寛弘8年(1011年)、自宅に戻り、武者の双寿丸を見つけたまひろが驚いています。
賢子を助けてもらった――乙丸からそう聞かされ礼を言うと。
「女子が困っていたら助けるだろう? 当たり前のことだ」
素敵な台詞をクールに吐く双寿丸ですが、実はそれが当たり前でもないと思うんですよね。これは彼の大きな長所でしょう。
新時代の風を吹き込む若き武者
一方、双寿丸を露骨に追い払いたい様子のいと。「お腹がいっぱいになったら出ていけ」と追い出そうとします。
助けてもらった御礼はするけれど、越後守の孫である姫との身分の違いを強調するのです。
しかし双寿丸はどこ吹く風でこうだ。
「姫様ってツラでもないよな」
そう言われた賢子は怒るどころか大笑い。しかも「お腹が減ったら、またくるように」と告げるのでした。
「おう!」
視聴者と賢子の心を掴みながら颯爽と去ってゆく双寿丸は“新時代”の象徴のよう。
思えば武士政権の設立を描いた『鎌倉殿の13人』第1回は、舞台が1175年でしたが、新時代の芽は為時の邸でも芽吹いていたんですね。
その夜、布団を整えながら、賢子が「内裏の仕事はお休みなのか」と尋ねます。
中宮様の許しを得てきたと答えるまひろは何やら辛そうな表情です。無理もありません。弟の惟規が逝き、帝も崩御し、心労が積み重なっているのでした。
そして賢子に「なぜ、あのような武者にも優しいのか」と語りかけます。
「助けてくれた人だもの」
そう語る賢子ですが、からかわれても怒らないところがまひろには不思議なようです。
「私は怒ることが嫌いなの」
自分には怒っていたとまひろが反論すると、なんでも母上以外には怒らないのだとか。まひろは娘の言葉に考え込んでいます。
珍しく仲の良い母と娘の会話に思えます。双寿丸効果でしょうか。
撫子を摘む我が子に涙する母
敦成が撫子の花を摘み、彰子がその姿を見ている。
父の死を知らず、無邪気な幼い我が子が悲しくてならない中宮が、おもむろに歌を詠み始めます。
見るままに
露ぞこぼれる
おくれにし
心も知らぬ
撫子の花
見るだけで涙がこぼれてしまう。父の死も知らずに撫子の花を摘む我が子を見ていると……。
中宮の歌を初めて聞いた――まひろがそう驚いていると、彰子は苦しい胸の内をこぼします。
亡き帝と歌を交わし合いたかった。もっと一緒に語り合いたかった。笑い合いたかった。敦成も敦良も、もっともっと、帝に抱いていただきたかった。
一条天皇の寿命を縮めたような道長の仕打ちを思うと、なんとも言えぬ気持ちになります。
新帝の内裏遷御
新たな帝は内裏に入る日が決まっていません。
公任にその手筈を整えるよう命じると、「実資殿がふさわしい」と拒もうとします。
しかし実資には別に頼みがあるようで、しぶしぶ承諾せざるを得ない公任。
左大臣である道長に「よいな?」と念押しすると、道長は陰陽寮にはかっていると返すのでした。
二人が帝の前から下がると、公任が、こういうのはやりたくないと道長にぼやきます。
儀式に詳しいだろと道長に言われますが、だからこそやりたくないのだとか。もしも間違えたら恥ずかしいですし、そのときは実資に嫌味の一つでも言われそうですしね。
そして公任は、周りに人がいなくなったところで、道長にささやきます。
「帝は取り込みを図っており、結束を乱すつもりだ」
どこかノンビリした道長は「それほどの魂胆があるのか?」と他人事みたいに答えるだけ。
公任は、先の帝の側近を遠ざけたいのだとちう見通しを語ります。ここまで言われ、ならば振り回されないようにしようと気を引き締める道長です。
内裏遷御の日は「亡き一条天皇の四十九日にあたる」と道長が伝えると、「それでもかまわない」と答える新帝。
帝は、道長の兄、甥、息子を側近にするとのことです。
困惑する藤原教通。なぜ、兄ではなく自分が帝の側近に望まれたのか。名誉なことだと父である道長が返すと、教通は微笑みながら去ってゆきます。
一方、兄の藤原頼通は不満そうだ。なぜ私ではないのか。
そうこぼすと、道長は取り込まれなかったことをむしろ喜ぶようにと伝えます。
「お前が先頭に立つのは東宮が帝になるときだ」
思わずひきつる頼通の顔。まるでその時機は道長が決めるかのような言い方ではないですか。
高松殿生まれと土御門生まれの格差は縮まるのか
道長は、源明子の住まう高松殿に来ています。
