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【どうする家康文春砲は本当か?】
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あだ名は「台詞泥棒」
第31話「史上最大の作戦」において、小平太(榊原康政)の台詞を削り、家康が話すことになった――そのことが【台本の画像】と共に掲載されています。
この台本こそが、今回の文春砲の見どころの一つでしょう。
これを受けてヤフーコメントやSNSなどでは「台本を変えたほうがよくなったから、問題ない」という意見もあります。
記事中の古沢良太氏も、改変を認めた上でかえってよくなったと擁護しているようです。
しかし、既に問題はそんなところにありません。
この台本を文春が入手できたということは、台本を入手できる第31話の出演者か、それに近い誰かがリークしたことになる。
なお、泥酔した松本潤氏のぼやきを聞いていたという、相当親しいであろう役者仲間の目撃談も記事に出てきます。
いわばチーム内に内通者がいると明かされたようなものです。
現場が疑心暗鬼になって雰囲気が悪くなるのは避けられないのでは?
台詞改変を許すチームの問題とは?
現場では台詞の改変がかなり横行しているようです。
台詞をアドリブで変えることの是非は、脚本家はじめ現場次第と言えます。
ただし、時代考証の観点からすると、リスクを伴う。
アドリブの結果、時代考証にそぐわない言い回しになってしまうかもしれない。
アドリブを許し、かつ考証をこなすとなれば、撮影時に考証担当者が立ち会う必要も出てくる。
実際、そうなっていないのだとすれば、チェック体制に穴が空いているということになります。
大河ドラマの時代考証・担当者はどこまで責任を負わねばならんのか?
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出演者が経験豊富で物知りな方であれば、問題ないかもしれませんが、果たして『どうする家康』の場合はどうか?
台詞改変とアドリブが横行する現場になっていることは、過去の記事からしてその通りなのでしょう。
岡田准一氏、酒向芳氏、松重豊氏、小手伸也氏、ムロツヨシ氏など。本作ではアドリブで咄嗟に盛ったと語る出演者が多いことも特徴です。
例えば、このドラマでは「くそたわけ」という言葉は下品すぎるから、そこは避けて「あほたわけ」としたのに、明智光秀の酒向芳氏は「くそたわけ」を連呼していた、なんてことがあります。
脚本家の意図などどうでもよく、現場のノリで回しているのでしょう。
そんなことをされるとは、侮辱ではありませんか。
脚本家だけでなく、視聴者に対しても侮辱だと言わざるを得ません。
このドラマはさんざん「あの人気脚本家のドラマだ」と喧伝してきました。
それなのに、その脚本家の書いた台本は粗末に扱われている。これは一体どうしたことでしょう。
以下の記事にあるダチョウ倶楽部ネタなんて、特定の年代以上にしか通じません。
◆「どうする家康」ダチョウ倶楽部ネタはアドリブ!ムロツヨシ、松本潤との思い出のシーン明かす(→link)
演じている側の悪ノリでしかないうえに、大河の品格や緊張感すら落としてしまう。
命のやり取りである合戦の場での悪ふざけを、堂々と口外してしまい、弛緩きった現場が浮かんでくる。
むろん、出演者が脚本家に要望を出すことはあります。『麒麟がくる』の長谷川博己氏は、光秀の台詞が少ないとこぼしていたそうです。
池端俊策氏も「……」が多い光秀は大変だろうとは思っていたとか。それでも意図を説明しつつ、それで演じるように長谷川氏に返したそうです。
そして最終局面になると、長谷川氏は脚本の内容に大いに納得、発奮し演じていたとか。
『どうする家康』には、そういう脚本家と出演者の協調が存在しないような印象を受けてしまいます。
脚本を変えることについて松重豊氏は、苦言を呈していながら、諦めたかのようにも思える記述がありました。
出演者がこうも呆れていると書かれるとは、なかなか屈辱的なことではありませんか。
ニコライ・バーグマンのセンスで作られた押し花
今回の文春砲で放たれた痛烈な矢――その一本がニコライ・バーグマンでしょう。
話題となったのは第34話「豊臣の花嫁」です。ここで出てきた押し花の珍妙さが説明されます。
もともとは、石川数正の残した仏像の中から、瀬名の残した押し花が出てくるはずでした。たしかに仏像の中に何かものを入れる風習はあります。
『鎌倉殿の13人』にも重要な場所として出てきた伊豆修善寺の大日如来像には、人毛と経文が入れられていることが修復時に判明しています。
「そういう風習に従って仏像の中に入れておく」とスタッフが説明しても、松本潤氏は納得しない。
そこで、仏像とは別に、小箱に押し花を入れる代替案が登場。
結果、ニコライ・バーグマンをイメージした、綺麗な花がびっしり詰まっているあの箱になったというのです。
ボックスフラワーを作るハメになった小道具担当者のメンタリティを想像してしまい、寒気がしました。
ああいう花は、それこそ21世紀になってから、局所的に日本だけで流行しているものです。
他の地域ではそこまで定番でもない。何よりもプリザーブドフラワーという、ごく近年の技術ありきのものです。
同時期に朝の連続テレビ小説『らんまん』チームが、リアリティのある花の標本を作っているというのに、大河ドラマスタッフはボックスフラワーを作る羽目になるとは……。
これは小道具スタッフの名誉に関わる問題です。私も放送直後のレビューで「なんて無知でくだらないものを作る連中なのか」と失笑してしまいました。
同時に、こんなわけのわからないものを作る小道具スタッフが心配だとも書いていました。
大丈夫ではなかったようです。
本当に胸が痛みます。
松本潤氏は、来年以降の大河には関わらないでしょう。
しかし縁の下の力持ちである小道具担当者は、来年以降も参加します。
軍隊ならばいわば足軽大将のような大事にすべき人の心をへし折ってまで、時代にそぐわない無茶苦茶な要望を通すなど、さすがに残酷すぎやしませんか。
大河ドラマの明日を守るためにも、このことはさすがに許し難い。
私たちのために大河ドラマを作るスタッフを、どうして大事にできないのか……。
本当に悔しい話です。
なお、例の押し花はネットニュースで確認できます。
◆「どうする家康」築山の押し花…数正出奔の“真意”にネット号泣「神回 数正のあほたわけで」殿&家臣団も―(→link)
『ブラタモリ』で江戸の歴史を勉強
松本潤氏は勉強するつもりがなく、『ブラタモリ』の江戸関連DVDを求めたとか。
『ブラタモリ』で地理は学べても歴史は学べない――と、ここでもNHKスタッフのぼやきが入っています。
つまりNHK内部に“告発者”がいる可能性が示唆されていますが、問題はそこだけではありませんね。
徳川家康と江戸の関わりは重要だけれども、彼は幕府を作るまでは三河や京都にいます。
幕府を作ったら、駿府に向かってしまう。江戸にいた期間は短い。『ブラタモリ』で学べる江戸の歴史については、秀忠なり家光なり、家康以外の分量が多くなってもおかしくない。
徳川家康の生涯を年表で少しでも確認すれば、その程度のことは一瞬でわかります。
彼はその程度のことすら惜しんでいるのか。
ちなみに『麒麟がくる』の長谷川博己氏は、儒教朱子学の勉強を自主的に重ねたことが、インタビューから伝わってきます。
そういう積み重ねの差は演技や役の解釈理解度にもあらわれるのです。
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