敦康親王が漢文の授業を抜け出し、中宮彰子のもとへ来ています。
そこへ宮の宣旨がやってきて、彰子に荷葉(かよう/ハスのこと)の香りを嗅がせようとすると……思わず顔を顰めてしまう中宮。
一体何があったのでしょう。
中宮の懐妊
藤式部が中宮の学問を指導しているようですよ。
赤染衛門が源倫子にそんな話をしていると、猫が一瞬映り、次に道長があわてて走りながら中宮懐妊を伝えにきました。
感極まった様子の夫妻に対し、赤染衛門は恭しく祝意を示します。
女房たちはより一層、中宮に甲斐甲斐しく仕えることと誓い、まひろも満足げに頷いています。
中宮は、すっかりまひろを信頼しており、他の女房をさがらせて二人きりになりました。
まひろが体調を気遣うと、気分がいいから内緒の話をしたいと言い出します。
恋バナではないところがポイントでしょうか。中宮は、なぜまひろが漢籍に詳しいのかを知りたがっていました。
学者である父が、弟に読み聞かせるうちに覚えてしまったまひろ。
「私には無理か?」と中宮に尋ねられ、「学ぶことはいつからでも始められる」と答えます。この時代の女にとって、学問と出世は関係ありません。本人のやる気次第です。
中宮は帝が語っていた白居易の言葉に興味を抱いていました。
高者未だ必ずしも賢ならず。下者未だ必ずしも愚ならず。
あれは何の話か?と問われて、白居易の「新楽府」だと回答。
民のことを聞いて政治を行うことを説いているとまひろが解説します。中宮はますます帝に心惹かれ、学びたいとのことです。
「内緒で……」
そうつぶやくとまひろは「内緒?」と聞き返します。中宮は、亡き皇后も好きだったという漢籍教養を、密かに学んで驚かせたいのでした。
定子は、母である高階貴子が幼いころから漢籍を学ばせていたのでした。
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真心を尽くすものが人の上に立つべき
まひろは唐太宗について読み聞かせています。
中国史上最高の名君とされる唐太宗は、戦がうまいだけでなく、時運に乗じ、人に真心を尽くしたからこそ、皆が皇帝に付き従ったのです。
「真心を尽くす……」
そう感じ入る中宮。政治の頂にあるものが人の心を掴むのは並大抵のことではないとまひろは説明します。
まひろと視聴者の脳裏に浮かんでいるのは、政治家としての道長の姿かもしれません。
本作で道長が見せる最大の長所は、人の心を掴むところにあります。
ただし、このドラマを見ていると、道長のせいで摂関政治が崩れるのではないか?と思うこともあります。
道長のように、人徳と強運に恵まれたハズレ値の人物を土台にシステムを作るのは危険なことです。
摂関政治は、藤原氏に娘が生まれ、入内し、男子を産み続けなければ維持できない。藤原氏の長者が人徳に欠けても、嫌われて崩壊に至るリスクが高まります。
むしろ運の悪い人間でもどうにかなるようなシステムを構築することが大切で、盤石な体制も維持できるようになるでしょう。
徳川幕府は前期の段階で幼い将軍が輩出され、政治能力に疑念がつく者もいましたが、あれだけ長続きしたのはシステム構築が盤石だったからでしょう。
昨年の大河ドラマでその辺の巧妙さを見たかったのですが、今更ないものねだりをしても栓なきこと故、この辺りといたしまして。
次の東宮は誰か? 皇統のゆくえ
道長は、斉信、公任、行成、俊賢らと酒を飲んでいます。
「中宮の子が男子ならば道長は盤石だ」と語る斉信。
公任は「めでたいことはめでたいが、皇子となるとややこしい」と危惧しています。
すると、性根の真っ直ぐな行成は、ややこしくないと言い張る。居貞親王のあとは敦康親王だと納得している様子です。
公任は、その敦康親王の後見を道長がやめたらどうなるのか?と危ぶんでいるのですが、肝心の道長は黙りこくっている。
そして重々しく口を開きました。
次の東宮の話はしない。それは帝の譲位に繋がる。そしてこの話はもう終わりだと宣言します。
軽薄な斉信は、これからが面白いのに……と公任に語りかけますが、やはり道長は人格が優れているとわかる場面です。
話題にされていた居貞親王(後の三条天皇)は、兄である花山院の死を知り、冷泉天皇の血を引く皇子が絶えたことを嘆きます。
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次の東宮が敦明親王でなければ、冷泉の血は途絶えてしまう――そんな焦りを募らせ、中宮彰子の産む子が皇子でないことを祈るばかり。
そこには能天気な道綱がやってきており、こればかりは生まれなければわからないと答えています。