なんでも兄の源俊賢は、帝の女房を取り込んでそば近くに仕えようとして失敗したとか。
“取り込む”とは、性的関係を持つことも含まれます。なんでも帝は不快の念をあらわにしたそうで、道長はもう少し考えてやるようにと言います。
「いささか早すぎた」と悔やむ俊賢。それでも道長のため帝の心を掴もうとしているようで、そんな兄に対し、明子が苦言を呈すと、俊賢も妹を黙らせようとする。
俊賢は儀式に詳しいから、帝も頼りにするだろうと余裕の道長。
するとそこへ、明子が産んだ頼宗と顕信がやってきました。二人は、自分たちがいつ公卿になれるのか、気が気でない様子。
特に顕信は、兄とも年齢が変わらぬのに、土御門生まれの藤原頼通は正二位で権中納言だ、と納得できません。
こういうことは帝の心次第ゆえ、もう少し待てと制する道長。
いつまで待てば良いのかと訴える顕信。
兄の頼宗が「控えるように」と制すると、今度は息子二人をフォローするかのように、明子が道長にプレッシャーをかけます。
「父上はそなたの心をちゃんとわかっている」
硬直する雰囲気を和やかにしたかったのでしょう。兄の源俊貴が、焦ってもろくなことがないと道長をフォローするのですが、逆に妹から言われてしまいます。
「兄上に言われたくありません!」
8月11日は先帝の四十九日、新帝が内裏に入ると、さっそく帝は動きます。道長を関白にするつもりのようです。
しかし、丁重に断る道長。
つれない対応になることは予期していたのか、帝はなおも粘りながら「関白にならぬなら朕の願いを一つ聞くように」と交換条件を提示してきました。
いったい何なのか?
娍子(すけこ)を女御にする――。
そう聞かされた道長は、慌てながら「大納言の娘に過ぎず、先例もない娍子は女御にできない」と反論しますが、帝は譲らず、娍子を女御にすると言い張ります。
道長の子である妍子も、女御にすると言い切るのでした。
源氏の物語を読むことを辞めている道長
まひろが執筆していると、道長がやってきます。
「まだ書いておるのか」
まひろはムッとします。
「ずいぶんな仰り方。書けと仰せになったのは道長様でございますよ」
道長は謝りつつ、光る君と紫の上はどうなるのかと聞いてきます。
紫の上は死んだとまひろ。驚く道長。
構想段階なのか、それとも道長が読んでいないのか。というと、既に執筆箇所は「幻」です。光源氏の死が示唆される巻です。紫の上が亡くなった「御法」は執筆済みということになります。
ここで作者からネタバレされたという感想も見かけましたが、もっともっと暗く深い絶望の淵が見えてきます。
東洋の伝統として、書くことで「政治批判する」「諫言する」ということがあります。
光源氏は栄耀栄華を極めたにもかかわらず、女三宮を妻に迎えたことでその世界がほころび、崩れてゆきました。
このドラマのまひろは、そこに驕り高ぶった道長への諫言を込めたのかもしれません。
それを読んでいないとは……。
韓流時代劇では、家臣たちが王に向かい「王様〜〜〜! どうか、お聞きくだされ!」と絶叫する場面があります。
心の底から諫言を聞いて欲しいとき、朝鮮の人士はしばしばああして訴えました。
華流時代劇では、諫言を聞いてもらえない官僚は、文字通りしばしば吐血してまで無念を示します。
近年の大河ドラマで諫言といえば『麒麟がくる』の明智光秀が思い出されます。
松永久秀の死後、託されていた平蜘蛛を手にして信長に諫言するも聞き入れられず、絶望感を漂わせていました。
諫言を聞いてもらえない――それは精神を破壊し得るほど辛いもの。
まひろはただの女房ではなく、父・為時から漢籍を読み聞かされていた人物です。
人間としての愛情はともかく、君臣としての関係には大きく亀裂が生じたと思えます。
それに、書いている人間にとって、相手がこちらの書くものをフォローしていないというのは地道に傷つきますよね。
面白いものを書けない自分が悪いし、強制するのもなんだし、苦笑いを浮かべているけれども、この人は心の底からは信じてはいけないと思ってしまうものです。
しつこいアンチの方が、追いかけてくれるだけマシかもしれません。
ききょうみたいな眼力ある強火アンチは、読み取った上で理詰めで批判してくるだけよいものです。ありがたいフィードバックにもなる。
ここでの道長みたいな「あなたのファンです。でも最近読んでないや」の方がよほどイラつくと思いますね。
あなたは所詮、ノリなのですか?
