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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第41回「揺らぎ」】
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彰子は仲間を集め、妍子は御簾を超える
道長が彰子に苦言を呈しています。
敦康様は元服したのだから、これまでのようにお会いになるのはいかがなものか。
そう咎める父親に対し、彰子は「左大臣は何を気にしているのか」とムッとしている。道長が「敦成と敦良をさらに慈しむように」と伝えると、既にそうしていると返す彰子。
ならば今よりなお慈しめと返しながら、道長が去ってゆきます。
このドラマの道長は、鈍感な上にあまりに自分の言いたいことばかりを押し付けていて、理論がないので本当によろしくないと思えます。
自分の持つ愛嬌や魅力だけで押し通そうとしていますが、まひろや行成ですら、それが通じなくなっている。
もう彼の言うことを聞く相手というのは、利害ありき、おこぼれをもらいたくてそうしているだけです。
なんだか哀れになってきました。
これを聞いていたまひろも、道長より彰子を気にしているように思えます。
道長が去ると「父上は敦康様を弾き出されようとしているのか」とまひろに尋ねる彰子。
敦成様を東宮としたため敦康様が気になっているけれども、心から中宮様と敦成様の幸せを願っているとまひろは返します。
彰子もそれはわかっている。しかし、このまま言いなりにはなりたくない。
ならば仲間を伴ったらいかがか?とまひろが提案します。彰子の弟たちのことです。
まひろは双寿丸の言葉からそのことに気づきました。こういうちょっとしたことを次のステップに繋げることが聡明さであり、道長には欠落していると思えます。
かくして彰子は弟たちを、異母弟まで含めて集め、語りかけます。
「早くに入内したために縁が薄いけれど、親しくしたい」
「あまり話した記憶がない」
そう言われ、昔は口数が少なかったと答える彰子。幼いころの思い出を語り合い、東宮のために皆の力を貸して欲しいと頼み込むのでした。
仲間を集めるという意味では、道長とも、帝とも通じるものがあります。
とはいえ、その根底にあるものの違いです。
権力や利害か。親愛の感情か。これについていえば、為賢と武者たちの方が素朴で信じられると言えるでしょう。
彰子は藤壺から枇杷殿に移り、代わりに妹の妍子が入りました。
すると妍子が、敦明から狩りの話を聞いて無邪気に喜んでいます。
狩りの極意を大袈裟な身振りまでして伝える敦明。すると妍子が御簾から出てきて「好き」と迫ります。
彰子と敦康と比較すると、妍子の軽薄さがわかる場面です。
「そこまで!」
そう止めたのは敦明の母である娍子でした。
「邪魔をするな」と妍子は不満そうですが、娍子は我が子の無礼を謝ります。
敦明が何もしていないと釈明をするものの、娍子は「黙りなさい」と手厳しく、父の女御に何をしているのかと苦言を呈しています。
そして娍子は妍子に「このことは帝には仰せにならぬように」と念押しするのでした。
最後まで不満そうな妍子です。
道長は、顕信の絶望を読み解けなかった
藤原通任を参議にすると帝が言い出しました。
蔵人にあがったばかりなのに半年で参議とは……と驚く道長。
これには、有能すぎて蔵人頭に長年とどめ置かれた行成や実資からすれば、妬ましい限りの話でしょう。
なんでも通任は娍子の弟なので引き立てたいのだとか。その上で道長の子も引き立てていると教通の名前もあげてきます。
帝はさらに通任の後任者として、明子を母とする藤原顕信を蔵人頭にすると言い出します。
しかし道長はまだできぬと固辞するのです。
この一件を高松殿で聞かされた顕信は、蔵人頭になりたかったと道長に訴えます。
焦らず、今は帝に借りを作ってはならない――道長がそう言うものの、明子が「顕信よりご自身が大事なのか!」と怒ります。
参議に出世できる蔵人頭を父が断るとは何事か!と収まりません。
顕信のことは考えておると道長が言おうと、出世争いにならぬよう自分の産んだ子は遠ざけてきたと指摘する明子。どの口が言うのかと静かな怒りを見せています。
「私は父上に道を阻まれたのですね。私はいなくてもよい息子なのですね!」
反論しようとする道長。明子が「ゆるせませぬ」と被せてきます。
「帝との力争いにこの子を巻き込んだあなたを決してゆるしませぬ!」
そう涙声になって訴え、顕信は絶望しきっていました。
翌朝、百舌彦がうろたえながら道長に、比叡山から僧が来ていると伝えます。
慶命という僧侶によると、顕信が出家したとのこと。
明子は怒り、道長につかみかかり、こう訴えます。
「あなたが顕信を殺したのよ!」
当時の出家は実質的に自殺のようなものでした。
MVP:藤原道長
『鎌倉殿の13人』最終回を連想しました。
権力に溺れた義時を止めるため、姉から妻から親友から、寄ってたかって義時にとどめをさすような展開だったのです。
武士ではなく貴族ですので、そこまで激烈ではないものの、今回だけで何人が道長への愛を失ったことでしょう。
彰子は静かに父を見限る。
行成ですら、道長がおかしいと訴える。
顕信は突然の出家。
明子はそれを受け、我慢の限界を迎える。
そしてまひろは静かに、道長と距離を空けています。静かすぎて道長は気づいていません。
この心の距離感が『源氏物語』の展開と重なっています。
『源氏物語』そのものを映像化せずに、あえて巻の名前や展開でそれを示す作りです。
作者は「幻」に到達し、次回は「雲隠」に進む。そのうえで、浮舟が川に飛び込み出家する「宇治十帖」まで構想している設定です。
まひろが今作で採用したような経緯で『源氏物語』を書いたのだとすれば、「宇治十帖」まで書く動機は何だろうか?と思っていました。
それが道長へのさらなる怒りゆえの諫言だと思えてきて圧巻です。
あの救いのない終わり方は、作者の絶望感だったのか。そう読み込むことができます。
道長の何が絶望的で、どうして摂関政治が破滅するのか?