と、そこへ敦明親王がやってきて「父を大事にせよ」と道綱に言います。
なんでも敦明親王はこれから狩りに行くのだとか。力があり余っているから、人にぶつけるより獣にぶつける方がよいだろうと豪快に笑っています。
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狩りは苦手だと尻込みする道綱に対し、肉は食わないのか?と尋ねる敦明親王。
道綱が「食べる」と答えると、肉を食うくせに自分の手を汚したくないとは何事かと聞かれ、参るしかありません。
居貞親王は道綱にこれからも中宮の様子を知らせるよう、念押しするのでした。
一方、敦康親王は、里に下がるから学問に励むようにと中宮に言われています。
しゅんとして、子が生まれたら私と遊ばなくなるのだろうと残念がる敦康親王。
そのようなことはないと中宮は言いますが、敦康親王はわかっています。
「中宮様の子でないからには、実の子が愛おしくなるのは道理だ」と悟っているのです。
しかし中宮は、親王様がほんの幼い頃から一緒に生きてきた、これまでずっと帝のお渡りがない時からそばにいてくださった、拒まれても決して親王様の心を裏切ることはないと勇気づけます。
感動的な場面ではあります。
ただし『源氏物語』を踏まえるとなかなか複雑に思えてきます。
光源氏は幼くして母を失い、母によく似ている藤壺の宮に憧れて生きてきました。
それが母への愛から恋心へ代わり、ついに二人は一線を超えてしまうのです。
この中宮と敦康親王にもその気配が漂ってきている。
敦康親王が光源氏のモデルとされるのもわかります。しかも、中宮のいる場所は藤壺です。
土御門で出産に備える中宮
中宮は出産のため、土御門に向かいます。
源倫子が「ゆっくり休んで、存分に書いておくれ」と声をかけ、その心遣いに感謝するまひろ。
顔見知りで笑顔も見せなかった中宮が、帝の寵愛を受けるほど明るくなったのは藤式部のおかげだと倫子は感謝していました。
なんでも、帝と中宮を変えたと殿から聞いているのだとか。
母として何もしてやれなかったのに、まひろが中宮を救った、心からありがたく思っているあらためて礼を述べ、これからも中宮を頼むと念押しするのでした。
まひろも丁寧に礼を言います。
若い頃から知っている土御門だから、自分の家のように過ごすようにと倫子は付け加えます。
まひろは、謙遜してはいますが、実は時折、計算通りだと言いたげな得意そうな顔になっていますね。
人の目がないとき、その表情が出ます。策が当たった諸葛孔明顔です。
このふてぶてしい顔を出せるからこその吉高由里子さんじゃないかと私は思います。このかわいげのなさが実に素晴らしい。
瑕(きず)こそ その人をたらしめるもの
人の心の好悪 苦(はなは)だ 常(つね)ならず
好めば 毛羽を生じ 悪(にく)めば瘡(きず)を生ず
人の心の好き嫌いは、いつも同じではない。
好きになれば羽が生えたように持ち上げるけれども、嫌いになれば瑕(きず)ばかり探しあててしまう。
まひろが白居易の『太行路』を詠み、中宮に教えています。
中宮は「私も帝に瑕(きず)を探されてしまうのか」と心配そうにすると、まひろはこう切り返しました。
瑕は、大切な宝である。
きょとんとしている中宮に「瑕こそ、その人をたらしめるものだ」と語るのです。
これは、まひろなりの人物論に思えます。
彼女は、あれほど大事な道長の欠点を理解しています。道長にせよ、まひろは若紫のようではないと、からかうように語りかけたものです。
これは『源氏物語』の作風にも通じるものがあると思えます。
光源氏はじめ登場人物は大仰なまでに美しい、素晴らしい、前世にどんな徳を積んだのかと褒められます。
その一方で「ちょっと軽薄ですね」「何を考えているのでしょう」というような、チクリとした語り手の論評も挟まれます。
本作では、ききょう(清少納言)に対し、崇拝者の陰の部分も知りたいと語っていたまひろ。
光だけではつまらない――。
そんな持論があるのでしょう。
相手を深く知れば知るほど、確かに瑕は見えてくるものです。
すると、中宮の元へ、道長が子どもたちを連れてやってきました。
次女の妍子が姉である中宮に祝いの言葉を告げると、まだ幼い教通はまひろのことを指し、あれは誰かと尋ねています。
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中宮が「藤式部だ」と紹介し、私の大切な御指南役だと続けます。すっかり心を掴まれているようですね。
そのころ彰子の女房である左衛門の内侍は赤染衛門に疑念を呈していました。
藤式部に中宮の御指南役の座を奪われてよいのか?