そう言いたくはなりますね。
私個人の話ですが、学生雑誌で、ある作家のインタビューをすることになりました。
それが決まったら、私は書店に行き、その作家の既刊を全て読み、作風や質問事項をまとめておきました。
ところがペアを組んだインタビュアーは、直近の受賞作を途中まで読んだだけでした。
そういうものだろうか? 誠心誠意に問題があるのではないか?
そう疑念に思ったものですが、今ならわかります。えてして人間ってそういうものですよね。他者に期待しすぎるのも考えものかもしれません。
まひろは鏡となり、道長を映す
このゆるいファンの道長は結局、彰子のもとに一条天皇を連れてくるためだけの道具だと思っている。そう示すような嫌なやりとりです。
ファンの証しである扇子を贈ったくらいで誤魔化せると思っているんですか?
「まひろ推し!」みたいなうちわを持って浮かれてはしゃいでいればいいってもんじゃないんですよ。本当にふざけた男ですね。
あの微笑ましいまひろと三郎の扇子も、もはやへし折りたいくらい私は苛立っています。
まひろはそんな鈍感道長に、誰も彼もいずれは黄泉路に旅立つのだから、早めに渡ってしまった方が楽だと思うこともあると言います。
道長にはそういうことはないか?と聞くと、道長は今はまだ死ねぬと言い切ります。
まひろは顔に怒りがジワリと滲んでいるように思えます。まるで怒りの女神のような顔になり、こう問いかけます。
「道理を飛び越えて、敦成様を東宮に立てられたのはなぜでございますか。より強い力をお持ちになろうとされたのは?」
まひろはいつでも美しいけれども、怒りが滲んだときは凄絶なまでに美貌が際立ちます。氷の女王のようです。
道長はやや怯んだように、こう言います。
「お前との約束を果たすためだ。やり方が強引だったことは承知している。されどオレは常にお前との約束を胸に生きてきた。いまもそうだ。そのことは、お前にだけは伝わっていると、思っておる」
まひろは鏡になりました。もしもその顔に道長が怯んだのだとすれば、それは己の醜さを見てしまったからだと思えます。
道長は愛があると訴えたいようだけれども、まひろが物語にどれほど入れ込んでいるのか理解しているはずです。
愛している人が喜んでいる顔を見ることに、彼は喜びを感じないのでしょうか。そこにまだ愛は残っているのでしょうか。
彰子を慰める和歌の会
彰子を慰めるためか。女房たちが和歌を詠んでいます。
喪服と、そうでない服装が分かれており、先帝の喪に服している状況がみえてきます。
赤染衛門
誰にかは
告げにやるべき
もみぢ葉は
思ふばかりに
見る人もがな
誰に告げればよいのだろうか。私のみがこの見事な紅葉を素晴らしいと思いつつ見るばかりで、共に見る人はいないとは。
紫式部
なにばかり
心づくしに
眺めねど
見しにくれぬる
秋の月影
どうということもなく、真剣に見ていたわけではないけれど。見ていると涙で曇る秋の月影の美しさよ。
憂きことも
恋しきことも
秋の夜の
月には見ゆる
心地こそすれ
憂鬱なことも、恋しいことも、秋の夜の月には見える気がするの。
この歌は一段と艶っぽいとざわめかれます。
「恋をしているからかしら?」
あかねが艶然と微笑むと、貴公子たちはドギマギするばかりでした。
清少納言の舌鋒
宮の宣旨が、藤原彰子に問いかけます。
「清少納言がやってきました。いかがしましょう?」
内々の会だから断るべきだ――そんな意見も出ますが、彰子は『枕草子』の書き手に会ってみたいとのこと。
お楽しみの最中にとんだお邪魔だと言いながら、敦康様から中宮に届け物があるとして清少納言がやってきました。
微笑みながら語りかける彰子に対し、慇懃無礼な態度で挨拶し、亡き定子皇后の女房であると名乗る清少納言。
届けものとは、つばき餅でした。
亡き院(一条天皇)も皇后も好きだったと好きだったと説明します。
『源氏物語』にも登場する日本最古級の菓子ですね。
懐かしみ、敦康親王の様子を彰子が尋ねると、敦康様はお健やかと言いつつ、こう続けます。
「もう敦康様のことは過ぎたことにおなりでございますね。このようにお楽しみにお過ごしとは思いも寄らぬことでございます」
