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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第36回「待ち望まれた日」】
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日記で出産を記録せよ
道長は中宮の出産を記録するべく、男性貴族たちに頼み込んでいます。
帝の子が生まれる際、漢文で公式記録をつけるのは通例とされる。
出生日を占うなど、様々な用途があるためですが、道長はそれだけでは満足できない。まひろの元へきて、中宮の出産記録をつけるように頼むのです。
もしこれが、ききょう辺りならば「おまかせを!」と即答しそうな場面ですが、面倒くさい性格のまひろは、こうきました。
「公の記録など私には……」
道長も譲りません。
中宮様の弱った姿、晴れの姿を書かせ、あとに続く娘に残したいと言うのです。
「承知仕りました」
理由がわかって承諾するまひろですが、あまり嬉しそうではありません。
もしかしたら、物語と並行して執筆することになるマルチタスクが面倒なのかもしれません。嫌な気持ちが顔にチラッと出ております。
各人の思惑が複雑に交錯する中宮の出産がいよいよ迫りました。
中には彼女の死を望む者もいます。
定子も産褥死を遂げておりますから、政敵としてはそれを望むでしょう。
道長にしたって一大ギャンブルです。
“皇子”の生誕という、あまりにも不確定要素が大きい日本のような外戚政治が、何代にもわたって展開する例は珍しい。
とにかく権力者にとっては、弊害も大きいし、運の要素が大きすぎました。
中宮も弱気になって、定子の死を思い出しつつ、「私は死ぬのか……」とぼんやりとした顔で弱気になっています。
と、まひろが中宮の元へ呼ばれました。
まひろが体調を気遣うと、中宮はわからぬと答え、母の倫子を呼ぼうとすると、心配はかけたくないと答えるいうのです。
「中宮様のお気持ちはわかります」
まひろも娘のお産は心配でたまらなかったと励ますと、中宮も「そなたもそうであったか」と一安心。すっかり信じ切っていますね。
「帝がお喜びになるお顔を思い浮かべれば、きっと不安は遠のく」
まひろは、帝に対する中宮の愛を踏まえて最適解を出しましたね。中宮が仏教に熱心なら、御仏でも持ち出しそうに思えます。
このドラマのまひろが明かすはずはないですが、彼女の場合は『源氏物語』の藤壺と同じく、密通が判明しかねないスリルもあり、そりゃもう辛かったことでしょう。
まひろはメンタルがタフなのでわかりにくいとはいえ。
「菊の着せ綿」
うつらうつらしているまひろ。
その横には、菊の花と綿が見えます。
『紫式部日記』には、寛弘5年(1008年)9月9日、重陽の節句の際、倫子が紫式部に「菊の着せ綿」を贈った話が書かれています。
日本には、中国由来の五節句を祝う風習があります。
人日:1月7日
上巳:3月3日、桃の節句、流水の宴もこの日に行われる
端午:5月5日、現在は子どもの日
七夕:7月7日
重陽:9月9日
現代では3月、5月、7月が行事として残っているように見えて、実は1月と9月も消え去ったわけではありません。
7月は祝日ではないものの、七夕は行事として定着しています。
1月は成人の日。
9月は敬老の日。
形を変えて残っているとも考えられるのです。
一桁の奇数最大値である9は、長寿を祝う日です。
その前日に菊に真綿で覆い、夜露で濡らしたものが「菊の着せ綿」となります。願いとしては老いを拭う、つまりはアンチエイジングです。
はぁ? 何それ! 私が老けて見えるってコト!?
こんな風に解釈するかどうかは人による。しかし、敢えてそれを示すような小道具があるというのは、どういうことでしょうか。
有名なエピソードだし、使いたかったけれども、入れる余裕がないということですかね。あるいはプロットの邪魔になってしまう。でも知らないわけじゃないよ。
そんな思いも感じられるような気がしなくもありません。
ちなみに2009年の大河ドラマ『天地人』では、「北の関ヶ原」と称され、主人公である直江兼続にとって見せ場となる【慶長出羽合戦】が一瞬で終わりました。
しかしどういうわけか、この合戦で活躍する最上義光の兜を被ったシルエットと、前田慶次の朱槍だけは画面に登場したのです。
わかっていますよ! 最上義光と前田慶次くらい知っていますよ! 小道具も作りました。
でも諸事情で出せないんだ、わかってくれ――そんな切ない心の叫びを感じたものですが、果たして真相はいかに?
まぁ、今さら言っても仕方ないことですが。
壮絶! 平安の出産
まひろは出産当日の様子を書き記してゆきます。
ここから先、平安の命懸け出産が描かれます。
苦しそうに寝起きを繰り返す中宮。庭には高貴な僧正やら僧都が居並び、祈祷をしている。
なぜこれほどまで祈祷が手厚いか?
というと、道長にも恨まれる覚えがあったということでしょう。
ただし、道長が特別嫌なヤツというわけでもなく、兄の藤原道隆や藤原道兼のように無念の死を遂げた人々も悪霊になると考えられていた時代でした。
家族の結束がまだ薄い時代なのですね。
祈祷が、大騒ぎで続きます。もはや枯れ果てている声すら尊く聞こえるそうで、読経だけでなく、生々しい絶叫も聞こえてくるようになりました。
なんせ緋袴(ひばかま)をつけた憑坐(よりまし)チームが出動中!
怨霊をそれぞれ取り憑かせるためにスタンバイしていて、担当怨霊も指定されているとか。凄まじいですね。
あまりの様相に「もののけが強い」と居並ぶ公卿たちも震えていますが、それもそのはず、伊周が呪詛をしていました。
誰かに頼むと足がつくと配慮したのか、本人が実行しているのです。弟の藤原隆家は、この凶行を止められなかったのでしょうか――。
読経も絶叫も生々しく、控えの女房も「もういや!」と嘆いてしまうほどの難産。
お清めとして米が撒かれました。
この米は、普通の米か、それとも餅米か?
東アジアでは餅米が魔除けとされます。
邪気祓いの米を頭から撒かれ、衣服は萎んで見苦しい、後になるとおかしくてならない――紫式部が日記に書き残していることがここでわかります。
改めましてそんなことをわざわざ日記に記す紫式部って、なかなかひねりのある性格ではないでしょうか。
彰子の出産や公任の「若紫」エピソードなど『紫式部日記』には何が書かれている?
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遅れてやってきた藤原顕光は暴れる憑坐たちを見て、「これはちょっと……帰ろうかな」と当惑。
道綱はやる気を見せ、真面目に読経を始めるのでした。
伊周も本気で呪詛をしております。
「みちながぁああ〜〜!」
憑坐がそう叫ぶ中、祈り続けるしかない道長。
歴史ものは合戦だけでなく、こういう場面も面白いじゃないですか。
NHKにはこうしたテーマで描いた『タイムスクープハンター』という素晴らしい番組がありました。
ぜひとも復活して欲しい。時代ごとの出産の変遷も興味深いものがありますよ。
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