光る君へ感想あらすじレビュー

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第22回「越前の出会い」

藤原為時とまひろは越前へ向かい、まず松原客館に立ち寄りました。

そこには大勢の宋人がおり、なにやら争いが起きています。

と、朱仁聡という男が出てきて、「何者か?」と問うてくる。

為時がたどたどしい宋語で、越前の新しい国守だと名乗ると、相手は嬉しそうに宋語で話しかけてきました。

思わず目が泳いでしまう為時。

どうやらヒアリングまではできないようで、通詞(通訳)の三国若麻呂が出てきます。助かりましたね。朱はお礼を述べているとか。

宋人は珍しい動物も連れてきました。オウムに羊です。

平安京にはない。瑠璃灯籠(るりどうろう)が青い光を放っている。

 


宋にあこがれる父と娘

父と二人きりになると、まひろはいきいきと語り始めます。

朱仁聡は堂々としていて礼儀正しい!

“長”になるとはそういうものだと返す為時。人の上に立つ者は「礼」があるべきだと考えているのでしょう。

しかし為時は宋人の対応で頭がいっぱいです。

彼らは帰国が長引いている。乗ってきた船が壊れて帰れず、国守に頼んだものの、まだ出来てこないそうです。

国府に入ったらすぐに対処しなければならないと決意を固める為時。

宋人も長期滞在に不満がある者もいれば、残りたいものもいるようだと為時は認識しています。

彼らの言いたいことが理解できた様子の父を、まひろが尊敬のまなざして見つめています。父が宋の言葉を話す様に感激すらしていました。

まひろはクールなようで、興奮すると相手への態度がきっぱり出るところがありますね。

為時が若いころ、宋へ密航しようとしたことがあった話を始めるまひろ。為時は困惑しながら、宣孝殿から聞いたのかと答えています。

博学で物知りで、破天荒なこともやってのけると嬉しそうな彼女は、自身が父から似たところを確認しているようでもあります。

まひろはなかなか、大胆で突拍子もない言動があります。そして、宋人に触れてかなり舞いあがっていますね。

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宋に領土拡張思考はない

通詞の三国は、宋人は得体の知れないところもあるけれど、悪いものではないと為時に説明していますます。

彼らは戦が嫌いである、と聞いて驚く為時。

唐の世とは違い、戦をして領土を広げないと三国が補足します。

これは日本にとって重要でしょう。

かつて倭(日本)は百済と同盟し、唐・新羅連合軍に大敗しました。(白村江の戦い)それが大きなトラウマとなって残っているのです。

三国の認識は中国史の知識としてバッチリです。一方で、そのことすら知らない平安京の認識不足も感じます。

為時は、宋人たちは皆商人なのかと三国にあらためて確認すると、漕ぎ手以外はそうだという返答。

これからも色々教えて欲しいと為時がお願いすると、三国は「なんなりと」と自信を持って答えます。

この場面で、都に引きこもっていて妄想気味の藤原道長と、実際に宋人と接している三国の違いが明らかになりますね。

先週の道長の理解度は落第。今回の三国は素晴らしい。

それにしても、なぜ三国は宋語ができるのか。

聞けば、宋に渡来した僧の下人としてついていったそうです。

これは日本人が気付きにくい、日本史の特色といえます。

戦国武将の師を務める者は、仏僧が多かった。なぜかというと、【遣唐使】が終わって以降、わざわざ中国に渡って学ぶほど情熱がある職業は仏僧となります。

最新の漢籍に触れ、持ち帰り、自国でも学ぶため、最高の教養を持つに至ったのです。

宋や明では、科挙用の予備校が各地にあります。その教師がいるわけで、仏僧から勉強を学ぶことはまずありません。

日本各地に藩校が置かれるようになったのは、江戸時代中期以降です。中国が日本の制度を先取りする状況が長いこと続いてゆきます。

越前編の面白いところは、日本史の外交にあった課題を時代を超えるように見せてくるところだと思います。

 


彼の名はヂョウミン

まひろは乙丸を連れ、海辺を歩いています。

乙丸が、近江の湖と同じように見えると伝えると、この海の向こうは宋、近江の湖とは違うと返すまひろ。

すると一人の宋人が歩いてきました。

乙丸が戻ろうと止めても、まひろは「ご機嫌よろしゅう」と挨拶します。

「私の名前はまひろ。まひろ」

そう名乗るまひろ。男は浜辺で枝を拾い、“周明”と書きます。ちなみにまひろは、中国語圏で“真尋”の表記が広まっています。

「しゅうめい? あなたの名前はしゅうめい?」

「ヂョウミン」

「ジョーミン?」

「ヂョウミン」

そう言葉を交わす二人です。宋の言葉は難しいと言いつつ、まひろは興味津々で嬉しそう。

朱仁聡のことも聞こうと筆談すると、周明は別の宋人に呼ばれ、丁寧に供手をしながら「ザイチェン!」と告げて去ってゆきました。

まひろは帰宅後、父に「ザイチェン」の意味を尋ねます。

「また会おうという意味だ」

「また会おう……」

何か縁を感じている様子です。

乙丸が不安げにしていましたが、まひろも父と同じで破天荒な性格ですから警戒して当然でしょう。

海辺では、日中間の伝統的な意思疎通手段である筆談が出てきました。

幕末では上海に密航した高杉晋作が使った手段として知られます

現代ならばアプリがありますので、使ってみてはいかがでしょうか。

最近は観光地等で多国語表示の手書き文を見かけますが、アプリを用いることで改善が期待できる。

伝統と技術を生かしていきましょう。

拱手はじめ、宋人は所作が大変美しい。日本京劇振興協会の代表である張春祥さんが所作指導を務め、朱の側近である林庭幹を京劇俳優の侯偉さんが演じています。

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