ミッドウェー海戦

ミッドウェー海戦/wikipediaより引用

世界史

ミッドウェー海戦を巡るもう1つのバトル 主役はジャーナリストだった

1942年6月5日に始まり6月7日に終わったミッドウェイ海戦――それは日本人にとって惨めな負け戦です。

暗号を解読された挙げ句に待ち伏せされ、主力空母と熟練搭乗員の数多くを喪失。

太平洋戦勝の主導権まで無くしました。

この海戦を巡って、もう一つの熾烈な戦いがあった事を御存知でしょうか。

ジャーナリストによる情報戦です。

 


大スクープ過ぎて、米軍真っ青!

報道機関で働く人なら誰でも、一度は世紀の大スクープを夢見るもの。

世間をアッと言わせれば、記者冥利に尽きるワケです。

逆に、書かれた側にしたら、慌てるどころでは済まない場合もあります。

1942年の6月7日のアメリカ軍部は、まさにそうした心境だったでしょう。

なんせ、あのミッドウェイで日米機動部隊が死闘を繰り広げている最中、よりによってアメリカの新聞シカゴ・トリビューン紙に、超絶特ダネが載ってしまったのです。

当時の研究を重ねている、アメリカ海軍の研究誌(→link)によると、次のような見出しでした。

"Navy Had Word of Jap Plan to Strike at Sea."

日本の新聞の見出し風に訳すと、こんな感じでしょうか。

「我が海軍、日本の攻撃計画察知」

しかも、概ね同じ趣旨の見出しが、

ニューヨーク・デイリー・ニュース

◆ワシントン・タイムズ・ヘラルド

という両紙に載っていたとあれば、海軍の情報担当士官らは目を点にしたに違いありません。

 


シカゴには穀物取引所がある

今日でもそうですが、スパイの情報源の一つは新聞です。

ゆえに戦時中は検閲体制が敷かれるわけで、当時のアメリカでも、新聞などのメディアは当然それに従っておりました。

しかし、隠しきれないジャンルがあります。

株価などの市況情報です。

これらは資本主義社会に必須であり、情報を載せないと会社への投資が立ちゆきません。

一方、そうした数値を基に、敵の意図を察知できたりします。

例えばアルミの精錬会社の株価とタイヤメーカーの株価が同時に急騰したら、それは軍部が即ち航空機の大量生産に踏み切った事を意味します。

ましてシカゴには穀物取引所がある。

穀物は軍用食の原料でもありますから、保存の利く食材の価格が上がれば、大規模な軍の展開があると推察できます。

当然、日独両国ともアメリカにはスパイを置いていたはず。特に、ニューヨークとワシントンに潜んでいた事は、十分考えられるでしょう。

「もし、奴らが新聞を読んでいたら……」

海軍側では、そう真っ青になります。

 


「誰が漏らしたんだ!」部内は騒然

実際「漏らしたのは誰なんだ!」と犯人捜しが始まりました。

まず分かったのは、これら三紙は、いずれも親会社が同じだった事。

マコーミック・パターソンという、今日で言うメディア・コングロマリットの傘下にあったのです。

そして、今でもそうですが、こうした系列紙同志で記事の使い回しをする場合があります。

通信社の記事を買い取って使うより安く上がるからです。

かくして一つの出元から皆で使ったという事までは、簡単に割り出せました。

さすがにこの辺はアメリカ海軍情報部って所でしょう。

次に行われたのが「この三紙のうち、どこの記者が書いたか?」という特定です。

これも簡単に割り出せました。

オーストラリア出身のシカゴ・トリビューンの戦争特派員スタンレー・ジョンストンでした。

そして、ここでアメリカ海軍は恐ろしい大失態をしていた事に気づかされるのです。

 

戦争特派員として誓約書を出させなかったばっかりに…

その大失態とは、手続きミス。

このジョンストン記者は、ミッドウェイ海戦の数ヶ月前に軍事担当となったのですが、その際に海軍側では戦争特派員として必要な誓約書にサインさせていませんでした。

そして、誓約の中身には海軍当局から「これは書くなという検閲指導があったら、素直に従え」という文言がありました。

つまりこうです。

検閲に従う誓約書を求められなかった以上、記者として事実なら何でも書いてよいという事になってしまったのです。

そして、書くまでも無い事でしょうが、戦時下の最前線に送り込まれるような記者が無能なはずが無い。

アメリカ海軍は、自ら災厄を引き込んだようなものでした。

と、ここまで書いて思うのですが……。

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