そう焚き付けているのです。
彼女も中宮にとって一番そば近くに仕え信頼されている座を奪われていました。
赤染衛門はそれが中宮が求めたことならば仕方ないと話を打ち切ろうとするのですが、左衛門の内侍はなおも粘る。
衛門様は昔から藤式部をご存知なのか? 左大臣と藤式部はどういう間柄なのか?
まひろと道長の関係を怪しんでいる彼女に対し、赤染衛門がシラを切ろうとすると、さらに「ただの主従ではない」と目を光らせるのです。
素っ気ない赤染衛門に対し、左衛門の内侍には確信がありました。
藤壺でも左大臣は藤式部の局によくお立ち寄りになり、ヒソヒソと話し合っている――そう確信を込めて告げ口するように迫っても、赤染衛門はろくに応じずそそくさと話を切り上げるのでした。
女房たちの間ですっかり噂になっていることを、まひろは気付いているのでしょうか……。
清少納言が『源氏物語』に興味を抱く
皇后定子が命と引き換えに産んだ媄子内親王はわずか9歳で亡くなってしまいました。
伯父の藤原伊周は喪服に身を包み、同じく喪服のききょうと向き合っています。
ききょうは定子の死後、竹三条宮で定子の子である脩子内親王に仕えており、亡き皇后を思い出して日々を過ごしているとか。
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伊周は「秋には中宮に子が生まれる」と悔しそうな表情を浮かべます。
何もかも左大臣の思いのままだ。帝の御心さえもそうだ。
伊周が嘆いていると、ききょうも「信じられない! 皇后一筋だったのにどうしてしまったのか!」と驚いています。
そこで伊周が帝の心を捉えている“物語”の存在をききょうに明かしました。
藤式部という前の越前守藤原為時の娘が書いている。
中宮と帝の背後にいる、まひろの存在を初めて知ったききょうは驚愕の表情。
あの旧知のまひろが、帝の心を動かすものを書いたのか……。
帝は『枕草子』を破れるまで詠んでいたのに、今はあの物語がお好みだと伊周が語ると、ききょうの目に光が宿る。
「伊周様、私もその物語を読みとうございます」
何やら不穏な空気になってまいりました。
日記で出産を記録せよ
道長は中宮の出産を記録するべく、男性貴族たちに頼み込んでいます。
帝の子が生まれる際、漢文で公式記録をつけるのは通例とされる。
出生日を占うなど、様々な用途があるためですが、道長はそれだけでは満足できない。まひろの元へきて、中宮の出産記録をつけるように頼むのです。
もしこれが、ききょう辺りならば「おまかせを!」と即答しそうな場面ですが、面倒くさい性格のまひろは、こうきました。
「公の記録など私には……」
道長も譲りません。
中宮様の弱った姿、晴れの姿を書かせ、あとに続く娘に残したいと言うのです。
「承知仕りました」
理由がわかって承諾するまひろですが、あまり嬉しそうではありません。
もしかしたら、物語と並行して執筆することになるマルチタスクが面倒なのかもしれません。嫌な気持ちが顔にチラッと出ております。
各人の思惑が複雑に交錯する中宮の出産がいよいよ迫りました。
中には彼女の死を望む者もいます。
定子も産褥死を遂げておりますから、政敵としてはそれを望むでしょう。
道長にしたって一大ギャンブルです。
“皇子”の生誕という、あまりにも不確定要素が大きい日本のような外戚政治が、何代にもわたって展開する例は珍しい。
とにかく権力者にとっては、弊害も大きいし、運の要素が大きすぎました。
中宮も弱気になって、定子の死を思い出しつつ、「私は死ぬのか……」とぼんやりとした顔で弱気になっています。
