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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第32回「小牧長久手の激闘」】
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どうする本多忠勝と蜻蛉切
戦場で本多忠勝が、
「かすり傷ひとつ負ったことがない!!!」
って、自らドヤ顔でなんなんですか。
子どもが考えた「さいきょうの ほんだただかつ」というテーマのマンガでも見せられているようで、本当にこの作品はリアリティを感じさせてくれないな!
実際にどこで誰がそんなことを言ったのか。問題はそこではなく、戦場で、のんきにそんな台詞を吐いている間に矢玉が飛んできたらどうするんだ。
この忠勝は、衣装合わせもおかしいのか、兜のサイズすら合っていないように見えます。
鎧を身につけているにせよ、それが軽いとわかる動きをするのはどうしたものか。
今年の大河は武器甲冑の重さを考慮しているとは思えません。
思えば初回、織田信長が10キロはゆうに超えるであろう今川義元の兜首を槍投げした時点でそうでしたね。
役者がどれだけ頑張ろうとも、重力すら無視するドラマにリアリティは一切ありません。
それにしても、蜻蛉切にトンボが止まっても切れず、普通に飛んでいく場面は、一体何がしたかったのでしょう。
蜻蛉切は、止まったトンボが切れるほどの切れ味だからこその名前。
「実際には切れるはずないよね!」って?
だとしたら、戦国ファンのロマンを小馬鹿にしているようで、いたたまれない気持ちになってしまいます。
どうする勝利と敗北
勝利の後で、エイエイオーと叫ぶところすら声がヘロヘロに聞こえてしまう。
さらにはピロピロBGMのせいか、昔のRPGで敵を倒した後のポーズを見ているよう。
負けた後の秀吉も全くなってない。
悔しがる以外にすることはいくらでもあるでしょうよ。
このドラマは戦後処理が全くありません。
まず、大量に発生した死体を早急に埋葬だけでもする必要がある。疫病が発生しかねません。
戦果を確認した上で、信賞必罰をあきらかにした論功行賞も必須。
戦死した一族の後継者を決めるとか。遺族の補償とか。ともかくやることが山積みのはすなのに、このドラマでははしゃいでラリラリすることしか頭にない。
『麒麟がくる』の光秀はノリが悪く、みながはしゃいでいるような場所でも正論を口走ってしまった。
『鎌倉殿の13人』の義時も真面目。みなが酒を飲んでいるとき、木簡を数えているような青年でした。
そういう真面目でしっかりした人間を「陰キャww」と嘲笑っているパリピ勢が、本作の支持層なのでしょうか。
どこがだよ「学びと鍛錬」
義元に学び、信長に鍛えられ、信玄の兵法を習得する――前半はそういう流れだったとドラマ内で歴史修正が行われました。
いつ、そんな学びや鍛錬があったでしょう?
側室オーディションをして、蒸し風呂で侍女に迫られ、ついにはマザーセナの妄想にラリラリトリップしていたではありませんか。
戦場では「いやじゃーいやじゃー」とピエピエ泣き叫ぶ。
何をもってして学びといい、鍛えられていたのか。
結局、本人の申告であれば、見ている方はそれを呑み込めということなのでしょう。いや、嫌なリアリティはありますね。
なぜ、家康はVIPの名前ばかり出し、太原雪斎は出さないのか。
『貞観政要』のように読んだ書物名は出せないのか? 『鎌倉殿の13人』最終回では『吾妻鏡』を読んでいたのに。
薄っぺらい自己顕示欲そのものなんですね。
学歴やら、何十年も前の模試や入試の結果をSNSに書き込む。有名人とSNSでフォロー同士だとひけらかす。大物と一緒に写真を撮影したと自慢する。
そんな過去の栄光やセレブとのお知り合い自慢よりも、自分自身が何者なのか。読んだ書物は何か。学んだ具体的な内容は何か、それをどう生かしてきたか。
そういう具体性のある話を理詰めですればいいのに、それすらできないのでしょう。
この作品の作り手の自己申告は、全くもって信頼できない。前半のあの情けない姿を「気弱なプリンス」だと認識しているあたりからして、まったくもって意味がわかりませんからね。
◆松本潤は“気弱なプリンス”としてどう成長? 『どうする家康』演出&制作統括が込めた思い(→link)
作り手の人生観なんですかね。
自分が若くてイケてると思っている間は、エロいことと面白いことばかり考えてラリラリしていた。
でも、もういい歳だし、学んで大人になった、偉い人だと持ち上げて欲しい♪
顔が変わった。貫禄が出た。鍛えられ学んだ人だ。そう思われたいんでしょうね。
しかし徳川家康は、そんなバブル期に青春を送ったイケイケ昭和平成のレトロ課長とは違います。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし――そんな語りで描かれる人物です。
それをパリピ風に描くのは侮辱ですらあるでしょう。
出演する役者さんにとっても、不幸でしかありません。
例えば主演の方はそろそろ40代に入ります。
いくら美形だろうと、不惑を過ぎたらシリアスか、ダークな演技ができなければ埋没するだけ。
『麒麟がくる』の長谷川博己さん、『鎌倉殿の13人』の小栗旬さんなどは、そのステップを大河で駆け上がってゆきました。よいドラマには背中を押す力があります。
今年は、その力強さが大河ではなく朝ドラに向かったようです。
要潤さんが高みへ駆け上がる、その背中を『らんまん』は押しています。
◆「要潤」最低な悪役が“ハマる”と高評価 イケメンキャラから「ダーク系」にシフトできた理由(→link)
どうした真田昌幸
真田昌幸は家康より4歳下。劇中では、まだ不惑前の壮年期です。
それなのにこの貫禄は何ごとか?
