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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第1回「どうする桶狭間」】
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どうする教養
序盤は子役が必要なほど幼いとはいえ、全く勉強をしていないことも気になります。
家康の強みとして、太原雪斎の教えを受けたことにあります。
戦国時代の僧侶は、最先端の漢籍に接する機会が最も多く、僧侶からの学びの機会は、自身の強みとなりました。
それが今年は期待できそうにありません。
今後、どこかで拾ったような漢籍引用を唐突に叫ぶ場面はあるでしょう。
しかし、それだけ。
『麒麟がくる』のように深く浸透していた展開は望めませんし、まだ幼い北条泰時が『貞観政要』を読んでいた『鎌倉殿の13人』にも遠く及ばないはずです。
なにより家康の思考ルーティンから教養が全く感じられない。大丈夫なのか……と不安になるほどで、これは後述します。
どうするVFX
VFXについては、ウクライナの会社と連携がとれなくなったと、昨年の時点で明かされていました。
しかしそれにしたって、あまりにクオリティが落ちています。
一体いつの時代の映像なのかと驚いてしまうほど、出来が拙い。
見ていて辛くなるほどでした。
どうする衣装にヘアメーク
今回の見どころは、元康と瀬名が近づく胸キュン展開でした。
だからでしょうか。今年は現代人の、しかも古いセンスにあわせた衣装と女性のヘアメークです。
有村架純さんにあわせたカールした髪。時代考証はさておき、ともかくカワイイパステルカラー。
『麒麟がくる』のように時代を再現した結果、派手になったり、立膝になったりはしません。
『鎌倉殿の13人』のヒロイン・のえのように、心理状態と合致した黒い服を身につけるようなことも、今後おそらくないでしょう。
こういう現代人のセンスにあわせてダサい衣装とヘアメークって、『天地人』や『江 姫たちの戦国』を連想させます。
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どうする殺陣とアクション
『鎌倉殿の13人』初回は、小栗旬さんの人馬一体となった乗馬シーンが印象的でした。
障害飛越までこなすとなったら、とてつもないことです。
それが今回の場合、元康と信長の乗馬シーンが、VFX合成を使い回しているように見えました。いくらなんでも大河でこれはどういうことでしょう?
殺陣も古武術になっておりません。
『鎌倉殿の13人』は武術が発達する前の荒々しいアクションでした。弓術も大変。その中で刺客のトウは迫力満点に輝いていた。
『麒麟がくる』の場合、古武術の指導を受けていました。重々しい剣術は見事なものでしたし、初回から光秀が屋根の上で飛んでおり、かなりの気合を感じました。
今年は、元康と氏真が槍の試合をする場面からしてどうにもおかしい。
現代的な動きが混ざっていて、それがうまく噛み合っていないのです。
演じる二人はむしろアクションが得意なはずなのに、かなり不自然。なんなら『鎌倉殿の13人』の大江広元の方が強いのでは?
そもそも脚本からしてアクションを甘く見ていると思えます。そんな簡単に弱いふりだの手抜きだの、できるものではありません。
今年はアクションにも期待はできないようです。正月時代劇『いちげき』で、NHKもアクション指導は問題ないとはわかりますので、大河以外での見る機会を楽しみにしています。
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どうする人間性
本作は笑いが欲しいのか。
家康の意外性から笑わせにきているのはわかります。
ただ、スベっている。ウケ狙いが悪い方向に出てしまっています。
顕著な例がイッセー尾形さん演じる鳥居忠吉でしょう。
とぼけた老人として描いていて、その様子で笑いをとりにいくとは、一体いつの時代のセンスかと思いますし、そのせいで元康の人間性までもがとてつもなく劣ってみえてしまう。
年長者への敬愛がない。要するに、嫌な奴ってことです。
『鎌倉殿の13人』あたりまでの価値観では、老人を笑い物にすることは平然と行われていました。
それを年長者への敬老精神を身につけていったのが後世の人間です。
史実の家康が、太原雪斎から指導を受けている以上、儒教道徳を発揮し、老将への敬愛を見せてこそ、君主の器に見えるでしょう。
それなのに口調がおぼつかない老人を笑い者にするなんて、単なるイジメじゃないですか。
主人公の品位を下げるだけです。
元康は臆病なくせに、先頭に立って馬に乗る。あんなキラキラの甲冑で物見に向かう。臆病なのか大胆なのか、どちらなのでしょう?
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