と、まひろが中宮の元へ呼ばれました。
まひろが体調を気遣うと、中宮はわからぬと答え、母の倫子を呼ぼうとすると、心配はかけたくないと答えるいうのです。
「中宮様のお気持ちはわかります」
まひろも娘のお産は心配でたまらなかったと励ますと、中宮も「そなたもそうであったか」と一安心。すっかり信じ切っていますね。
「帝がお喜びになるお顔を思い浮かべれば、きっと不安は遠のく」
まひろは、帝に対する中宮の愛を踏まえて最適解を出しましたね。中宮が仏教に熱心なら、御仏でも持ち出しそうに思えます。
このドラマのまひろが明かすはずはないですが、彼女の場合は『源氏物語』の藤壺と同じく、密通が判明しかねないスリルもあり、そりゃもう辛かったことでしょう。
まひろはメンタルがタフなのでわかりにくいとはいえ。
「菊の着せ綿」
うつらうつらしているまひろ。
その横には、菊の花と綿が見えます。
『紫式部日記』には、寛弘5年(1008年)9月9日、重陽の節句の際、倫子が紫式部に「菊の着せ綿」を贈った話が書かれています。
日本には、中国由来の五節句を祝う風習があります。
人日:1月7日
上巳:3月3日、桃の節句、流水の宴もこの日に行われる
端午:5月5日、現在は子どもの日
七夕:7月7日
重陽:9月9日
現代では3月、5月、7月が行事として残っているように見えて、実は1月と9月も消え去ったわけではありません。
7月は祝日ではないものの、七夕は行事として定着しています。
1月は成人の日。
9月は敬老の日。
形を変えて残っているとも考えられるのです。
一桁の奇数最大値である9は、長寿を祝う日です。
その前日に菊に真綿で覆い、夜露で濡らしたものが「菊の着せ綿」となります。願いとしては老いを拭う、つまりはアンチエイジングです。
はぁ? 何それ! 私が老けて見えるってコト!?
こんな風に解釈するかどうかは人による。しかし、敢えてそれを示すような小道具があるというのは、どういうことでしょうか。
有名なエピソードだし、使いたかったけれども、入れる余裕がないということですかね。あるいはプロットの邪魔になってしまう。でも知らないわけじゃないよ。
そんな思いも感じられるような気がしなくもありません。
ちなみに2009年の大河ドラマ『天地人』では、「北の関ヶ原」と称され、主人公である直江兼続にとって見せ場となる【慶長出羽合戦】が一瞬で終わりました。
しかしどういうわけか、この合戦で活躍する最上義光の兜を被ったシルエットと、前田慶次の朱槍だけは画面に登場したのです。
わかっていますよ! 最上義光と前田慶次くらい知っていますよ! 小道具も作りました。
でも諸事情で出せないんだ、わかってくれ――そんな切ない心の叫びを感じたものですが、果たして真相はいかに?
まぁ、今さら言っても仕方ないことですが。
壮絶! 平安の出産
まひろは出産当日の様子を書き記してゆきます。
ここから先、平安の命懸け出産が描かれます。
苦しそうに寝起きを繰り返す中宮。庭には高貴な僧正やら僧都が居並び、祈祷をしている。
なぜこれほどまで祈祷が手厚いか?
というと、道長にも恨まれる覚えがあったということでしょう。
ただし、道長が特別嫌なヤツというわけでもなく、兄の藤原道隆や藤原道兼のように無念の死を遂げた人々も悪霊になると考えられていた時代でした。
家族の結束がまだ薄い時代なのですね。
祈祷が、大騒ぎで続きます。もはや枯れ果てている声すら尊く聞こえるそうで、読経だけでなく、生々しい絶叫も聞こえてくるようになりました。
なんせ緋袴(ひばかま)をつけた憑坐(よりまし)チームが出動中!