赤染衛門が「今は歌を披露している、優れた歌詠みであるあなたも詠んではいかがか」と誘うのですが……。
「ここは私が歌を詠みたくなるような場所ではございませぬ」
そうきっぱりと断り、敦康親王には脩子内親王と私がついているから、たとえお忘れになられても大丈夫だと言い残し、去って行きました。隆家の名前はあがりません。
まひろは三白眼になって、ききょうを睨みつけます。ききょうも鋭い目線を投げかけ、去ってゆく。
彰子は悲しそうな顔をしています。
まひろは月の印がついた硯で墨を擦り、「清少納言」と書きます。
清少納言は、得意げな顔をした、ひどい人になってしまった……。
さらに続く痛烈な文は『紫式部日記』をご覧ください。
叢雲のかかる月のように
しかし、変わってしまったのはききょうだけなのか。
月を見る道長の姿も見えます。
この場面は、百人一首にとられたのこの歌も連想させます。
めぐり逢ひて
見しやそれとも
わかぬ間に
雲隠れにし
夜半の月かな
久々に再会して、誰かわからぬようになってしまった友。こんな人だったかと思ううちに月が雲に隠れるようにいなくなってしまった。
“友”とはききょうのことか。
それとも道長のことでもあるのか。
まひろと道長が眺める月が、今日は見えておりません。
左大臣様がおかしくおわすのだ
敦康が彰子のもとへやってきました。
つばき餅のお礼の文を頂戴し、飛んで参ったそうです。
彰子が美味しいつばき餅のお礼を言うと、御簾越しではお顔が見えないと言い出します。敦康の背後では行成が硬直しつつ行方を見守っています。
「ご無礼つかまつります」
そう御簾を超えて彰子のもとへ向かう敦康。
めくって入りつつ、光る君のような真似はしない、ただお顔が見たかっただけだと言います。
これにはまひろも、行成も、戸惑うばかりです。
道長は、この御簾を超えた顛末を行成から聞き、激怒。
超えても二人きりになったわけではない、しばらく話して帰っただけだと行成が擁護しても、信じられぬ!と怒り、敦康様が二度と内裏にあがれないようにしろと命じる道長です。
先帝の第一皇子にそんなことは言えないと行成が反論しても、それでも道長は、国母となる中宮に万が一のことがあったら一大事だとして一歩も引きません。
「恐れながら、左大臣さまは、敦康さまから多くの事を奪いすぎでございます。敦康様がお気の毒でございます」
「お前は私に説教するのか」
「左大臣様がおかしくおわします。失礼いたします」
あれほどまでに道長に心酔しきっていた行成が、こうも厳しく言い切るとは……。
これも諫言です。果たして道長はこれを聞きいれるのかどうか。
都大路をゆく武者たち
賢子が乙丸と共に都を歩いています。
すると馬に乗った武士がいかめしい顔をして歩いてくる。何事なのか?と乙丸が怯えていると、一行の中にあの双寿丸もいました。
「おう」
賢子に目を止め、あれが為賢様だ、強そうだろうと嬉しそうに語る双寿丸。なんでもこれから盗賊を捕まえに行くのだとか。
「気をつけてよ」
「おう」
「帰ってきたら、またうちに夕餉に寄りなさい」
優しい賢子の言葉に乙丸は困惑しています。
『源氏物語』の世界観では、健康的に日焼けして、イキイキシャキシャキしているというだけで、男が怖がられるものですから。
平為賢役は神尾佑さんです。殺陣が上手く、武士が似合う方。こんなに素晴らしい武者なのに、都の貴族からすれば「おそろしや」となってしまいます。
繊細で華奢な、亡き一条天皇が美男の頂点ですね。
賢子は家で書物を見ています。昔の紙の書物はこうして手入れしないといけません。
そこへ双寿丸がやってきました。
「本当に来た」
「来いって言ったろ」
そう賢子と双寿丸は言葉を交わしていますが、いとはほとんど恐慌状態です。
「二度とくるなと言ったでしょうに!」
「腹減った! 飯、飯、飯!」
なんという野蛮ぶりでしょうか。
これもややこしい話で、顔が見える時間帯に堂々と家までくるなんて当時の貴族にとっては異常なことなのです。
「夜這い」という言葉は、顔も見えない夜になってから、そっと忍んでやってくるという意味。
それがマナーなのに、顔を見せて堂々とやってくるとは野蛮ではないかとなってしまう。めんどくさいですね。
いとは賢子に夕食を用意するように言われ台所へ向かい、そこへまひろがやってきます。