それは結局、利害だけで結びつき、理念も道徳心もない、そんな堕落が原因ではないかと今回は見えてきます。
道長は慢心しきっていて気づいておりませんが、彼には結局、人間的な魅力がないのです。
それを突きつけた今回こそ、彼がMVPです。
この作品の本質を示しました。
徳は才の主にして、才は徳の奴なり
徳は才の主にして、才は徳の奴なり。
徳こそが才の最も重要な点であり、才は徳の奴隷でしかない。『菜根譚』
このドラマは、韓流や華流ドラマを意識していると言われます。
宮廷劇である点もそうでしょう。甘ったるいラブロマンスもそう。宋語を語る点でも意識を感じました。
さらにそこから進み、本質的なところでも近いと思ます。
韓流や華流ドラマの特徴として、儒教の道徳心があります。
天意に背いていないか、民を思うよい政治ができているのか。
よき権力者はそう自問自答するものです。
韓流時代劇での名君は、ふと暗い顔を見せます。
私は権力を握っているけれども、それにふさわしい振る舞いができているかどうか。そう悩み出すのです。
『光る君へ』では一条天皇にその意識があることがわかります。
中国を代表する時代物といえば『三国志』ものです。
知勇兼備の曹操よりも、どこか抜けていても徳のある劉備が理想の主君とされてきました。
現在NHK BSにて放映中の『三国志 秘密の皇帝』では、劉備ではなく、献帝の弟である劉平が民を慈しむ姿勢を見せます。
そのため周りの者たちがその人徳に圧倒され、曹操が悔しがるところがみどころです。乱世の奸雄と嘯く曹操ですら、道徳心を捨て切ることはできていないわけです。
利害だけではいけない。
権力者には人徳が必要だ。
はたしてそれがあるだろうか?
――この問いかけは大変重要であり、東アジア時代劇を構成する背骨のように通っているものです。
近年の大河ドラマでも、こうした要素は見られます。
『麒麟がくる』の光秀は、主人である信長の才能に惹かれ、その徳のなさに失望する過程が描かれています。
『鎌倉殿の13人』では、才能を発揮して肥大化していく義時が、あまりに徳がないため足元を掬われ、よってたかって死に追いやられました。
死にゆく弟を涙ながらに見守りながら、優しい八重を母にもつ泰時ならば安心できると政子は語ったものです。
政子は義時を死に追い詰め、泰時に希望を託すことで、徳の重要性を見せつけました。
そして今年です。
道長が生まれつき持っていた愛嬌やかわいげは、若い頃は光っていました。しかしその光はもう薄れ、本人の努力とは無縁の血筋、ずば抜けた強運で手にした権力がドス黒く澱んでいるだけ。もはや道長は「光らない君」なのです。
しかし中年を迎えた今、積み上げてきたものがあまりに少ない。
愛嬌や素直さが減衰する分、教養や道徳、慈悲深さを身につけるべきでした。
それに代わって彼が得たことは、棚ぼた式幸運要素による権力の掌握でした。
そんな彼に擦り寄って囁いてくる公任も、俊賢も、かつての光はない。ただの己可愛さゆえに結びついただけの薄っぺらい関係性に見えます。いわば甘い蜜に群がる蜂程度にしか思えません。
かわりに匂うような徳があれば違っていたでしょうに……。
明子は利害で衝突して離れてゆく。
彰子、行成、まひろは露骨に失望し、むしろ悪臭すら感じているかのような嫌悪感を見せています。
まひろが道長と違う道を選んだとわかることは、賢子との関係性からもわかります。
惟規の死のあと、この母と娘は距離が近づきました。
その一因として、まひろの俗っぽい権力欲が抜けてきたこともあるかと思います。
浅はかに、内裏と比べたら家が粗末だと語ることをまひろはしていません。
むしろ道長が見たら怪訝な顔をしそうな双寿丸の話を聞き、ヒントすら得ています。
まひろは為時譲り、漢籍仕込みの道徳心を取り戻し、透き通ってきたのでしょう。
その透き通った鏡として、道長の姿を映し、どうしてこんなに徳のない情けない姿なのかと、まひろは突きつけているように思ます。
さすが『スカーレット』チームです。
まひろと道長は甘ったるい恋をしていた頃よりも、今の鏡とそれに映る影となった今の方が、スリリングでつきつけることの多い、迫真の出来となり、見る側に迫ってきます。
これが2020年代の時代劇だと宣言する、伝統的かつ先進的な意欲作です。
ついでにいえば、こういうことは大河ドラマにだって当てはまります。
先週放映された「ジャニー喜多川 “アイドル帝国”の実像」後の反響の結果、旧ジャニーズ保証本部長が解任されました。
徳など度外視し、利害だけで生きてきた人間にふさわしい末路かと思います。
『どうする家康』も、利害ゆえに不自然なまでに持ち上げる人々の姿が見えました。彼らの徳はどうなっているのでしょうか。
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光る君へ/公式サイト