怨霊をそれぞれ取り憑かせるためにスタンバイしていて、担当怨霊も指定されているとか。凄まじいですね。
あまりの様相に「もののけが強い」と居並ぶ公卿たちも震えていますが、それもそのはず、伊周が呪詛をしていました。
誰かに頼むと足がつくと配慮したのか、本人が実行しているのです。弟の藤原隆家は、この凶行を止められなかったのでしょうか――。
読経も絶叫も生々しく、控えの女房も「もういや!」と嘆いてしまうほどの難産。
お清めとして米が撒かれました。
この米は、普通の米か、それとも餅米か?
東アジアでは餅米が魔除けとされます。
邪気祓いの米を頭から撒かれ、衣服は萎んで見苦しい、後になるとおかしくてならない――紫式部が日記に書き残していることがここでわかります。
改めましてそんなことをわざわざ日記に記す紫式部って、なかなかひねりのある性格ではないでしょうか。
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遅れてやってきた藤原顕光は暴れる憑坐たちを見て、「これはちょっと……帰ろうかな」と当惑。
道綱はやる気を見せ、真面目に読経を始めるのでした。
伊周も本気で呪詛をしております。
「みちながぁああ〜〜!」
憑坐がそう叫ぶ中、祈り続けるしかない道長。
歴史ものは合戦だけでなく、こういう場面も面白いじゃないですか。
NHKにはこうしたテーマで描いた『タイムスクープハンター』という素晴らしい番組がありました。
ぜひとも復活して欲しい。時代ごとの出産の変遷も興味深いものがありますよ。
皇子誕生
ついに産声が聞こえてきます。
「皇子様にございます!」
倫子がそう告げられ、尊いBGMが静かに鳴り響く――栄華の象徴たる、藤原道長の血を引く皇子が生まれた瞬間です。
あの読経と憑坐の絶叫の後で生まれてきたことを考えると、どれほど尊いか。
倫子の母である藤原穆子も喜び、亡き殿も喜んでいると語ります。
思えば穆子は夫の源雅信が乗り気でないにも関わらず、道長を婿として土御門に迎えるように進めました。彼女も賭けに勝ったのです。
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倫子が中宮をねぎらい、中宮は「これも藤式部の導きによるものだ」と嬉しそうにしています。
めでたい場面ではありますが、素直な中宮が藤式部に陶酔しすぎているようにも思えてくる。
倫子にしても、彼女には散々御礼を言ったと微笑んでいます。
めずらしき
光さしそう
盃は
もちながらこそ
千代もめぐらめ
柱に寄りかかり、盃を手にして、月を見ながらまひろが歌を詠んでいると、通りがかった道長が意味を尋ねる。
中宮様という月の光に、皇子様という新しい光が加わった盃は、今宵の望月の素晴らしさそのままに千代に巡り続けるでありましょう。
まひろが説明すると、「覚えておこう」と返す道長。
そのころ源俊賢は妹の源明子に対して「これで左大臣様は盤石だ」と語っていました。
明子は、自身の娘である寛子も入内させる気だと野心に満ちあふれている。
兄の俊賢が、まだ裳着も済ませていないと制しても、土御門に負けられぬと意地を張るのです。「政争の道具にするな」という道長の言葉を伝えると、こう来ました。
「殿の言いなりにはなりませぬ。ふふふふふふ」
妖艶に笑う明子。
もはや恋心は燃え尽き、野心だけが燻っているようです。
無礼講の「五十日の祝い」
帝は敦成(あつひら)と名付けられた皇子に会うため、土御門まで行幸してきました。
我が子を抱き、愛しむ帝。
親王宣下がくだされ、土御門では【五十日(いか)の祝い】を迎えています。
現代でいえばお食い初めの行事であり、当時は、やわらかい粥を口にそっとふくませる儀式だそうです。
中宮はそれまでの紅梅色から、青をあしらった衣装になりました。
招かれた公卿たちは浮かれ、呑気な道綱は贈り物が50日で50個ある!とはしゃいでいます。
琴の音が響く中、道長は無礼講だと宣言。
いくらでも酔ってよいとのことですが……ここで平安貴族の酔態が見られます。
これも紫式部が日記に書き残したために見られるのです。
「おなごはどこかな〜」
