ヒトラーの息子

ヒトラーの死を伝える『星条旗新聞』号外/wikipediaより引用

ドイツ

「お前の父親はヒトラーだよ」母の告白に仰天した反独レジスタンス兵~顔は似ている?

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決め手は下手なヒトラーの肖像画?

1985年2月15日、ロブジョを描いた肖像画が見つかったと、英国のデイリー・エクスプレスが報じました。

この肖像画は、ライバル紙のデイリー・メール(→link)でも紹介。

これがハッキリ言って、下手ですよね。恋人なんだから、もっと綺麗に描けなかったのかなぁ。

しかし、絵描きを目指していた割には「人物デッサンが下手だった」というヒトラーの特性と一致して、決め手となった感じではあります。

なお、このデイリー・メールではロレットの息子さん、つまりヒトラーの孫になるフィリップ氏にインタビューしています。

フィリップ氏が、自分のルーツをロレットから知らされたのは1972年、16歳の時でした。晩食の席で、不意に打ち明けられたのですって。

「その時は凍り付いてしまったし、今でもどう反応して良いのか分からない」

自宅での写真撮影に応じていますが、背景にはヒトラーの写真が飾られています。

ロレットほどでは無いにせよ、目元がヒトラーの面影を残していますね。

フィリップさんにしたら、色んな葛藤があったのは言うまでもありません。

「ヒトラーは我が家の一員だ。だから壁に飾っているんだ。孫として生まれたのは私の落ち度では無いし、戦争さえ起きなければ、そうなってもいなかった。ヒトラーのした事は私には関係無い。(しかし)私にとって彼は何時も家族である」

ヒトラーに関する著書を40冊以上も読んでの結論です。

なお、フィリップさんは21歳の時に結婚し、奥様は亡くなられていますが3人の子宝に恵まれています。

ロレット自身は少なくとも1回結婚し、9人の子供がいて、その1人がフィリップさんという訳ですね。

一方、ヒトラーの親族はオーストリアとアメリカのロング・アイランドで暮らしており、そうした人とフィリップさんらのDNAを追加鑑定したところ、やはり結果は「クロ」だったそうです。

 


「親を選んで生まれて来る事は無理だからなぁ」

ロレットは1985年にこの世を去ります。

死の4年前に『父の名はヒトラー』(Ton père s'appelait Hitler)という回想録を出版し、世界的に話題となりました。

その生涯で、一度も実の父親と会う事の無かったロレットですが、1978年に当時の西ドイツのダッハウ強制収容所をマーザーと一緒に訪れた際、ポツリと語ったそうです。

「親を選んで、生まれてくる事は無理だからなぁ」

返す言葉が無いですね。

なお、ヒトラーはフランス語が一切話せず、また子を産んだロブジョもドイツ語が全く無理。

それでも、出来ちゃう時は出来ちゃうんですね。

ちなみに、上記のデイリー・メールによると、フィリップさんはヒトラーの娘と会った事があり、その際「戦時中、フランスにヒトラーの子供がいる事を父親から聞かされていたわ」と言われたそうです。

また、フランスを占領していた時期、ロブジョにドイツ政府から定期的に仕送りがあったのだとか。

ヒトラーなりに男のケジメを付けようとしたのか、それとも口止め料だったのか。

孫のフィリップさんの台詞が、印象的です。

「そうした血が流れているのは知っているけど、私は生まれてこの方、悪事に手を染めた事は1度として無い」

ただし、家で政治の話はタブーなんだとか。

「私の政治信条は中道からやや右だが、極右なんかじゃあ無い」

そう答えられています。

お孫さんもまた、十字架を背負って人生を歩んでおられるのですね。


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南如水・記

【参考】
Dailymail.co.uk(→link

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