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『光る君へ』感想あらすじレビュー第37回「波紋」倫子も清少納言もキレて当然か

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第37回「波紋」
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罪と罰

道長が、廊下で赤染衛門を呼び止め、藤式部の行き先を尋ねます。

そつなく答えるようで、目線の鋭い赤染衛門。

倫子のことで警戒しているのでしょう。

その頃まひろは紙を前にして、筆を執り、構想を練っている。その様子を賢子が見ています。


そう書き付けるまひろ。

何かが変わりつつあるのでしょうか。

ここまで完成していて、帝に献上された『源氏物語』は33帖「藤裏葉」までとなります。

光源氏は四十の賀を控えていました。

准太上天皇の待遇を受け、内大臣から太政大臣となり、嫡子である夕霧も結婚を果たし、世の頂点に立った展開です。

ここで終わらないところがこの話の特徴といえる。

藤壺の宮と間に子を為した罪に対する罰が、このあと展開してゆく。

まひろは、そのプロットを練っているようで、それだけでは終わらないようにも思えます。

土御門では、中宮が藤式部の戻りを待っていました。

そして、心細いから式部に戻るよう文を書いてくれ、と宮の宣旨に頼みます。

為時の家に、その文が届きます。

中宮は真面目なので、皇后定子が清少納言に送ったような、ひねりのある文ではありません。

為時が文を見て、帰ってきたばかりでもうお召しかとしみじみ……と同時に、それだけ中宮に気に入られているのかと感心しているようでもあります。

そして左大臣との関係も尋ねながら、こう続けます。

「お前が幸せなら答えんでもいい」

ここでまひろは賢子のことを切り出します。為時は、そのうちあの子にもお前の立場はわかるだろうと告げるのでした。

 

親の堕落が許せない潔癖な娘

賢子が戻ってきました。

為時が、まひろは土御門に戻ると告げると賢子はこう言います。

「いったい何しに帰ってこられたのですか。内裏や土御門での暮らしを自慢するため? いとや乙丸も変な顔してました」

「賢子の顔が見たいと思って帰ってきたのよ」

「母上はここよりあちらにおられる方が楽しいのでしょう?」

そう問い詰める賢子に、為時はまひろが働いてこの家を支えているとたしなめます。

「では何故昨日のようなお話をするのですか? お菓子をたらふく食べたとか! 母上が嫡妻ではなかったから、私はこんな貧しい家で暮らさなければならないのでしょう?」

そう叫ぶ賢子を為時は「黙らぬか」と制す。

宮仕えをして高貴な方々とつながりを持ち、賢子の役に立ちたいと答えるまひろ。

「嘘つき! 母上なんて大嫌い!」

そう叫んで賢子はどこかへ走り去ってゆきました。

すっかり嫌われた、とまひろが言葉にすると、為時が「母親不在の中、あの子の友は書物であった」と語ります。

結局は似た者同士なのでしょう。まひろの反抗期を知る為時が言うと説得力があります。

まひろのことを思い出してみましょう。

彼女の反発は、為時が理想と現実から乖離したことに怒りを見せていました。

漢籍を読み、理想の世を求めているようで、実際には権力者に媚びて不正も見逃す。

口先だけか! 身につけた教養が活かせていない!そう苛立っていたわけです。

賢子の場合も、実はそう思えます。

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民の窮状を思いやるわけでもなく、食べきれないほどの飲食物を自慢する。口先だけか、身につけた教養が活かせていない! という心境なのでしょう。

実は、母と娘の怒るポイントは一致しています。

まひろは酔態を晒し、人の悪口をぬけぬけと語っているわけで、母親である以前に人としても醜悪だと指摘しておきましょう。

この展開は朝ドラでありがちな「ワーキングマザーの試練」のようで、本作はひねっているように思えます。

それというのも、男親である為時も娘のまひろに嫌われていた。

ずっと家にいて娘に惜しみない愛情を注いできた倫子も、同じように母として足りないところがあると劣等感を刺激されています。

為時や倫子と比較すると、まひろは人としてよろしくないとも思える。

それこそ「ワーキングマザーの試練」ならば、まず母親は泣くなり、表情にはっきりと出したほうが良さそうだ。

しかし、まひろは冷静に受け止めているうえに、それを踏み台にして物語を執筆しそうなふてぶてしさすらある。

母というより、面倒くさいクリエイターの業を感じさせるのです。

 

『源氏の物語』は帝のお気に入りになる

まひろが出仕し、中宮も、内裏の藤壺に戻りました。

するとそこへ敦康親王が嬉しそうにやってきます。

長い間留守にしたことを詫び、弟をかわいがるようにと中宮が語りかけると、中宮が私をかわいがるなら弟の敦成をかわいがると無邪気に返します。

中宮が「敦康だって大事だ」と微笑んでいると、帝がやってきました。

「朕も敦康も寂しかった」

青空のように晴れやかな中宮に、帝は魅了されているように思えます。そして

「源氏の物語か」

とつぶやく帝に対し、中宮は物語の冊子を献上します。あまりの美しさに、大いに喜んだ表情の帝。

帝が「これは藤式部の思いつきか?」と問いかけると、めっそうもないと否定するまひろ。

中宮の発案だと否定します。

中宮がいかに心を込めて作り上げたか、とまひろが語ると、帝も嬉しそうな表情。

しかし、中宮が33帖で終わりだと思っていた物語が、実はまだ続くことが判明します。

構想中だと語るまひろですが、ここが重要でしょう。

帝の発案で、物語を読み上げる会が藤壺で開催されることになりました。

そして作者の「物語論」が語られ、『日本紀』より上であるという部分が読み上げられます。

藤原斉信が、このぶっ飛んだ理論に驚き、藤原公任へ動揺を語る。

公任は困惑しながらも「帝が読むとわかっていて、よくそんなことを書けるな」と返しています。

この理論は確かに吹っ飛んでいるでしょう。

東アジアにおいて、物語や小説は「一段落ちるくだらないものだ」という意識は強固なもの。一流の書物は歴史書や思想書であると考えられていたのです。

そんなくだらないものを上に置くというのは、あまりに大胆で驚くべきことなのです。

二人に対し、生真面目な藤原行成が、声が大きいことを嗜めると、行成のことを大好きな帝は「何か気になるところがあるのか?」と尋ねます。

行成はそつなく誤魔化しました。

帝はここで話をまとめ「女ならではのものの見方に漢籍の素養も加わっているゆえ、これまでにはない物語だ」と感想を語ります。

そしてさらに藤式部は『日本紀』に精通していると付け加えます。

このように帝が一目置いたことで『源氏物語』は評判を呼び、中宮彰子の藤壺を華やかなものとしたのでした。

ただし、この一件で「日本紀の御局」という嫌味たらしいニックネームを、左衛門の内侍につけられることになるのですが、まひろには余裕があるようにみえます。

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余裕のある顔で内心いらつき、日記に書き残していたのであれば、それはそれで怖い性格ですけど。

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