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大河ドラマは失敗から学んでいるのか
こうした事例を見ていくと、ある疑問が湧いてきます。
NHKの大河ドラマは、過去の失敗から学ばないのか?
『天地人』における本能寺の爆発には、2005年『義経』の最終回という悪しき前例がありました。
このときの義経は、自刃した瞬間にお堂が爆発。
VFXによる「白馬が空を駆け抜ける」という、わけのわからないシュールさが発揮されました。いくらなんでも、あまりにひどい演出だとして話題になったものです。
『天地人』の本能寺爆発も、それを踏襲したような唐突さでした。
また、浅井三姉妹の最年少で歴史イベントに絡むには幼すぎる、無理に絡ませるため歪んだ作りとなってしまう――そんな『江』の失敗を繰り返したのが2015年『花燃ゆ』です。
『江』に出演した宮沢りえさん。『江』と『花燃ゆ』に出演した瀬戸康史さん。この二人が『鎌倉殿の13人』で素晴らしい演技を見せたことは、喜ばしい雪辱でした。
むろん、お二方とも、いずれの作品でも素敵な演技をされていることに異論はなく、あくまで脚本や演出サイドの問題です。
『義経』や『花燃ゆ』の例を挙げたのは「失敗から学べない」という悪しき先例であるため。
そして残念ながら今年の大河『どうする家康』も同じ危険性をはらんでいます。
まずは『天地人』と共に、その失敗共通点を見てまいりましょう。
『天地人』と『どうする家康』の共通失敗点
『天地人』と『どうする家康』にはどんな共通点があるか?
具体例を挙げながら見て参りましょう。
・粗末なVFX
メリーゴーランドのように動きが揃ったCG馬に、異世界のような清洲城などなど。
数え上げたらキリがないほど妙な描写が目立つ『どうする家康』は、大河史上ワースト候補となるVFXを多用しています。
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・意図がわからない演出
信長が幼少期の家康を投げ飛ばし、ネットリとした口調で「白兎」と呼んだり囁いたり。
武田信玄が山中で亡くなり、そのまま白骨化したような誤解を与えたり。
わけのわからない演出が登場しなかった回は無いのでは?とすら思えてくるシーンの連続です。
・役者が不満を募らせるような脚本
「安土城の決闘」では、そのサブタイトルの名が示すとおり、当初、織田信長と徳川家康は相撲を取るはずでした。
公式ガイドブックのあらすじにも、しっかり記されているほど。
しかし役者の提案で、全体の4分の1ほどにあたる12分もの場面がアドリブになったのです。
◆「どうする家康」松本潤&岡田准一のアドリブ光る本能寺前夜の12分(→link)
該当部分を引用させていただきますと……
もともとこのシーンでは家康と信長が取っ組み合いをする予定だったが、事前の監督と松本、岡田の3者による打ち合わせを経て変更することになったという。
かなり大きな変更が加えられたことがわかります。
12分とは尋常ではない長さ。
信長役の岡田准一さんは、別の記事で「ドラマを見ていない」ことを明言されていて、どうしたって妙な違和感を抱いてしまいます。
・オリジナルキャラクターの暴走
小豆袋を擬人化した阿月のマラソンでほぼ一回を使い切る。
やたらとでしゃばる女大鼠。
いずれもかなり目立つ存在です。
オリジナルキャラではありませんが、現代曲を歌いながら野山を走り抜ける足軽(鳥居強右衛門)も、暴走気味な演出と言えるのでは?
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・空気を読まないほどのカップルイチャイチャ
家康とイチャイチャしている瀬名が退場したものの、愛など他の側室が健在。
なんでも家康と二人きりで話し合うとかで、本作のお市は、夫の浅井長政や兄の織田信長よりも徳川家康を慕っています。
よりにもよって、本能寺の回で二人を接近させて何がしたいのか。
『江』と『どうする家康』の共通失敗点
『どうする家康』には『江』とも共通する失敗点が見受けられます。
・どこにでも出てくる主人公の江が鬱陶しい
徳川家康が主人公の作品で、まさかそんなことはありえない――。
そう思っていましたが、『どうする家康』では、偶然武田信玄と出くわすわ、瀬名の自害にピッタリとしたタイミングで居合わせるわ。
フラーっとやってきては、一体なんなんだよ、と言いたくなるシーンがあります。
本能寺での暗殺を計画しているならば、自身の安全確保を描けばいいのに、常に現場に近いような表現になる。
・脚本家のネームバリューで売り込む気質が強い
過去の大河ドラマでは、脚本家の降板や交代がありました。
しかし今年は「あの『リーガルハイ』と『コンフィデンスマンJP』の!」と大々的に宣伝してしまったせいか、そういう事態にはなっていません。
・お菓子をやたらと食べる江の姉である初といった、漫画のようなキャラクター付を本能寺の回までしているのは鬱陶しい
『江』は饅頭、『どうする家康』は金平糖。
「狼と白兎」連呼もあまりにしつこい。
・本能寺に無理矢理主役を絡ませた結果、伊賀越えまでおかしなことになった。つまり、主役の脱出手段を深く考えていない
江は少女なので、伊賀越えに巻き込まれるのも、まだ理解できなくもありません。
しかし家康は、自分の謀略のせいで、自ら危険な伊賀越えに陥るとしたら無能どころではありません。
『どうする家康』では、数百名もの伊賀者を京都に送り込んでいるとしています。
それだけ準備万端なのに、なぜ伊賀越えで苦労などするのか?
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