母上まで来たというと、まひろはここは私の家だと返します。
「そなたも息災のようね」
「おう」
まひろは涼しげにそういい、双寿丸は荒々しく答えます。
双寿丸は満足げに飯を食べながら、この家には書物がいっぱいあるなぁと見渡しています。
読みたかったらいつでも貸してあげると言われるのですが、双寿丸は「字が読めぬ、自分の名前だけ書ける」と答えるのでした。
都をさすらい、強くなった双寿丸
ここで彼の境遇が想定できます。
通じるところが多いとされる直秀の場合、文字が読める程度の教育は感じさせました。没落貴族という推察も納得できます。
一方で双寿丸の場合、一人きりの孤児として、僧侶に保護されたのではないかと推察できます。
兄弟がいるのであれば、太郎や次郎、あるいは甲丸や乙丸あたりになると思えます。
そうではなく、吉祥を意味し、画数も多い「寿」が名前に入っています。
親を亡くし、きょうだいも失った。
ただ体が丈夫で腕っぷしが強いから生き延びた。
飢えと寒さ、病気、野犬の襲撃に怯えていた少年が拾われ、せめてこれからよいことがあるようにと、僧侶は彼にめでたい名前をつけたのではないか。そんな身の上が想像できます。
名前の時点でそうではないかと思っておりましたが、演じる伊藤健太郎さんも孤児だと語っていたので、どうやらあたりのようです。
まひろはここで、足で字を書けないか、実は高貴な生まれではないかと言い出します。強引に三郎と重ねているような、あるいは三郎の幻を追いかけているようにも思えます。
「母上、大丈夫かよ?」
困惑する双寿丸。まひろは失礼だと断り、独り言だと言います。
賢子が、字は読めた方がいいと勧めると、俺は武者だからいらぬと返す双寿丸。
人の上に立つならば読めた方がいいと言われても、俺は字が読めぬ哀れな輩ではないと言い切ります。
人には得手不得手がある。字を書いたり読んだりすることには向いてなく、体を張って戦うのに向いていると言いきるのです。
しかし、それはどうでしょう。双寿丸は理論の組み立て方がしっかりしていて、聡明そうに思えます。知恵の使い道を知らないだけかもしれません。
学問が得意な奴らは俺らのようには戦えぬ。それゆえ、武者であることに誇りを持て。殿がそう言っていたとのこと。
「双寿丸は殿のもとで武術を学んでいるの?」
まひろにそう質問されると、皆で共に戦うことを学んでいると答えました。
弓が得意なら弓。石を投げるのが得意なものは石を投げる。そして弓と石で襲ったあと、太刀で敵に切り込む。それぞれが得意を活かす。一人一人は弱くてもそれで勝てる。戦がない世がよいけれど、そうは言っても人の世だ。
殿はそう言っているそうです。
まひろは何か感心しています。
彼女は偏見がなく、相手がどんな相手だろうと意見を取り入れます。
仲間を作れば一人でいるより楽しいし、仲間のために強くなろうと思える。そう語っていると「それも殿が言っていたの?」とまひろが突っ込んできます。
お前の母上はいちいち絡んでくると双寿丸。ここで飯がないと気づき、いとにおかわりを頼むもありません。
賢子は「じゃあこれをあげる」と自分のぶんの飯をあげるのでした。
「いいのか?」
「うん」
そう言い合う二人は愛くるしいようで、ここはかなり危険な問題提起のある場面でした。
武者こそが時代を変える
「スラムのガキから武者になれ!」
2017年公開の映画『キング・アーサー』のキャッチコピーのパロディです。
あれは史実も神話も無視して、悪ガキ系の主役がアーサー王になるという話です。
双寿丸の場合、都大路のスラムから拾われて武者になったことが推察できますが、これがまず危険です。
彼の話を聞くと、平為賢はそういう孤児を集めて、武術を鍛錬し、戦闘員としている。
こういうことをすると反社会組織がどんどんできていくので潜在的に危険という意味です。
『鎌倉殿の13人』では、義時の最初の妻である八重が孤児を保護していて、その事業を北条政子が引き継ぎました。
あれは心優しいだけでなく、治安を保つ意味もあります。劇中では八重の救った鶴丸が、のちに平盛綱として、北条泰時を守る設定だったものです。
治安について、道長たちは考えていたのでしょうか?