そうバタンと几帳を巻き込んで倒れるのが顕光。しょうもないですね。
実資は女房の衣装の数を確認しています。セクハラ上司に見えますし、相手の大納言の君もうんざりしていますが、ただの嫌がらせではありません。
このころは高価な衣を重ねることが禁じられています。実資はちゃんとその決まりを守っているのか確認しているのです。ただ、そんなこと酒宴でやらなくてもよい話でして。
「この辺りに若紫はおいでかなぁ〜」
そう酔いどれつつ、からかうように言うのは藤原公任でした。
「若紫のような美しい姫はおらぬなぁ〜」
という意味まで付け加えてきて、女性たちにしてみれば「何言ってんだ、このセクハラ野郎!」という場面。
まひろは氷のような目で言い返します。
「ここには光る君のような殿御はおられませぬ。ゆえに若紫もおりませぬ」
日記では、内心こう思っただけで実際には言い返しておりませんが、ドラマのアレンジでしょう。
公任も実資同様、めんどくさいインテリ野郎でして、この問いかけはこんな意味があるという説もあります。
光る君がわざわざ鄙びた山里に向かい、そこで美しい姫君に出会うのは中国の『遊仙窟』へのオマージュですよね。漢籍に詳しい私にはわかるんですよ。
『遊仙窟』というのは、当時のポルノのようなものとも言えなくもありません。
昔は素朴なので、どこか非現実世界で美女に出会ってロマンスがあるという状況だけで興奮したのですね。そう踏まえると、公任の発言はやはりセクハラのようにも思えますが。
『べらぼう』まで時代が降ると、暇と熟れた体を持て余した人妻が、若い職人に家の用事を頼んだついでに……といった、現代人でも既視感のあるシチュエーションにまで進化します。
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紫式部と藤原公任の関係性も匂わせる『光る君へ』漢詩の会に潜む伏線
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さて、こうした様子を見た道長は胸がざわついたのか、
「藤式部」
と袖を振り、まひろを呼び寄せます。
「なんぞ歌を詠め」
「はっ」
いかにいかが
数えやるべき
八千歳の
あまり久しき
君が御代をば
八千歳まで生きる皇子のあまりに長い寿命を、どう数えればよいのでしょうか。
中宮はさして気にしていない様子ながら、倫子の目に冷たい光が宿ります。
「さすがであるな」
道長が立ち上がると、まひろの歌の出来が良いからか、女房の中は「用意してあったのよ」と囁くものもいます。
そして道長も歌を詠みます。
あしたづの
よはひしあらば
君が代の
千歳の数も
数え取りてむ
私にも千歳生きるほどの寿命があれば、皇子の命を数えられるのだが。
ざわめく客たちと、ますます顔がこわばる源倫子。
馬中将の君はこう論評します。
「あうんの呼吸で歌を交わせるなんて……」
これには歌の達人たる赤染衛門も、冷たい目になっています。私は彼女の子孫の大江広元すら連想しました。
倫子が、全てを悟ったような顔をして立ち上がり、どこかへ去ってゆくと、道長がそれを追いかけます。
まひろも立ち上がって廊下を歩いてゆく。
と、赤染衛門が追いかけ、こうきました。
「藤式部、左大臣とあなたはどういうお仲なの?」
ついにこの時が訪れましたか。
MVP:藤式部
今期のNHKは、よくもこんな可愛げのないヒロインを押し出すものだと感服しているキャラクターがいます。
もうすぐ最終回を迎える朝ドラ『虎に翼』の寅子。
そして本作のまひろです。
両者ともモデルはいて、その要素を抽出してきている点も興味深い。
まひろの場合は『紫式部日記』に準拠し出した今週から、より一層禍々しいツヤが出てきたと思えます。
公任への返しにせよ、ドラマは正面切って反論するからまだマシで、日記を参照するとその場ではスルーしつつ、書き残すことで千年後にまで残し、本当に意地が悪いと思えます。
清少納言はレスバごと記すものの、紫式部はくだらなすぎてスルーしたと記す。相手に反論の場は用意されていないわけです。
日記に準拠させると「まひろはどうしたって性格が悪くなるのではないか?」と、個人的には序盤から懸念していました。
