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『光る君へ』感想あらすじレビュー第3回「謎の男」

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第3回「謎の男」
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優雅な姫君が、土御門にいる

藤和道長は、勤務中の兄・藤原道兼の姿を見付けます。

太陽光の下で見る、この平安貴族の美しさよ。衣装が見ているだけでうっとりとしてしまいます。

道長は甘えの達人なので、あの道兼にいつもお目にかかれないと言います。だからなんだと突き放しつつ、道兼がこう言います。

「いつか一献傾けたいな。父上も交えて」

「はっ」

この短いやりとりなのに、兄と弟の個性の違いが見えてきます。

第1回で視聴者の憎しみを買ったはずの道兼なのに、なんだかとても寂しそうで、哀れで、愛着すら感じるようになってきました。

道長のおかげでしょうか。道長に近づくと、花が開くように人の心もそうなるのか。不思議ですね。

光る君へ感想あらすじレビュー
『光る君へ』感想あらすじレビュー第1回「約束の月」

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藤原為時は、東宮様の勉学について兼家に報告中です。

なんでもやる気を出しているとか。

しかし兼家が気になっているのは、左大臣・源雅信の姫君のようです。

左大臣の思惑は何なのか。帝にも東宮にも娘を差し出さないのはなぜなのか。

スパイとして使い物にならない藤原為時を下がらせようとすると、その為時が立ち止まります。

お役に立てるかもしれぬと言い出しました。

左大臣の住まいである土御門殿では、一の姫である源倫子が、雅信と穆子(ぼくし/あつこ)の前で琴を奏でています。

雅信に対し穆子が、新しい装束をお召しになるかと問いかけると、倫子の琴を聞いていると鬱陶しそうに応える雅信。

「よき姫に育ったものだ」

うっとりとしています。

しかし、彼女も来年は22だと穆子がチクリ。

宇多天皇の血を引くのだから歳などいくつでもよいと強気の夫に、穆子は、雅信が土御門に婿入りしたとき、私は20だったと穏やかに反論します。

それでも雅信は、よい音色だとうっとりしております。

ここで黒木華さん演じる倫子が出てきます。

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貴公子が噂し、兼家が気にしていたあの姫君です。

これは確かに可愛らしい。衣装も、所作も、何もかもが愛くるしく、「お姫様」という概念を体現していると思えました。

 


姫君サロンへようこそ

藤原兼家に雇われ、点数を稼ぎたい藤原為時は、左大臣家の姫君に集いに行かないか?とまひろに言い出しました。

なんでも赤染衛門という歌人に、姫君たちが集って学ぶサロンになっているのだとか。

彼女は月岡芳年『月百姿』「やすらはで寝なましものを小夜更けて傾くまでの月を見しかな」で描かれ、本作では凰稀(おうき)かなめさんが才知あふれる姿を見せてくれます。

『鎌倉殿の13人』でおなじみ、大江広元の先祖ですね。

やすらはで寝なましものを小夜更けて傾くまでの月を見しかな

月岡芳年『月百姿』の赤染衛門/wikipediaより引用

身分が低いから行くところではないと乗り気でないまひろに対し、賢いのだから身分の差など乗り越えられると為時。

特に穆子様は親戚なのだから楽しんでくるようにとプッシュします。

それにしても、まひろはどこまでめんどくさいのか。外出と気分転換のよい機会だろうに、何か疑っているようにすら思えます。

結局、まひろは姫君サロンへ。

公式サイトで熱く解説されるほど、美しく華やかな世界が広がっています。

「日本の宮殿って地味だなあ! 飾りが全然ないわ」

これは平安時代ではなく、幕末の来日外国人が江戸城などを見た感想です。

怒らないでください。これは確かにそうです。

柱に色を塗らずにそのまま立ててあったり、ゴテゴテと貴金属で飾り立てるわけでもなく、花をいけてあったりする。

見た瞬間にわかる派手な豪華さとは異なるけれども、目を凝らすとしみじみと美しい――そんな風雅な趣きがあるのが、本作のこの場面と言えるでしょう。

姫君の衣装が美しい。襲(かさね)の色合いがどうしてこんなに可愛らしいのかと見惚れてしまいます。

平安時代って、知れば知るほどこの時代に生きていなくてよかったなぁと思えるほど、実は過酷な時代。

それでも憧れを持ってしまうのは、まさにこうした繊細な美しさにあるのでしょう。

親戚の娘と穆子に紹介され、丁寧に名乗るまひろは、見るからに衣装が地味でちょっとつらい。しかも父は、現在官職に就いていないと言わねばならず、これまたつらい。

姫君たちは「うふふ」「おほほ」と笑いながら、赤染衛門が「偏つぎ」遊びをすると言います。

漢字の旁(つくり)を示すと、そこに「偏」をつけ、文字を完成させるもの。

空気を読めないまひろは、次から次へと当てて圧勝してしまいます。

「すごーい! まひろさんは漢字がお得意なのね」

「一枚も取れなかった」

そう上品に笑う姫君たちを前にして、やりすぎた己に気づくまひろ。どこまで面倒くさいのか。

赤染衛門は、女でも漢字を覚えて、漢詩を詠めて、漢文を書けねば、我が子の指南ができないと諭しております。

「はーい」

「みなさまもですよ!」

「はーい」

真面目なのか、不真面目なのかわからない返し方をする姫君たちです。

ここで檜扇を操りつつ、ふわふわと笑う倫子の愛くるしさは何なのでしょう。空を飛ぶ蝶々か、花びらのような軽やかさがあります。

何かと重いまひろとは正反対のようにも思えます。

 


