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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第33回「修善寺」】
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自分が鎌倉殿であることを主張
頼家から鎌倉へ、なにやら要求が届いたようです。
それを北条義時や大江広元らが聞いているわけですが、一体その内容とは?
①一人でいると退屈だから近習が欲しい
→謀反を起こされかねない。却下。
②安達景盛の身柄を引き渡せ
→妻を手に入れようとして失敗したことがよほど悔しいようだ。でも、それだけ?
義時は分析します。
頼家は、まだ自分が鎌倉殿であることを示したい。
だからこそ、義時たちも、そんなことを受け入れるわけにはいかない。
そんな頼家のいる修善寺に、義村が来ていました。
ことごとく要求を却下されたことに対し、頼家は別に腹を立てていない。はなから受け入れられるとは思ってなかった。
ただ、自分を忘れさせないため喧嘩を売ってやるとのことです。
執権殿にそう伝えると言い、淡白にその場を去ろうとする義村。
そんな義村に、善哉とつつじのことを聞く頼家。
なんでも八幡宮の別当が面倒を見ているとのことで、一幡とせつを弔いながらも、生き延びた妻子を気遣う頼家です。
しかし、会話を続けるうちに気が高ぶってしまったのでしょうか。
父のことを話し始めます。
頼朝は石橋山での大敗から一ヶ月半で、軍勢を率いて鎌倉入りを果たした。
自分もいずれ鎌倉に戻る。
そして鎌倉を火の海にして、北条の者どもの首を刎ねる。
覚悟して待っておれ。
このままここで朽ち果てるわけにはいかない!
声を荒げる頼家に対し、『はいはい、わかりましたよ』とでも言いたげの義村は、「その通り伝える」とそっけない。
こういう時にメンタルケアをしない。それでこそ義村でしょう。
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それどころか「この先、何十年も猿楽ぐらいしか慰めもないことを考えれば、華々しく散るのも悪くない」として、こう締めくくった。
「おやりなさい」
おいおい、謀反を唆すなよー!
そう突っ込みたいところですが、義村の言いたいこともわかる。どうせ挙兵してもうまくいくわけがない。自滅しろ……ってことでしょう。
だからこそ、直後の展開もこうなる。
「力を貸してくれ」
「お断りいたします」
本気で勝ち目があるなら、義村なら乗ってくるかもしれません。
鎌倉殿は二人いらねえ
義村が鎌倉に戻ってきました。
挙兵するかどうか?
北条義時が頼家の真意を問うと、義村がそっけなく「兵は集まらない」と答えます。
それでも恨みがあるなら対処をすべきと考える大江広元。
三善康信は曲がりなりにも先の鎌倉殿だと浮かぬ顔をしています。
スッキリとした結論が出ない一同に対し、横で座っていた八田知家が言いにくいなら言ってやると語気を強めます。
「鎌倉殿は二人いらねえ」
その言葉に触発されたように、時政が「やるか」と決意しようとすると、それでも二階堂行政は頼朝様の実の子だと躊躇しています。
「んなことわかってるんだ! わしの孫だ!」
そう言い出す時政。
生まれたときのことが目ん玉に残っている。わしだって辛いってよ……って、だからなんだ?とも思ってしまう、それまでの時政の行動よ。
義時は、様子を見ると言い出します。
当面はやり過ごす。そのうえで頼家に不審な動きがあれば知らせるよう言いつけ、いざとなれば覚悟を決めると腹を括りました。
頼家は父・頼朝から学ぶべきことが間違っています。
頼朝は伊豆の地で、じっと無害なふりをしていた。平家が忘れてしまう程ひっそりと生き、ここぞという時にあの髑髏に誓って兵をあげた。
そうできないのが頼家です。
一方、その幼馴染である泰時も、合点がいかない様子。
覚悟を決めるとはどういうことか!
鎌倉殿を修善寺に閉じ込め、それでもまだ足りないというのか!
そう迫る我が子に、義時は低い声で言います。
「すべては鎌倉のため……」
いや、それは北条のためだろ、と泰時が反論すると、北条がなければ戦乱が起き、頼朝様が望んだ鎌倉がこの世から消えると、言い訳するかのように義時が語っています。
さらには、まだ殺すことが決まったワケじゃないとも言いますが……義時は自分に嘘をついてますね。
確かに頼朝は北条がなければああも成功できなかったけれど、それは別に源氏を差し置いてでも鎌倉を守れというわけではなかったはず。それをわざと欺くように言っている。
頼家の処遇についても「まだ決まらない」とは言っていますが、それは「殺す」という選択肢が根強くあることの裏返しでしょう。
源氏のいない鎌倉なんて、中身のない器のようで虚しい。空っぽだ。それをこうも言い募る。
義時は自分でも答えがわからず、無茶苦茶になっているのかもしれません。
こんな大河主人公はありなのか?