そもそも道長は直秀が非業の死を遂げたあと、検非違使の組織刷新を掲げていたと思います。
それがどういうわけか、武者に頼っています。
平為賢は坂東武者、常陸出身です。
当時の移動は大変危険ではあるものの、踏破できるだけの武力があれば制限なく行き来できます。
地方出身の武装勢力が都まで到達し、孤児を拾い集めて膨れ上がっている。非常に危ない。
江戸時代ともなると藩を超えて行き来するには手間がかかりましたが、そういう配慮がなければ潜在的に危険なのです。
ただし、最後のピースがはまっていない状態です。
双寿丸の言葉から、平為賢は書籍の重要性を理解していないことが伝わってきます。
戦術もまだまだ原始的であり、戦略はまだないのです。
これより時代が下りますと、赤染衛門と大江匡衡の子孫である大江匡房が『孫子』をまとめ、それを武者である源義家が読みました。
【後三年の合戦】(1083−1087)のとき、義家は雁が飛び去っていく様を見て気づきました。
ここに伏兵がいるから鳥が飛び立ったのではないか?
そう相手の策を見破った。武者が兵法を学んだ――そんな引き返せない瞬間です。
双寿丸の場面は微笑ましいようで、実は来るべき変革がヒタヒタと迫る音が聞こえる、スリリングな要素も含まれています。
彰子は仲間を集め、妍子は御簾を超える
道長が彰子に苦言を呈しています。
敦康様は元服したのだから、これまでのようにお会いになるのはいかがなものか。
そう咎める父親に対し、彰子は「左大臣は何を気にしているのか」とムッとしている。道長が「敦成と敦良をさらに慈しむように」と伝えると、既にそうしていると返す彰子。
ならば今よりなお慈しめと返しながら、道長が去ってゆきます。
このドラマの道長は、鈍感な上にあまりに自分の言いたいことばかりを押し付けていて、理論がないので本当によろしくないと思えます。
自分の持つ愛嬌や魅力だけで押し通そうとしていますが、まひろや行成ですら、それが通じなくなっている。
もう彼の言うことを聞く相手というのは、利害ありき、おこぼれをもらいたくてそうしているだけです。
なんだか哀れになってきました。
これを聞いていたまひろも、道長より彰子を気にしているように思えます。
道長が去ると「父上は敦康様を弾き出されようとしているのか」とまひろに尋ねる彰子。
敦成様を東宮としたため敦康様が気になっているけれども、心から中宮様と敦成様の幸せを願っているとまひろは返します。
彰子もそれはわかっている。しかし、このまま言いなりにはなりたくない。
ならば仲間を伴ったらいかがか?とまひろが提案します。彰子の弟たちのことです。
まひろは双寿丸の言葉からそのことに気づきました。こういうちょっとしたことを次のステップに繋げることが聡明さであり、道長には欠落していると思えます。
かくして彰子は弟たちを、異母弟まで含めて集め、語りかけます。
「早くに入内したために縁が薄いけれど、親しくしたい」
「あまり話した記憶がない」
そう言われ、昔は口数が少なかったと答える彰子。幼いころの思い出を語り合い、東宮のために皆の力を貸して欲しいと頼み込むのでした。
仲間を集めるという意味では、道長とも、帝とも通じるものがあります。
とはいえ、その根底にあるものの違いです。
権力や利害か。親愛の感情か。これについていえば、為賢と武者たちの方が素朴で信じられると言えるでしょう。
彰子は藤壺から枇杷殿に移り、代わりに妹の妍子が入りました。
すると妍子が、敦明から狩りの話を聞いて無邪気に喜んでいます。