と、思ったら役者の親ネタですか。
◆真田昌幸役・佐藤浩市さんの扮装写真公開にオールドファンが涙する理由【どうする家康満喫リポート】秘話発信編(→link)
A:いや、これはオールドファンにとっては涙腺崩壊の扮装写真ではないでしょうか。
佐藤浩市さんの父三國連太郎さんが1981年にTBSで放送された大型時代劇『関ケ原』で本多正信役を演じた際の感じにそっくりです。
いやいやいや、1981年って、もはや40年以上も前のことですよ。
そんな古いことを覚えている層だけに取り入ってどうするつもりなのか。
って、まぁ、仕方ないですね……。
今年はもうドラマとして終わっている。だとすれば、こんな風に
「あれは佐藤浩市さんの父である三國連太郎に似せているんですよw 歴史ファンならそのくらい常識でしょw」
周囲にマウントするぐらいしか役割がないのでは?
話題作りが第一でドラマとしての出来はそっちのけ。だからこそ、こうした状況になってしまうんですね。
どうしてこうなったんだ! 衣装
毎回衣装にダメ出ししていて、我ながら疲れますが……。
秀吉の陣羽織が、どうしてもカーペットのように見えてしまう。
実は以前も似たようなことがありました。
『花燃ゆ』で、ヒロインの美和が鹿鳴館舞踏会にあわせて仕立てたドレスが、カーテンに見えたのです。
あのときは『八重の桜』で大山捨松が着用したドレスを着回した、津田梅子の方がよいとしみじみと思いました。
画像のリンクを貼っておきましょう(左が美和で右が梅子→こちらの画像)。
大河の衣装において、絨毯だのカーテンだの、連想したくありません。
まっとうな衣装デザイナーはいないのか……。
と、思ったらいました!大河ではおなじみの黒澤和子さんが映画『リボルバー・リリー』を手掛けております。
◆映画『リボルバー・リリー』綾瀬はるかが身にまとう衣裳は黒澤和子率いるデザインチームが担当(→link)
『八重の桜』の八重と尚之助を演じた綾瀬はるかさんと長谷川博己さんが出るなんて、これまた素晴らしい。
『八重の桜』の評価点として、川崎尚之助の汚名を晴らしたこともあげられます。
会津藩士になった川崎尚之助(八重の元夫)地獄の戦場を生き残るもドロ沼の訴訟へ
続きを見る
新説を無意味に取り入れればよいのではなく、そこまでしてこそ良い大河。
『どうする家康』では「森蘭丸でなくて森乱です!」なんて大仰にいうものだから、さぞかし暴れるのかと思ったら、気がつけば消えていましたからね。
アリバイとして新説を取り入れたなんて言われても意味がありません。
※謝罪と追記
大変失礼しました。
秀吉には絨毯を陣羽織にしていたものがあり、制作側の正解です。
私の不勉強ゆえのあやまちであり、以下に参考リンクがございます。
◆鳥獣文様陣羽織(→link)
実物はドラマほど「モロに絨毯です」とは見えず、着用時期にも疑問は残りますが、私のミスはミスです。大変申し訳ありません。
謹んでお詫びを申し上げると共に、今後も勉強を重ねていきたいと思います。失礼しました。
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