自分が何をしたいのかすら見失っている……もうドラマも後半だというのに。
実朝には別の生き方を望みたい
政子は三善康信に本音を語って相談していました。
実朝に跡を継いで欲しくはなかった。鎌倉殿なんていつ辞めてもいい。
早く誰かに渡してもらって、自分の好きなことをして穏やかに生きて欲しいと。
そのうえでお願いがあると言います。
幼い頃、侍女からこんな話を聞いたとか。
あるとき実朝が寝ようとしたら、雨が降り始めた。すると雨垂れを一晩中眺めて一睡もしなかった。
あの子にはそういうところがある。政子は母として、我が子にある和歌の才能を伸ばしたいというのです。
康信は、自分にできるのだろうかと戸惑いつつも引き受けます。
するとそこへ話を聞いていた実衣が入って来ます。そして政子に困ると言い出す。
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鎌倉殿の教育は私に任せてもらう。私にだって考えはある。
鎌倉殿は人を動かし、正しい政(まつりごと)をするのが大事。実朝は私が育てた。余計な口出しはするな。
そう釘を刺してくる妹の野心に戸惑う姉。
そして建仁4年(1204年)正月、読書始めです。
ここで講義を行ったのは源仲章でした。
「十三経」を習うと宣言します。
『易経』
『詩経』
『書経』
『周礼』
『儀礼』
『礼記』
『春秋左氏伝』
『春秋公羊伝』
『春秋穀梁伝』
『論語』
『孝経』
『爾雅』
『孟子』
以上の十三種が定められたのは北宋の時代――つまり源仲章は当時最先端の漢籍知識を知っているということになります。
和歌は花鳥風月に非ず
後日、今度は三善康信が実朝に和歌の指導を始めました。
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タタタタタ、タタタタタタタ……と五七を教えるわけですが、教え方が下手すぎですね。
それでもじっと興味深そうに聞いている実朝の賢さが見えてくる。
するとそこへ実衣に連れられた仲章が入ってきます。
それにしても生田斗真さんが美貌に棘と毒を宿してきたと言いますか。その場にやってくるだけで、平賀朝雅にせよ、三善康信にせよ、押し退けるような凄みがあります。
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花鳥風月を感じるままにお詠みになればいい。康信が和歌の講義をそうまとめると、すかさず仲彰がカットイン。
「鎌倉殿、今のはお忘れください」
歌は気のままに詠むものではない。帝の望む世の姿、ありがたいお考えがある。そうして代々詠み継いできたものだ。
「そうなのですか」
そうハッとしたようにする実朝は、やはり聡明ですね。
和歌には帝の考えがあり、それを知らねば学んだことにはならない。仲彰がそう講義をすると、横から実衣が政(まつりごと)に欠かせぬものですねと同意を求めます。
「ええ。和歌に長ずる者が国を動かします。しっかり学んでくださいませ」
実衣は康信にご苦労様でしたと下がるよう促します。
政子が頼んでおいた相手を追い出すようにするところが実衣らしい。
康信が慌てて道具を抱え、転ぶように去る姿があまりにも切ないですが、残酷で凄い場面だと思います。
源仲章は坂東に「文章経国」(もんじょうけいこく)を持ち込んだと言えます。
文章は経国の大業、不朽の盛事。曹丕『典論』
文章は国を治めるに大事なことであり、朽ちることのないものである。
詩人としても名高い曹丕の言葉のため、自分の趣味を褒めているようにも見えますが、そう単純な話でもありません。
当時は、記録メディアが「竹簡」や「木簡」から「紙」へと代わる時期でもあり、文壇を活発化させることにより新たな思想を見出そうとしていていました。
曹丕の父・曹操のあたりから、世の動乱を嘆いたり、理想の政治を思い描いたりする……新たな技法を織り込んだ詩の流れが生まれ始めたのです。
文学の発展とは、為政者の知性が磨かれることでもあります。
ついに坂東も、そこまで到達してきたんですね。
ただ、これは諸手を挙げて喜ぶべきことかどうか。
京都が坂東の連中を田舎者扱いできたのは、武力だけの番犬だったからでした。彼らに武力だけでなく、知力も与えてしまえば、武士は別の何かに変わってしまうかもしれません。
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その第一の流れは、源頼朝が招いた大江広元らが「文士」として鎌倉にやってきたことで始まった。
そして第二の流れは、この源仲章がもたらすのでしょう。
果たして、それは吉か凶か?
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