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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第41回「揺らぎ」】
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源氏の物語を読むことを辞めている道長
まひろが執筆していると、道長がやってきます。
「まだ書いておるのか」
まひろはムッとします。
「ずいぶんな仰り方。書けと仰せになったのは道長様でございますよ」
道長は謝りつつ、光る君と紫の上はどうなるのかと聞いてきます。
紫の上は死んだとまひろ。驚く道長。
構想段階なのか、それとも道長が読んでいないのか。というと、既に執筆箇所は「幻」です。光源氏の死が示唆される巻です。紫の上が亡くなった「御法」は執筆済みということになります。
ここで作者からネタバレされたという感想も見かけましたが、もっともっと暗く深い絶望の淵が見えてきます。
東洋の伝統として、書くことで「政治批判する」「諫言する」ということがあります。
光源氏は栄耀栄華を極めたにもかかわらず、女三宮を妻に迎えたことでその世界がほころび、崩れてゆきました。
このドラマのまひろは、そこに驕り高ぶった道長への諫言を込めたのかもしれません。
それを読んでいないとは……。
韓流時代劇では、家臣たちが王に向かい「王様〜〜〜! どうか、お聞きくだされ!」と絶叫する場面があります。
心の底から諫言を聞いて欲しいとき、朝鮮の人士はしばしばああして訴えました。
華流時代劇では、諫言を聞いてもらえない官僚は、文字通りしばしば吐血してまで無念を示します。
近年の大河ドラマで諫言といえば『麒麟がくる』の明智光秀が思い出されます。
松永久秀の死後、託されていた平蜘蛛を手にして信長に諫言するも聞き入れられず、絶望感を漂わせていました。
諫言を聞いてもらえない――それは精神を破壊し得るほど辛いもの。
まひろはただの女房ではなく、父・為時から漢籍を読み聞かされていた人物です。
人間としての愛情はともかく、君臣としての関係には大きく亀裂が生じたと思えます。
それに、書いている人間にとって、相手がこちらの書くものをフォローしていないというのは地道に傷つきますよね。
面白いものを書けない自分が悪いし、強制するのもなんだし、苦笑いを浮かべているけれども、この人は心の底からは信じてはいけないと思ってしまうものです。
しつこいアンチの方が、追いかけてくれるだけマシかもしれません。
ききょうみたいな眼力ある強火アンチは、読み取った上で理詰めで批判してくるだけよいものです。ありがたいフィードバックにもなる。
ここでの道長みたいな「あなたのファンです。でも最近読んでないや」の方がよほどイラつくと思いますね。
あなたは所詮、ノリなのですか?
そう言いたくはなりますね。
私個人の話ですが、学生雑誌で、ある作家のインタビューをすることになりました。
それが決まったら、私は書店に行き、その作家の既刊を全て読み、作風や質問事項をまとめておきました。
ところがペアを組んだインタビュアーは、直近の受賞作を途中まで読んだだけでした。
そういうものだろうか? 誠心誠意に問題があるのではないか?
そう疑念に思ったものですが、今ならわかります。えてして人間ってそういうものですよね。他者に期待しすぎるのも考えものかもしれません。
まひろは鏡となり、道長を映す
このゆるいファンの道長は結局、彰子のもとに一条天皇を連れてくるためだけの道具だと思っている。そう示すような嫌なやりとりです。
ファンの証しである扇子を贈ったくらいで誤魔化せると思っているんですか?
「まひろ推し!」みたいなうちわを持って浮かれてはしゃいでいればいいってもんじゃないんですよ。本当にふざけた男ですね。
あの微笑ましいまひろと三郎の扇子も、もはやへし折りたいくらい私は苛立っています。
まひろはそんな鈍感道長に、誰も彼もいずれは黄泉路に旅立つのだから、早めに渡ってしまった方が楽だと思うこともあると言います。
道長にはそういうことはないか?と聞くと、道長は今はまだ死ねぬと言い切ります。
まひろは顔に怒りがジワリと滲んでいるように思えます。まるで怒りの女神のような顔になり、こう問いかけます。
「道理を飛び越えて、敦成様を東宮に立てられたのはなぜでございますか。より強い力をお持ちになろうとされたのは?」
まひろはいつでも美しいけれども、怒りが滲んだときは凄絶なまでに美貌が際立ちます。氷の女王のようです。
道長はやや怯んだように、こう言います。
「お前との約束を果たすためだ。やり方が強引だったことは承知している。されどオレは常にお前との約束を胸に生きてきた。いまもそうだ。そのことは、お前にだけは伝わっていると、思っておる」
まひろは鏡になりました。もしもその顔に道長が怯んだのだとすれば、それは己の醜さを見てしまったからだと思えます。
道長は愛があると訴えたいようだけれども、まひろが物語にどれほど入れ込んでいるのか理解しているはずです。
愛している人が喜んでいる顔を見ることに、彼は喜びを感じないのでしょうか。そこにまだ愛は残っているのでしょうか。
彰子を慰める和歌の会
彰子を慰めるためか。女房たちが和歌を詠んでいます。
喪服と、そうでない服装が分かれており、先帝の喪に服している状況がみえてきます。
誰にかは
告げにやるべき
もみぢ葉は
思ふばかりに
見る人もがな
誰に告げればよいのだろうか。私のみがこの見事な紅葉を素晴らしいと思いつつ見るばかりで、共に見る人はいないとは。
なにばかり
心づくしに
眺めねど
見しにくれぬる
秋の月影
どうということもなく、真剣に見ていたわけではないけれど。見ていると涙で曇る秋の月影の美しさよ。
憂きことも
恋しきことも
秋の夜の
月には見ゆる
心地こそすれ
憂鬱なことも、恋しいことも、秋の夜の月には見える気がするの。
この歌は一段と艶っぽいとざわめかれます。
「恋をしているからかしら?」
あかねが艶然と微笑むと、貴公子たちはドギマギするばかりでした。
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