狩りの極意を大袈裟な身振りまでして伝える敦明。すると妍子が御簾から出てきて「好き」と迫ります。
彰子と敦康と比較すると、妍子の軽薄さがわかる場面です。
「そこまで!」
そう止めたのは敦明の母である娍子でした。
「邪魔をするな」と妍子は不満そうですが、娍子は我が子の無礼を謝ります。
敦明が何もしていないと釈明をするものの、娍子は「黙りなさい」と手厳しく、父の女御に何をしているのかと苦言を呈しています。
そして娍子は妍子に「このことは帝には仰せにならぬように」と念押しするのでした。
最後まで不満そうな妍子です。
道長は、顕信の絶望を読み解けなかった
藤原通任を参議にすると帝が言い出しました。
蔵人にあがったばかりなのに半年で参議とは……と驚く道長。
これには、有能すぎて蔵人頭に長年とどめ置かれた行成や実資からすれば、妬ましい限りの話でしょう。
なんでも通任は娍子の弟なので引き立てたいのだとか。その上で道長の子も引き立てていると教通の名前もあげてきます。
帝はさらに通任の後任者として、明子を母とする藤原顕信を蔵人頭にすると言い出します。
しかし道長はまだできぬと固辞するのです。
この一件を高松殿で聞かされた顕信は、蔵人頭になりたかったと道長に訴えます。
焦らず、今は帝に借りを作ってはならない――道長がそう言うものの、明子が「顕信よりご自身が大事なのか!」と怒ります。
参議に出世できる蔵人頭を父が断るとは何事か!と収まりません。
顕信のことは考えておると道長が言おうと、出世争いにならぬよう自分の産んだ子は遠ざけてきたと指摘する明子。どの口が言うのかと静かな怒りを見せています。
「私は父上に道を阻まれたのですね。私はいなくてもよい息子なのですね!」
反論しようとする道長。明子が「ゆるせませぬ」と被せてきます。
「帝との力争いにこの子を巻き込んだあなたを決してゆるしませぬ!」
そう涙声になって訴え、顕信は絶望しきっていました。
翌朝、百舌彦がうろたえながら道長に、比叡山から僧が来ていると伝えます。
慶命という僧侶によると、顕信が出家したとのこと。
明子は怒り、道長につかみかかり、こう訴えます。
「あなたが顕信を殺したのよ!」
当時の出家は実質的に自殺のようなものでした。
MVP:藤原道長
『鎌倉殿の13人』最終回を連想しました。
権力に溺れた義時を止めるため、姉から妻から親友から、寄ってたかって義時にとどめをさすような展開だったのです。
武士ではなく貴族ですので、そこまで激烈ではないものの、今回だけで何人が道長への愛を失ったことでしょう。
彰子は静かに父を見限る。
行成ですら、道長がおかしいと訴える。
顕信は突然の出家。
明子はそれを受け、我慢の限界を迎える。
そしてまひろは静かに、道長と距離を空けています。静かすぎて道長は気づいていません。
この心の距離感が『源氏物語』の展開と重なっています。
『源氏物語』そのものを映像化せずに、あえて巻の名前や展開でそれを示す作りです。
作者は「幻」に到達し、次回は「雲隠」に進む。そのうえで、浮舟が川に飛び込み出家する「宇治十帖」まで構想している設定です。
まひろが今作で採用したような経緯で『源氏物語』を書いたのだとすれば、「宇治十帖」まで書く動機は何だろうか?と思っていました。
それが道長へのさらなる怒りゆえの諫言だと思えてきて圧巻です。
あの救いのない終わり方は、作者の絶望感だったのか。そう読み込むことができます。
道長の何が絶望的で、どうして摂関政治が破滅するのか?
