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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第32回「小牧長久手の激闘」】
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どうする「鬼武蔵」
豪華キャストが鬼武蔵こと森長可を演じるということで話題をさらっていました。
誰が見てもカッコイイ。
確かにそうですが、あの恐ろしいイメージの森長可なのに、陣羽織が真っ白で血の一滴すらついておらず、凄みが感じられない。
鬼武蔵を出すならば、あえて首を二~三個髷同士で束ねて持ち運ぶとか、生首から滴る血を舐めるとか、血まみれの握り飯を食うとか。
感染症なんて関係ねえんだわ――という鬼ならではの個性が欲しかった。
今後、そうした武将の登場機会があれば、月岡芳年『魁題百撰相』でも参考にしていただきたい。あれは芳年が上野戦争を目撃した結果の絵ですので、人間のリアルな狂気が伺えて実によいものです。
NHKの夜8時ではきついかもしれませんが、血しぶきだけは好きな本作ですので今さらではありませんか。
それと、森蘭丸(本作は森乱)の兄という点も説明してもよかったのでは?
以下の記事のように
◆【どうする家康】14年ぶり大河、「鬼」と呼ばれた人気武将を演じた役者は…(→link)
“人気武将”であると、サラッと説明されても、鬼武蔵の個性が全く伝わってこないでしょう。まったくもって勿体ない。
どうするバディ
ただ、描き方がひどく稚拙に見えます。
彼らのように複雑で物悲しい人物同士の繋がりが、本作では全く描けていません。
今まで二人の関係性が全く描かれてなかったものだから、どうしようもない回想を入れて間を持たせただけのように見えます。
それだけでなく、直政の顔の汚し方も、正信の握り飯の食べ方も、とにかくわざとらしくてリアリティがない。
過去のエピソードがあまりにお粗末なので、二人は役に入り込めているのか?と不安になりながら見てしまいます。
それに前述のように、井伊直政はあまりに細い。
腕の細さは困惑するばかりで、それでも彼を登用したいなら、見た目とは違って戦場ではとにかく非情だという一面にスポットを当てるべきではありませんか?
ハッキリ言ってしまえば、力仕事は別の武将に任せるべきだったでしょう。
『鎌倉殿の13人』の八田知家は、土木工事担当キャラクターでした。あの丸太のような腕と分厚い胸板なら、圧倒的な説得力があった。
今年は適材適所が全くなっておらず、だからこそ物語も薄っぺらく感じてしまいます。
どうする「すごい図面」
なにかすごい図面があるらしい。
いや、だから、どうすごいのか?それを説明するのがドラマではありませんか?
このドラマは戦場での説得力が圧倒的に欠けていて、ため息をつくしかありません。
昭和平成の中高生が「おめーって、マジすげーよ」「ベンチ入りするなんてヤバい」と言い合っている程度の描写しかできない。
なぜ、そんな限定的世代の青春コメディしか描けないのに、大河をやろうと思ったのか。
自分の力量を知ることも、勝利には欠かせない要素です。
自らの経験から、歴史フィクションを描くのは苦手、合戦なんて無理だと、事前に把握できるでしょうよ。
それがなぜ「シン・大河を作れる俺らw」と誤解したのか……。
どうする「羽柴秀次」
「出て欲しくないリスト」にいた羽柴秀次が、ついに出てきていまいました。
今後おそらく、彼の立ち位置を満足に説明せず、妻妾惨殺だけはねっとりと描くのでしょう。
そうなれば駒姫の描写は避けられず、頭の痛いところです。
東国一の美女が連座で処刑された 駒姫(最上義光娘)の死はあまりに理不尽だ
続きを見る
まっとうな徳川家康のドラマならば、最上義光との関係は重要ですが、今年はそうでない。
このドラマが本当に最新の学説を取り入れるのであれば、87年の大河ドラマ『独眼竜政宗』の頃からはるかにアップデートされた東北戦国史が描かれればよいですが、せいぜい伊達政宗が登場して終わりではないでしょうか。
そもそも、この時点では「羽柴秀次」ではなく、まだ信吉のはず。
本作は名前の変遷をやらず、一番通じる名前だけで通すようです。
『鎌倉殿の13人』の北条政子のような前例もあるとはいえ、そこを意地悪く突っ込みたくなるのは、本作が信頼できないから。それに尽きます。
どうする「レーシックお愛」
今週もド近眼設定を忘れたレーシックお愛。
戦国時代の女性というよりも、昭和平成学園ものの女子マネですよね。
こうして「レーシック」と近眼設定に触れると、「そんな細かいことはどうでもいい」という意見もあるかもしれません。
違います。
この近眼設定を忘れることそのものに、このドラマの本質がみっちり詰まっているのです。
彼女が近眼であると伝わっているのはなぜか。
同じ近眼の人々に情けを施し、それが慈愛ある姿として記録されているからでした。
もしも彼女の魅力が「優しさ」にあると真摯に思っていれば、そこを間違えるはずがありません。
結局、近眼設定は最初だけ義務的に流されていた印象。
こうした状況から、本作の制作陣には「人助けとかww ダッサ、うっぜwww」という価値観でもあるのでは?と疑念を抱いてしまいます。
過去作品でいえば『麒麟がくる』の駒を嫌いそうな感受性ですね。
駒は、光秀の父に救われた結果、医学を身につけ、多くの人を救う医者になりました。
たったひとつの少女の命を救うことで、助かる人がたくさんいる。人間の命をひとつひとつ大事にするという彼女の心は、作品の根幹にあるテーマの象徴だったと思います。
そこを読み取れず、小馬鹿にしてヘラヘラ笑っているのだとしたら、どういう感受性なのでしょう。
赤い羽根募金活動や署名運動を小馬鹿にしていた中高生時代の気分が抜けないようで。
善意をおちょくって小馬鹿にする結果が、今年のレーシックお愛そのものでしょう。
戦争で人が死ぬのに女子マネ感覚でラリラリしている。軽薄そのもののヒロインに思えてきます。これなら生真面目だったぶんだけ『花燃ゆ』の文の方がマシでしょう。
本作の根底には、あの秀吉が語っていたように「悪口を言う奴がおかしい」という、批判を物ともしない精神性があるのでしょう。
ならば笑ってレーシックお愛と踊り続けてください。
人助けを笑いものにする社会は、あまりに殺伐としていて私は嫌でなりません。
こんなランキングを見ると、心底うんざりしてしまいます。
◆「人助けランキング」日本は世界118位、ビリから2番目に“納得の理由”(→link)
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