にして権力を手にしたいだけなのに、サラッとこんな言葉が出てくるのです。

さて、捜査を行なった実資は、女房から全力で嫌われました。

「頭中将様、いけすかない!」

「疑うなんて」

「無礼無礼無礼!」

「己の吐いた言葉をこじつけただけ!」

「嫌な奴!」

そう檜扇で顔を覆った女房が嫌がる様が見えてきます。

実資も、こうなると内侍所の検分は勘違いで、終わりにするしかないと道兼に告げるしかない。道兼は回復の兆しがあるならよいと安心しています。

女房たちの憤りにあい、やりにくくなったとこぼしている実資に対し、道兼は「頭中将は筋の通ったお方」と褒め、どこまでもついていくと熱っぽく言います。

「あ、そ」

そうそっけない実資でした。

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さて、実に日本史らしい場面と言いますか。こうした女官たちの権限はいつまで存在したか?というと明治維新で区切りがつきます。

江戸時代は、朝廷の女官にせよ、江戸城の大奥にせよ、女性が一定の権利を手にしていました。

幕末の“志士”たちは、この女性たち相手の政治工作にほとほと嫌気がさしたようです。明治維新で、大奥と大名家の奥は終焉を迎えるのです。

そして東京遷都に伴い女官に暇を出し、天皇の意思を女官がやりとりする慣習ごと、数百年来の伝統を消しました。

明治4年(1871年)、薩摩閥の吉井友実は日記にこう記したのです。

「数百年来の女権唯一日ニ打消シ愉快極まりなしや」

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そしてもうひとつ。

毒盛りは東洋史ドラマ定番の展開ですが、こんななし崩し的に終わっていいのか?という気持ちは湧いてきます。

これが日本中世史らしさかもしれません。

ちょうどこのころ、中国は北宋の時代にあたります。当時の人気のある人物として、清廉潔白な官僚である包拯(ほうじょう)がおります。

彼は賄賂を受け取らない。悪徳宦官に屈しない。死後、ますます名前が高まり、正義感の強い包拯の名裁判は、フィクションの題材とされます。

清廉潔白で賢いお役人様が、悪党を裁いて欲しいなぁ!

そんな民衆の需要と、作家の供給が、南宋から元、日本ならば鎌倉時代あたりには一致し作品として結実していたわけです。

それが日本で実るとなると、大岡忠相の名裁きあたり、江戸時代まで待たねばなりません。

大岡裁きは「包公案(包拯様の名裁き)」の影響を受けております。文化同士で影響を受けてきたのが、東洋のエンタメなのです。

このドラマは、中国や韓国ドラマを意識していると言います。

それを踏まえて比較してみると、毒を盛ってもゆるゆるしたオチとするところに、日本らしさを感じないわけでもない。

厳密な推理と法の裁きは、このドラマに期待するところではない。そこも個性として楽しむことが正しいのでしょう。

中国や韓国を意識していると、内田CPが明言したのは素晴らしいことです。日本の伝統回帰ともいえます。

鏡を見なければ顔の確認はできませんよね?

日本は伝統的に、唐(から・中国)や高麗(こま・朝鮮半島)と比較することで、自分たちの定義をしてきました。

明治以降、それを無視して無理してきたと思えます。それを取り戻す流れがきていて、本作はそこにスッと入り込んだと感じるのです。

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