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『光る君へ』感想あらすじレビュー第22回「越前の出会い」

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第22回「越前の出会い」
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羊肉は最高のおもてなしだ

三国が為時に「明日は前任者が国府を出立する宴がある」と告げてきます。

宴では宋の音楽が奏でられ、宋の料理がふるまわれます。

日本では調達できない食材は宋から運んできたようで、最高のおもてなし料理として、焼いた羊肉が出てきました。船で連れてきた羊を潰したそうです。

羊を潰すことは最高のもてなしだと言われ、まひろが口に運びます。

為時も、まひろも、漢籍で羊肉のことは知識としては知っていたでしょう。

しかし、いざ食べるとなると勝手が違いますよね。

現代の日本でも、羊肉のクセのある風味に戸惑う人もいるでしょう。

日本は羊肉が定着しにくい地域です。

明治時代は軍服に用いるウールのため、各地で羊の飼育が盛んになり、マトンが食べられるようになりました。しかし、定着したのは北海道くらいです。

現在は火鍋料理チェーン店が日本で展開するようになっています。まひろの気分を味わうために、訪れてみるのもよいかもしれませんね。

それでもまひろが「美味しい」と口にすると、宋人たちも盛り上がっています。

中国では羊肉が最高級の食材であったものです。

羊の羹(スープ)をけちられただけで、相手への復讐を誓ったという話もあるほど。

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ちなみに和菓子の羊羹は「羊肉のスープ」というのが本来の意味です。

まひろたちの生きた時代よりくだりまして、鎌倉時代のころ、禅僧が中国で最高級料理である羊のスープを目にしました。

しかし仏僧は肉食が禁じられているため、羊肉のかわりに大豆を用い、名前と一致しない食べ物の名前として定着したのです。

中国語圏の人が日本の「羊羹」を見ると混乱することもあるとか。

為時は漢詩も披露し、褒められています。

宋側の本音は「軽薄なものだ」として、あまり良く思わなかったようですが、外交として成立しているのであれば問題ありません。

まひろが外に行くと、周明がいました。

正直に言うと羊肉はあまりおいしくなかったとまひろが打ち明けつつ「シェシェ」とお礼を言います。ありがとうという意味かと確認しつつ、拱手します。

為時が「あぁ、もう飲めぬ……」とふらつきながら外に出てきました。

強い白酒をたくさん飲まされたようです。

まひろは周明に「ザイチェン」と別れを告げるのでした。

 


落ち着かぬ浮舟のような越前守

松原客館から国府へやってきた為時。

介(すけ)の源光雅と大掾(だいじょう)の大野国勝が出迎えてきます。

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船の修理はどうなっているのか?と為時が問いかけると、予定より遅れているものの、粛々と進めているとのこと。

しかし、船の様子を見たいと告げると、着任早々そのようなことはせずともよいと遠ざけようとします。

生真面目な為時は、左大臣から宋人の扱いを任された以上、信用を落とすことはできないと引き下がりません。

源光雅も大野国勝も船の修理具合を教えたくないようです。

まひろも自室へ案内されます。

越前名物の越前紙が用意されていました。

かき曇(くも)り夕だつ浪(なみ)のあらければ うきたる舟ぞしづ心(こころ)なき

空が一面に曇り、夕立が来そうになっている。立つ波は荒く、浮いている舟は落ちつかないようだ

さっそく歌を記すまひろ。

紫式部の歌として伝わっているもので、情景を詠んでいるようであり、不安を抱える為時の心境を眺めているようにも思えます。

光雅は、越前のことは自分たちに任せるようにと為時に言い、国守は任せておけばよい。懐を肥やし都に戻ればよいとして、袋に入れた金を渡してくるのです。

「そなたはわしを愚弄する気か? 帰れ!」

すぐさま突き返す為時。

金による買収を拒む大河ドラマ主人公といえば、『麒麟がくる』の光秀がいます。為時と光秀の共通点は、儒教倫理を真面目に信奉しているということでしょう。

贈収賄で立場を変えていたのは、『鎌倉殿の13人』の北条時政があげられます。こちらは儒教教典を読みこなしているとは考えにくい人物でした。

『青天を衝け』の渋沢栄一は、『論語と算盤』という書籍を刊行していますが、日本史上、贈収賄が最悪であった明治の長州閥と親しくしております。

彼が清廉潔白であったとは考えられません。本音と建前が一致しない人物です。

 


新任者が疲弊する

為時は激務に追われます。

民衆の陳情を聞くことになったのですが、長蛇の列ができていて、とても捌ききれないように見える。

橋の修繕。

米が不作だから別の品をおさめてよいかどうか。

流れ着いたものを独り占めにしているものがいる。

妻が狐に取り憑かれてしまった。

などなど、実に雑多な内容であり、光雅は手伝おうとすらしません。

「嫌がらせではないか?」とまひろが疑っていると、為時も「おそらくそうだ、光雅がはかったことだ」と察知しています。

それでも彼女は「おそれることはない、父の考え通りになさればよい、私がお側にいる」と励まします。

ここの場面は日本の時代劇というよりも、華流ドラマを思い出しました。

科挙に合格して地方赴任した行政の長である知府が、清廉潔白ゆえに民衆の要望を立て続けに聞いて疲れてしまうというお約束の展開です。

明清時代には「幕友」という私設秘書がいて、フィクションでばしばしば知府を見守り励ます役目を果たします。まひろはこの幕友の役割を果たしているように思えます。

今回の『光る君へ』は、細かいところがアジア時代劇のようで興味深く、政治のありようへの理想の違いも見えてきます。

日本の時代ものだと、悪事を嗅ぎつけた水戸黄門や桃太郎侍のようなヒーローが、悪党を武力成敗する方向へ向かいがちです。

しかし、三国は宋人は戦を好まないと言いましたよね。

中国で人の上に立つ行政官は、武力行使しません。地道に民の声を聞いて、善政で救うことが活躍とされます。

武力で悪を倒す英雄女侠もおりますが、【江湖】と呼ばれる民間の世界であくまで行うものです。

そうしたジャンルは【武侠】といい、

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政治ドラマとは別物となります。

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