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決め手は下手なヒトラーの肖像画?
1985年2月15日、ロブジョを描いた肖像画が見つかったと、英国のデイリー・エクスプレスが報じました。
この肖像画は、ライバル紙のデイリー・メール(→link)でも紹介。
これがハッキリ言って、下手ですよね。恋人なんだから、もっと綺麗に描けなかったのかなぁ。
しかし、絵描きを目指していた割には「人物デッサンが下手だった」というヒトラーの特性と一致して、決め手となった感じではあります。
なお、このデイリー・メールではロレットの息子さん、つまりヒトラーの孫になるフィリップ氏にインタビューしています。
フィリップ氏が、自分のルーツをロレットから知らされたのは1972年、16歳の時でした。晩食の席で、不意に打ち明けられたのですって。
「その時は凍り付いてしまったし、今でもどう反応して良いのか分からない」
自宅での写真撮影に応じていますが、背景にはヒトラーの写真が飾られています。
ロレットほどでは無いにせよ、目元がヒトラーの面影を残していますね。
フィリップさんにしたら、色んな葛藤があったのは言うまでもありません。
「ヒトラーは我が家の一員だ。だから壁に飾っているんだ。孫として生まれたのは私の落ち度では無いし、戦争さえ起きなければ、そうなってもいなかった。ヒトラーのした事は私には関係無い。(しかし)私にとって彼は何時も家族である」
ヒトラーに関する著書を40冊以上も読んでの結論です。
なお、フィリップさんは21歳の時に結婚し、奥様は亡くなられていますが3人の子宝に恵まれています。
ロレット自身は少なくとも1回結婚し、9人の子供がいて、その1人がフィリップさんという訳ですね。
一方、ヒトラーの親族はオーストリアとアメリカのロング・アイランドで暮らしており、そうした人とフィリップさんらのDNAを追加鑑定したところ、やはり結果は「クロ」だったそうです。
「親を選んで生まれて来る事は無理だからなぁ」
ロレットは1985年にこの世を去ります。
死の4年前に『父の名はヒトラー』(Ton père s'appelait Hitler)という回想録を出版し、世界的に話題となりました。
その生涯で、一度も実の父親と会う事の無かったロレットですが、1978年に当時の西ドイツのダッハウ強制収容所をマーザーと一緒に訪れた際、ポツリと語ったそうです。
「親を選んで、生まれてくる事は無理だからなぁ」
返す言葉が無いですね。
なお、ヒトラーはフランス語が一切話せず、また子を産んだロブジョもドイツ語が全く無理。
それでも、出来ちゃう時は出来ちゃうんですね。
ちなみに、上記のデイリー・メールによると、フィリップさんはヒトラーの娘と会った事があり、その際「戦時中、フランスにヒトラーの子供がいる事を父親から聞かされていたわ」と言われたそうです。
また、フランスを占領していた時期、ロブジョにドイツ政府から定期的に仕送りがあったのだとか。
ヒトラーなりに男のケジメを付けようとしたのか、それとも口止め料だったのか。
孫のフィリップさんの台詞が、印象的です。
「そうした血が流れているのは知っているけど、私は生まれてこの方、悪事に手を染めた事は1度として無い」
ただし、家で政治の話はタブーなんだとか。
「私の政治信条は中道からやや右だが、極右なんかじゃあ無い」
そう答えられています。
お孫さんもまた、十字架を背負って人生を歩んでおられるのですね。
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南如水・記
【参考】
Dailymail.co.uk(→link)