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【麒麟がくる第23回感想あらすじ】
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罪悪感の緩和
「私も同じことを思う。あそこに集まるもの以外を私は知らない。私が施せるのは、わずかな者たちだけだ。仏のように万人に施すことはできぬ。私は無力だ……」
駒は、お坊様もそう思うのかと感慨深げです。
やはり麒麟がくる世にならなければ、世の中が豊かになることがない。駒は「麒麟」という言葉にハッとします。
誰もが見たことがない生き物。戦のない世に現れる。
父もよく、麒麟がくる世を作りたいと言っていたと覚慶は言います。将軍なのに、戦を止めることができなかったと。
私の兄上も、京で……と素性を語っており、ガードが緩いといえばそう。
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駒の出番はいらないという意見もありますが、彼女は物語のテーマを伝えてくれる実に貴重な存在です。
戦国時代を描いた漫画として、手塚治虫の『どろろ』があります。
あの作中で、貧しいどろろの前で貴婦人が輿を止め、施しをしようとします。
するとどろろの父が激怒、その貴婦人を怒鳴りつけました。
どうして? 親切な貴婦人になぜ怒るの?
どろろの父は知っていたのです。武士どもが権力をめぐって戦うせいで、自分たちのような庶民が苦しめられる。その罪悪感を緩和するために、俺たちをダシにするんじゃねえ!
そう激怒していました。
手塚治虫は戦争を見てきたから、その惨さを知っている。
漫画にも、戦争をもたらした醜い人の心をどうしたって反映させてしまうのです。
覚慶にせよ、駒にせよ、そういうナイーブな【情】の力で動いてしまっている。けれども【理】で世の中を変えねば、人は救えないのだと苦悩しています。
今でもこういう葛藤はあります。
子ども食堂が一例です。ああいう善意による人助けは大事なものですが、子どもの貧困を根本的に救うためには、社会の改革が必要となるはずなのです。
それができるのか、どうか?
覚慶と駒の逃亡で見えること
覚慶はここで、あやしい者に気付きます。
さりげなく、駒に市まで一緒に来るよう頼みます。そのうえで、あとをつけてくる者がいるが、振り返らないようにと念押しして、逃走開始!
この逃走場面が、なかなか味があります。2年前、西郷どんが山の中を無意味に走る場面はいい加減にしろと毒づいたものですが、今年は違います。
走る場面を通して、当時の町を生きる人々の生活を映す。
竹を倒したり、手押し車を使うことで、おもしろいアクションとして見せてくる。
エキストラや小道具の用意だけでも手間暇かかるとは思います。
でも、こういうところで手抜きをすると時代劇はゆっくりとダメになってしまいますからね。すごく短くてどうでもよさそうな場面だけれども、私は嬉しくてたまりません!
それというのも、数年前の新春時代劇を思い出したから。
街の中を描く場面で、人はろくにいないし、車や馬が全然出てこない。太秦映画村を空っぽのまま映しただけのような、まるでゴーストタウンでした。
NHKの新春でこれって、もうこのままでは時代劇は滅亡するのではないか。そう思うと、新年早々どす黒い気持ちに沈んでいったものです。
美男美女が主演だろうが、それだけではドラマは回りません。『タイムスクープハンター』も終わったし、もうダメなのかと、悲しくて悲しくてたまらなかった。
でも、今年になって、やっと底から這い上がってきていると思えます。『柳生一族の陰謀』もよかったことだし。
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民衆の暮らしはつまらないなんて意見もある。
けれども、海外市場を考えれば、こういう動く屏風絵のような風俗再現はすごく大事なのです。
そこは譲れない。妥協しないでがんばってほしい。教材観点として見ても、本作は秀逸です。
すでに義輝排除で動いている
追手を巻いたのか、亀を見ることになる二人。覚慶は、この亀は千年は生きている、目の周りのシワを見ればわかると言います。
信じてしまった駒に「嘘に決まっておろう!」と言って笑うのでした。
この室町最後の将軍は、いい人なんだと思います。無能扱いばかりされていて気の毒な人物ですが、それだって後世のバイアスは当然入る。
信長目線になりきって彼を無能と言い切れるのであれば、それは信長の宣伝戦略が四世紀経っても成功しているってことかも。そういうバイアスを本作ははがしてゆく狙いを感じます。
ここで音楽に合わせて、舞う女たちが出てきます。
松永久秀夫人の服喪はあけたようです。駒も誘われて舞い始めると、覚慶の横に二人の男が立ちます。
細川藤孝と一色藤長です。
二人は厳しい声音で、一人歩きを嗜めています。
得体の知れぬ者がうろついていると警戒しても、覚慶は兄上の側衆だろうと嫌がっています。それでも藤孝は、兄には三淵たちをつけていると断固たる口調で言うわけです。
もうこの時点で、コントロールしにくい将軍と、困惑する側衆の姿が見えてきています。不穏さも隠しきれません。
それに藤孝は、ポスト義輝に向けて動いてしまっている。
観測気球なんて言葉もありますよね。何かが決まってから動くのでは、ちょっと遅い。一歩先んじることが大事。
とはいえ、露骨にそれをやられると不愉快ではある。
アメリカ大統領選のあとを見据えた動きが、現実社会でもいろいろと起きているわけです。現職の大統領がイライラする様子を見てもわかりやすいかもしれません。
自由に生きたい伊呂波太夫だから
駒が踊りを終えてみると、そこには覚慶はいません。
代わりに、伊呂波太夫が来ており、肩を叩いてくる。宿で待っていても戻らないから、探しに出たそうです。駒は大層よいお坊様がいたので話を聞いていたと返します。
ここで伊呂波太夫の態度がちょっと変わる。
「あ、そうそうお駒ちゃん、私にくれたあの丸薬ある?」
永久寺のお坊様にあげたいそうです。腹痛に効いて喜んでいたとか。駒は戸惑いつつ、京に戻ればまだ少しあると言います。
以呂波太夫は他のお坊様にも売れると販路を見出し始めました。
が、駒は戸惑っています。彼女には、医者にかかれない人にさしあげるものという理想があります。
「はぁ、だめだめ。安くても売るのよ! 作る手間賃取り戻さなくちゃ! お金のことは私に任せて京に戻らなくちゃ!」
そう目を光らせる以呂波太夫。これはよいヒロイン。尾野真千子さんを選んだ意味がますますわかる。
彼女が松永久秀の寵愛を拒んだ意味も見えてくる。
大和一の権力者の側室になれば、贅沢はできるでしょう。
きれいな着物に、おいしいご飯。ふかふかのお布団。でも、それじゃつまらない。
自分で生きて、稼いで、飛び回る生き方があっている。
シンデレラストーリーって、実はそんなにいいものじゃない。
寵姫となった深芳野は、全く幸せではなかった。
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籠の中の鳥になるより、自由に飛ぶ方が素敵だと彼女は示しています。
こういうヒロインが、今の時代にはふさわしいのでしょう。以呂波太夫も、レリゴーの女ってことです。
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