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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第41回「揺らぎ」】
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都大路をゆく武者たち
賢子が乙丸と共に都を歩いています。
すると馬に乗った武士がいかめしい顔をして歩いてくる。何事なのか?と乙丸が怯えていると、一行の中にあの双寿丸もいました。
「おう」
賢子に目を止め、あれが為賢様だ、強そうだろうと嬉しそうに語る双寿丸。なんでもこれから盗賊を捕まえに行くのだとか。
「気をつけてよ」
「おう」
「帰ってきたら、またうちに夕餉に寄りなさい」
優しい賢子の言葉に乙丸は困惑しています。
『源氏物語』の世界観では、健康的に日焼けして、イキイキシャキシャキしているというだけで、男が怖がられるものですから。
平為賢役は神尾佑さんです。殺陣が上手く、武士が似合う方。こんなに素晴らしい武者なのに、都の貴族からすれば「おそろしや」となってしまいます。
繊細で華奢な、亡き一条天皇が美男の頂点ですね。
賢子は家で書物を見ています。昔の紙の書物はこうして手入れしないといけません。
そこへ双寿丸がやってきました。
「本当に来た」
「来いって言ったろ」
そう賢子と双寿丸は言葉を交わしていますが、いとはほとんど恐慌状態です。
「二度とくるなと言ったでしょうに!」
「腹減った! 飯、飯、飯!」
なんという野蛮ぶりでしょうか。
これもややこしい話で、顔が見える時間帯に堂々と家までくるなんて当時の貴族にとっては異常なことなのです。
「夜這い」という言葉は、顔も見えない夜になってから、そっと忍んでやってくるという意味。
それがマナーなのに、顔を見せて堂々とやってくるとは野蛮ではないかとなってしまう。めんどくさいですね。
いとは賢子に夕食を用意するように言われ台所へ向かい、そこへまひろがやってきます。
母上まで来たというと、まひろはここは私の家だと返します。
「そなたも息災のようね」
「おう」
まひろは涼しげにそういい、双寿丸は荒々しく答えます。
双寿丸は満足げに飯を食べながら、この家には書物がいっぱいあるなぁと見渡しています。
読みたかったらいつでも貸してあげると言われるのですが、双寿丸は「字が読めぬ、自分の名前だけ書ける」と答えるのでした。
都をさすらい、強くなった双寿丸
ここで彼の境遇が想定できます。
通じるところが多いとされる直秀の場合、文字が読める程度の教育は感じさせました。没落貴族という推察も納得できます。
一方で双寿丸の場合、一人きりの孤児として、僧侶に保護されたのではないかと推察できます。
兄弟がいるのであれば、太郎や次郎、あるいは甲丸や乙丸あたりになると思えます。
そうではなく、吉祥を意味し、画数も多い「寿」が名前に入っています。
親を亡くし、きょうだいも失った。
ただ体が丈夫で腕っぷしが強いから生き延びた。
飢えと寒さ、病気、野犬の襲撃に怯えていた少年が拾われ、せめてこれからよいことがあるようにと、僧侶は彼にめでたい名前をつけたのではないか。そんな身の上が想像できます。
名前の時点でそうではないかと思っておりましたが、演じる伊藤健太郎さんも孤児だと語っていたので、どうやらあたりのようです。
まひろはここで、足で字を書けないか、実は高貴な生まれではないかと言い出します。強引に三郎と重ねているような、あるいは三郎の幻を追いかけているようにも思えます。
「母上、大丈夫かよ?」
困惑する双寿丸。まひろは失礼だと断り、独り言だと言います。
賢子が、字は読めた方がいいと勧めると、俺は武者だからいらぬと返す双寿丸。
人の上に立つならば読めた方がいいと言われても、俺は字が読めぬ哀れな輩ではないと言い切ります。
人には得手不得手がある。字を書いたり読んだりすることには向いてなく、体を張って戦うのに向いていると言いきるのです。
しかし、それはどうでしょう。双寿丸は理論の組み立て方がしっかりしていて、聡明そうに思えます。知恵の使い道を知らないだけかもしれません。
学問が得意な奴らは俺らのようには戦えぬ。それゆえ、武者であることに誇りを持て。殿がそう言っていたとのこと。
「双寿丸は殿のもとで武術を学んでいるの?」
まひろにそう質問されると、皆で共に戦うことを学んでいると答えました。
弓が得意なら弓。石を投げるのが得意なものは石を投げる。そして弓と石で襲ったあと、太刀で敵に切り込む。それぞれが得意を活かす。一人一人は弱くてもそれで勝てる。戦がない世がよいけれど、そうは言っても人の世だ。
殿はそう言っているそうです。
まひろは何か感心しています。
彼女は偏見がなく、相手がどんな相手だろうと意見を取り入れます。
仲間を作れば一人でいるより楽しいし、仲間のために強くなろうと思える。そう語っていると「それも殿が言っていたの?」とまひろが突っ込んできます。
お前の母上はいちいち絡んでくると双寿丸。ここで飯がないと気づき、いとにおかわりを頼むもありません。
賢子は「じゃあこれをあげる」と自分のぶんの飯をあげるのでした。
「いいのか?」
「うん」
そう言い合う二人は愛くるしいようで、ここはかなり危険な問題提起のある場面でした。
武者こそが時代を変える
「スラムのガキから武者になれ!」
2017年公開の映画『キング・アーサー』のキャッチコピーのパロディです。
あれは史実も神話も無視して、悪ガキ系の主役がアーサー王になるという話です。
双寿丸の場合、都大路のスラムから拾われて武者になったことが推察できますが、これがまず危険です。
彼の話を聞くと、平為賢はそういう孤児を集めて、武術を鍛錬し、戦闘員としている。
こういうことをすると反社会組織がどんどんできていくので潜在的に危険という意味です。
『鎌倉殿の13人』では、義時の最初の妻である八重が孤児を保護していて、その事業を北条政子が引き継ぎました。
あれは心優しいだけでなく、治安を保つ意味もあります。劇中では八重の救った鶴丸が、のちに平盛綱として、北条泰時を守る設定だったものです。
治安について、道長たちは考えていたのでしょうか?
そもそも道長は直秀が非業の死を遂げたあと、検非違使の組織刷新を掲げていたと思います。
それがどういうわけか、武者に頼っています。
平為賢は坂東武者、常陸出身です。
当時の移動は大変危険ではあるものの、踏破できるだけの武力があれば制限なく行き来できます。
地方出身の武装勢力が都まで到達し、孤児を拾い集めて膨れ上がっている。非常に危ない。
江戸時代ともなると藩を超えて行き来するには手間がかかりましたが、そういう配慮がなければ潜在的に危険なのです。
ただし、最後のピースがはまっていない状態です。
双寿丸の言葉から、平為賢は書籍の重要性を理解していないことが伝わってきます。
戦術もまだまだ原始的であり、戦略はまだないのです。
これより時代が下りますと、赤染衛門と大江匡衡の子孫である大江匡房が『孫子』をまとめ、それを武者である源義家が読みました。
【後三年の合戦】(1083−1087)のとき、義家は雁が飛び去っていく様を見て気づきました。
ここに伏兵がいるから鳥が飛び立ったのではないか?
そう相手の策を見破った。武者が兵法を学んだ――そんな引き返せない瞬間です。
双寿丸の場面は微笑ましいようで、実は来るべき変革がヒタヒタと迫る音が聞こえる、スリリングな要素も含まれています。
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