それは結局、利害だけで結びつき、理念も道徳心もない、そんな堕落が原因ではないかと今回は見えてきます。
道長は慢心しきっていて気づいておりませんが、彼には結局、人間的な魅力がないのです。
それを突きつけた今回こそ、彼がMVPです。
この作品の本質を示しました。
徳は才の主にして、才は徳の奴なり
徳は才の主にして、才は徳の奴なり。
徳こそが才の最も重要な点であり、才は徳の奴隷でしかない。『菜根譚』
このドラマは、韓流や華流ドラマを意識していると言われます。
宮廷劇である点もそうでしょう。甘ったるいラブロマンスもそう。宋語を語る点でも意識を感じました。
さらにそこから進み、本質的なところでも近いと思ます。
韓流や華流ドラマの特徴として、儒教の道徳心があります。
天意に背いていないか、民を思うよい政治ができているのか。
よき権力者はそう自問自答するものです。
韓流時代劇での名君は、ふと暗い顔を見せます。
私は権力を握っているけれども、それにふさわしい振る舞いができているかどうか。そう悩み出すのです。
『光る君へ』では一条天皇にその意識があることがわかります。
中国を代表する時代物といえば『三国志』ものです。
知勇兼備の曹操よりも、どこか抜けていても徳のある劉備が理想の主君とされてきました。
現在NHK BSにて放映中の『三国志 秘密の皇帝』では、劉備ではなく、献帝の弟である劉平が民を慈しむ姿勢を見せます。
そのため周りの者たちがその人徳に圧倒され、曹操が悔しがるところがみどころです。乱世の奸雄と嘯く曹操ですら、道徳心を捨て切ることはできていないわけです。
利害だけではいけない。
権力者には人徳が必要だ。
はたしてそれがあるだろうか?
――この問いかけは大変重要であり、東アジア時代劇を構成する背骨のように通っているものです。
近年の大河ドラマでも、こうした要素は見られます。
『麒麟がくる』の光秀は、主人である信長の才能に惹かれ、その徳のなさに失望する過程が描かれています。
『鎌倉殿の13人』では、才能を発揮して肥大化していく義時が、あまりに徳がないため足元を掬われ、よってたかって死に追いやられました。
死にゆく弟を涙ながらに見守りながら、優しい八重を母にもつ泰時ならば安心できると政子は語ったものです。
政子は義時を死に追い詰め、泰時に希望を託すことで、徳の重要性を見せつけました。
そして今年です。
道長が生まれつき持っていた愛嬌やかわいげは、若い頃は光っていました。しかしその光はもう薄れ、本人の努力とは無縁の血筋、ずば抜けた強運で手にした権力がドス黒く澱んでいるだけ。もはや道長は「光らない君」なのです。
しかし中年を迎えた今、積み上げてきたものがあまりに少ない。
愛嬌や素直さが減衰する分、教養や道徳、慈悲深さを身につけるべきでした。
それに代わって彼が得たことは、棚ぼた式幸運要素による権力の掌握でした。
そんな彼に擦り寄って囁いてくる公任も、俊賢も、かつての光はない。ただの己可愛さゆえに結びついただけの薄っぺらい関係性に見えます。いわば甘い蜜に群がる蜂程度にしか思えません。
かわりに匂うような徳があれば違っていたでしょうに……。
明子は利害で衝突して離れてゆく。
彰子、行成、まひろは露骨に失望し、むしろ悪臭すら感じているかのような嫌悪感を見せています。
まひろが道長と違う道を選んだとわかることは、賢子との関係性からもわかります。
惟規の死のあと、この母と娘は距離が近づきました。
その一因として、まひろの俗っぽい権力欲が抜けてきたこともあるかと思います。
浅はかに、内裏と比べたら家が粗末だと語ることをまひろはしていません。
むしろ道長が見たら怪訝な顔をしそうな双寿丸の話を聞き、ヒントすら得ています。
まひろは為時譲り、漢籍仕込みの道徳心を取り戻し、透き通ってきたのでしょう。
その透き通った鏡として、道長の姿を映し、どうしてこんなに徳のない情けない姿なのかと、まひろは突きつけているように思ます。
さすが『スカーレット』チームです。
まひろと道長は甘ったるい恋をしていた頃よりも、今の鏡とそれに映る影となった今の方が、スリリングでつきつけることの多い、迫真の出来となり、見る側に迫ってきます。
これが2020年代の時代劇だと宣言する、伝統的かつ先進的な意欲作です。
ついでにいえば、こういうことは大河ドラマにだって当てはまります。
先週放映された「ジャニー喜多川 “アイドル帝国”の実像」後の反響の結果、旧ジャニーズ保証本部長が解任されました。
徳など度外視し、利害だけで生きてきた人間にふさわしい末路かと思います。
『どうする家康』も、利害ゆえに不自然なまでに持ち上げる人々の姿が見えました。彼らの徳はどうなっているのでしょうか。
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【参考】
光る君へ/公式サイト