四端ーー人に忍びざるの心

平安貴族の貴公子たちは、関白・藤原頼忠の屋敷で休日でも漢籍の勉強をしています。

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今日は『孟子』「公孫丑上」。

公任がスラスラと読んでいます。

孟子曰く、
「人皆人に忍びざるの心有り。
先王人に忍びざるの心有りて、斯(ここ)に人に忍びざるの政有り。
人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること之を掌上に運(めぐ)らすべし。
人皆人に忍びざるの心有りと謂う所以(ゆえん)の者は、今人乍(たちま)ち孺子(じゅし)の将(まさ)に井に入らんとするを見れば、皆怵惕(じゅってき)惻隠(そくいん)の心有り。
交わりを孺子の父母に内(い)るる所以(ゆえん)に非(あら)ざるなり。
誉れを郷党朋友に要(もと)むる所以に非ざるなり。
其の声を悪(にく)みて然するに非ざるなり。
是に由(よ)りて之を観(み)れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。
羞悪の心無きは、人に非ざるなり。
辞譲の心無きは、人に非ざるなり。
是非の心無きは、人に非ざるなり。
惻隠の心は、仁の端なり。
羞悪の心は、義の端なり。
辞譲の心は、礼の端なり。
是非の心は、智の端なり。
人の是の四端有る、猶(な)ほ其の四体有るがごときなり」と。

孟子が言った。
「人には皆、他人の不幸を見過ごせない気持ちがあるものだ。
古代の聖王は、人の不幸を見過ごせない気持ちをみな持っていたのである。
だからこそ、人の不幸を見過ごせない政治ができたのだ。
人の不幸を見過さぬ気持ちを持ち、人の不幸を見過ごせぬ政治を行えば、天下を治めることは、手のひらに玉を載せて転がすように簡単にできる。
人には誰でも、他人の不幸を見過ごせない気持ちがある。それはどこからくるのか。
もし目の前で、幼児が今にも井戸に落ちそうになっているのを見たとする。これはいかん、大変だと誰だって助けようとするだろう。
それは幼児の親に恩を売ろうと思ってするわけではない。
近隣のものや友人に褒められたいから、そうするのでもない。
幼児を見殺しにしたと悪評が立つと嫌だからそうするのでもない。
遠慮し、人に譲る心を持たぬ者は、人ではない。
善悪正邪を見分ける心がないものは、人ではない。
人の不幸を見過ごせない心というものこそが、仁のもとである。
自身の不善を恥じ、他人の不幸を憎む心こそ、義のもとである。
互いに譲り合う心は、礼のもとである。
善悪正邪を見分ける心は、智のもとである。
人がこの四つの萌芽を持つことは、両手両足があるのと同じことだ。」

性善説です。

このように知識を仕入れることと、実践の間には距離があり、平安時代の政治は民を重んじているかというと、なかなか厳しいものは感じますね。

積極的に戦乱を起こさないと言う意味では、確かに平和ではありますが。

大河ドラマ『麒麟がくる』では、こうした儒教の教えを初回で主人公が実践していました。

火災があり、その中に子どもが置き去りにされた。もう前後のことも考えずに飛び込んで助ける光秀。

その姿を見て、かつて己も燃え盛る家から救い出された駒が「麒麟がくる」と語る。

光秀は孟子が説く教えそのものの行動を咄嗟に成し遂げたからこそ、駒は「麒麟」を連想したのです。

あの場面はカッコつけだのハリウッド映画だのなんだの言われましたが、孟子の言うところの性善説を端的にまとめたものでした。

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町田啓太さん扮する公任が、澱みなく、スラスラと漢籍を読み上げます。素晴らしいですね。

秀才そして知られる公任。町田さんは台詞に出てこない箇所まで覚えたと嬉しそうに語っていました。

長谷川博己さんも、光秀の行動原理を深く理解するために儒教の関連書籍を読んでいたそうです。

学ぶ姿勢が、演技を磨き上げ、ただでさえ美しい姿を一層深みのあるものにします。公任が美しいのは当然ですね。

そして、このドラマの楽しみ方を見出しました。

光源氏探しです。

登場人物の理想的な部分をつなぎ合わせていくことで、光源氏をカスタマイズしながら作り上げていくのです。

教養は公任。

筆跡は行成。

要領の良さは斉信。

気品は道隆。

屈折は道兼。

愛嬌は道長……なかなかおもしろいんじゃないでしょうか。

そして書道の場面です。

皆美しい中、道長だけが個性的な字を書いている。

藤原行成の手元を覗き込む道長。いいから真面目に練習しろ!

そう兼家のように道長に言いたくなるのは、あまりに個性的な悪筆だから。字が下手だと台詞にもありましたが、史実の道長もあまりに癖が強い字を書きます。

一方で藤原行成は日本書道史のレジェンドです。

そんなレジェンド行成から癖が強すぎる道長まで、字を再現する根本知先生は大変だと思います。

行成役の渡辺大知さんも、大変なプレッシャーですね。なにせあの行成です。全国の書道家が、目を凝らして筆の持ち方まで見ていますからね。

今年の大河は書道に気合が入っています。

文房四宝こと筆・墨・硯・紙まで、特殊で高いものを用意していて、この文房四宝の質感だけでも見ていて眩しいほど。美しい場面が続きます。

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