麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第23回 感想あらすじ視聴率「義輝、夏の終わりに」

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物の値打ちは人が作る

光秀は、多聞山城へ。

面会相手の松永久秀は渡来ものの焼き物の良し悪しを見ています。終わるまでしばしお待ちを。そう言われる光秀ですが……。

なんと、焼き物を割り始めました!

光秀は驚いています。

夕日を浴びて振り向く久秀は、これまた神々しいほど魅力的でもある。

「よう。しばらくぶりじゃの。入れ入れ、ははっ」

ここで久秀は説明します。

割ったのは、堺の商人が持ち込んできた、茶入れの壺だそうです。

田舎大名に名器と称して売り付けたい。しかし、同じ形のものがあれば値が下がる。わしの目でひとつ選び、残りは捨てる。

久秀は、焼き物の目利きと名が通っています。わしが名器と言えば名器。そう言い切ります。

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光秀は生真面目なので、今日参った理由を説明しようとしますが、久秀は「物の値打ち」の話をしているとカットイン。

物にはもともと値打ちがあるわけではない。物の値打ちは人が作る。

将軍の値打ちもそうじゃ、人が決め、人が作っていく。

ふさわしいと思えば値打ちは上がり、ふさわしくないと思えば値打ちは下がる。

下がれば、壊したくなる――。

 

他ならぬ大河も値打ちを左右させている

松永がおそろしいことを言い出しましたね。

大河ドラマで言っているのかと思うと、NHKがついに罪と向き合い始めたのだなと感慨深いものがあります。

NHKは、大河は、朝ドラは。己の権力にあまりに無自覚ではなかったか?

私はそう言いたいのです。

この久秀の言っていることはまさしく梟雄そのものなのだけれども、人間の心理と世の中の真理そのものだと思った。

それがし、大河ドラマには申し上げたき儀がござる!

というのも、大河の新作が決まると自治体の観光課が動き出し、銀行が利益の試算を出すわけじゃないですか。

大河で英雄として描かれればよい。でも、史実をねじ曲げてでも悪く描かれると、研究者にまで害が及ぶ。

『独眼竜政宗』の最上義光とか。

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大河ドラマには、人々の歴史観や、観光地の値打ちを左右する力を持っている。

しかも、特定の都道府県に偏る構造ができている。

全国一律に受信料を取っておきながら、こんなことはあってはいけない話だと、苦々しく思っていました。

お前は大河が好きかと聞かれたら、それはイエス・アンド・ノーだ。こんなふざけたものはそうそうないとは思う。でも腹が立つことに、本作のようなドラマはおもしろい。大河枠を潰せば、時代劇の寿命も縮まるからには、嫌いと断言もできない。

そしてここから先の久秀の言葉は、のたうちまわる苦悩にも聞こえる。

光秀は、それゆえ将軍義輝様を討とうとしているのかと問いかけます。

久秀は、そなたにとって義輝はこの壺だと語る。残すべき美しきものだと。

「ならば都から追い払う。それだけじゃ」

「なにゆえ!」

そう問いかける光秀に、久秀は周りをよく見ろと問いかけます。

 

そこにいたのは藤孝

どの大名も、将軍を支えるために上洛しない。

上杉、武田、毛利……幕府の者すら呆れている。三好長慶なくして抑えも効かない。

ならばあなたがすればいいと光秀が問いかけても、もはや疲れ果てたと力なく答える久秀。

わしの息子も、長慶様の御子息も、三好の一族も、のぞこうと動き出している。止める力はない。

光秀はそれでも、義輝様をのぞいたところで、棟梁たる将軍は必要だと訴えます。

「細川殿、入られよ」

ここで細川藤孝が入ってきます。

久秀とあれほど対立していたのにも関わらず、ここにいるとは……。

藤孝は苦しそうではあるものの、何から申し上げても無念の極みと言いつつ、語ります。

都の人心は義輝様から離れてしまった。この数年、幕府を見限る者が多く、藤孝も都を離れて次の将軍をお助けせねばならないのだと。

「次の将軍……」

「やむなく!」

眞島秀和さんがなまじ生真面目で気品があるだけに、苦渋の決断そのもので、辛い。残酷な話です。

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もう、光秀くらいしか、将軍としての義輝に期待をしなくなってしまった。

久秀はここでこう言います。

「値打ちは値打ちとして、美しいものはやはり美しい。息子たちには討つなと申しておる。案ずるな」

光秀は、何もできません。

苦悩が生々しく映える長谷川博己さんは、今週も悲しい鏡のような顔を見せています。すごい境地に到達してしまった。

久秀が「美しい」と言い切り、納得できるだけの存在を見せねばならない向井さん。

その説得力をどう出せというのか。悩ましいところでしょう。

久秀にしたって、美を鑑定する知性と感受性、そして物の値打ちを決める傲慢さを出さねばならない。

藤孝だって、彼なりに悩んだ苦渋の決断だとみせねばならない。

光秀は彼らの輝きを増す役目を果たす。

何もかもが綺麗に見える。これも大河の存在感問答だと思えば、奥深いものがあります。

近年急落した大河ブランドだけれども、放映中の作品は、壊すにはあまりに美しい。そうため息をついてしまいます。

 

「夏は終わった。わしの夏は……」

京の二条御所に光秀がやってきました。

「十兵衛近う、楽にいたせ。長旅ご苦労であった」

義輝はそう声を掛けてきます。尾張の織田が上洛しないことで相手を責めたりはしない。

「やむを得ぬ、皆戦に忙しいのじゃ。もはや和議を命じても誰も応えぬ。都がこれほど寂しいところとは知らなかった。今朝起きて、風の音に驚いた。古の歌の通りじゃ」

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

「夏は終わった。わしの夏は……」

短い人生の、終わりを悟った義輝。剣豪将軍のイメージにしては細いと言われた義輝ですが、狙い通りでしょう。

滅びゆくものの儚さが、そこにはあります。光秀はたまらず叫びます。

「上様!」

「十兵衛、越前へ帰れ。短くはあったが、ようわしに仕えてくれた。礼を言うぞ。欲を言えば、もそっと早うに会いたかった。遅かった!」

「上様、私も!」

「遅かった……帰って朝倉に伝えよ。将軍は息災であると。こののちも、生ある限り、幕府を支えて見せると。十兵衛、また会おう」

夏の終わりにしおれる花橘のような身。

『万葉集』の雑歌を詠んだ誰かのように、己が散りゆくことを嘆いている、そんな将軍。

花橘にたとえられるそんな男性って、なかなかいません。向井さんは、花にたとえられても違和感がないからすごい。台本を読んで、どんな気持ちになったのだろう……。

彼が光秀に見せたかった姿は、キャストビジュアルのあの凛々しい甲冑姿なのでしょう。

武家の棟梁になりたかった。皆に見捨てられゆく中、光秀だけが、理想の棟梁としての姿を思い出させてくれた。また会おうというけれど、会えるとほんとうに信じていたのか。そのことはわからないのです。

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