ききょうこと清少納言も、日記でぶった斬るわけです。
こんな仲良くしている相手にあんな激しい言葉を投げつけて、それで嫌われないだろうかと心配でした。
しかし私の懸念も杞憂だったようで、本作はまひろを“嫌われ上等”路線で突き進ませているように思えます。
モデルにあった暗い部分と、ドラマの要素が重なり合い、まひろはもう本当に凄いことになっている。
日記だけならば、倫子の目線がここまで冷たくはならないでしょう。ドラマ要素が重なることでとんでもない境地に突っ込んでいます。
まひろは回を追うごとに禍々しさが増しているように思えますが、別に本人は意識してもないのでしょう。
道長は、幼い初対面の頃からとんでもない女だったと振り返っていましたが、あのころから本質は変わっていないようにも思えます。
本人がやりたいようにすると結果的に周囲が勝手に倒れていくような造型ですね。
『三国志演義』では、周瑜や司馬懿が諸葛亮に警戒しすぎた結果、自滅しますが、そんな描写も連想させるほどです。
まひろは恐ろしい。
まひろ本人は、誰かを蹴落とそうとも思っていない。
でも、気づけば勝手に周りが倒れてしまう。
まひろは自分が最善の環境で執筆に励みたいから、道長の策に乗った。
その最短距離としては主君である中宮の信頼を得ればよいから、そのために最善を尽くしたら、もはや相手が「あなた抜きではいられない!」と陶酔するほどとなってしまった。
倫子や明子からすれば「殿をたぶらかす女狐が!」、同僚からすれば「腹黒いムカつく女だよなぁ!」となりかねない状況です。
しかしまひろからすれば「なんか相手が勝手に執着してくる。紙を提供してくるし、応じたけど。そこをガタガタ言われてもね、うっせーわ」となっても不思議はない。
相手の敵意を面倒くさいと思っても、本心では、無視して上等とすらなりそうに思えるのです。
日記準拠の紫式部は、陰キャでネガティブにも捉えられる。
実際、NHKが制作した『紫式部のスマホ』でも、陰キャ設定でした。
それであっていると思います。
その前提で、平安時代をテーマにした本を読んでいると、私はイライラすることがありました。
概ね、こういうことが書いてあることが多いんですね。
「読者の皆さんも、私も、清少納言みたいな陽キャでキラキラして、ズケズケ言えるキャラが好きですよね。
紫式部は流石に陰キャすぎる。
ああいう悪口を書く人ってどうなの?
共感するのはやっぱり清少納言だよね!」
私は陰キャの紫式部派です。
どうあがいたって、あんなキラキラ清少納言にはなれませんから、天下万民が陽キャに共感する前提で話を進められても承服しかねるのです。
だからこそ、陰キャ全開の『光る君へ』には癒される。
陰キャの本質をさらにもっと深掘りしているように思えてくる。
世の中は、真面目でおとなしいアピールをした方が楽なこともある。
中身に強烈な毒があって、内心相手に呆れているとか、策を練っていることが周囲にバレると面倒なことになるので隠蔽しないといけない。
日記準拠だとそうなります。
それこそ『紫式部のスマホ』もそうで、あの主人公・香子は聞こえないようにそっと相手を罵倒するキャラクターでした。
しかし『光る君へ』では、いい子ぶった部分をひっぺがしてしているように思えるのです。
マナーやルールはいっそのことどうでもいい。
悪口? 言いたいことあるなら直接言ってこい。
孤独だろうとかまわない。
私はともかく、書ければいい。
自分の世界を探求できればいい。
性格悪い? そもそも性格の良し悪しって何?
世間の多数派に媚びてヘラヘラ笑うのがその証だとでも?
時折、冷たい目線や引き攣った頬から、そんなドス黒い深淵が見えるまひろがたまりません。
大河ドラマにこんな毒のあるヒロインが出てくる日が来るとは……大河を見てきてよかった。
まひろの黒さに触れるたびに痺れ、これが毒なのかと思うばかりです。
💟 『光る君へ』総合ガイド|紫式部の生涯・宮中・平安文化を網羅
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【参考】
光る君へ/公式サイト












